死屍を抱いて獅子となる⑫
……シシ。
ごめんな?
アンタと、もっと生きていたかった。
アンタが成長して、どんどん強くなってさ。
その様子を、もっと傍で見ていたかったよ。
いつかアンタと肩を並べて戦いたかったよ。
その頃にはもしかしたら、アンタはアタイよりも強くなってて……
アタイがアンタに守られる、だなんて……そんな未来もあったのかもね。
あーあ、戦場で死ぬことなんて何とも無かったって言うのに……今じゃ、アンタの傍にいられないってことが、こんなにも堪らない。
執着を棄てろ、強くなれ、だなんてさ……偉そうなこと、言っておいて当の本人がこのザマだよ。
……シシ。
アンタは真っ直ぐで、本当にいい子だ。
アンタを育て上げたシュヴァインって人は、アンタにとって本当にいい父親だったんだろうね。出来ればアタイも、お会いしてみたかった。
出来ればアタイも……アンタの母親ってやつになりたかったよ。
母親になんてなったことは無いし、こんなアタイだからさ。きっと、いい母親にはなれなかっただろうけどね。
……シシ。
命は、命を奪ってしか生きていけない。
命を奪わずに生きていられる命なんて無いんだよ。
だから、奪った命の分まで、笑いなさい。それが、命を奪うしかなかった者の責務だ。
だからアンタはアタイの分まで幸せになって、いつか母親になるんだ。
ああいや別に、なりたくなかったらならなくてもいいよ。……でも、そんな未来もあるってこと、忘れないでおくれ。
強く、生きていきな。
強さってのは何も、腕力や魔力だけのことじゃない。
どんな環境、どんな状況でも、笑って、逞しく生きていく――それがアタイにとって、一番の“強さ”だよ。
――ああ、そうだったね。
アンタ、うちに来た時はそんなに笑わない子だったね。
でも打ち解けていくうちに、どんどん笑顔を見せるようになった。
アンタは笑顔の素敵な女性だよ。
だからいっぱい笑いな。
いっぱい泣いてもいい。その分、もっといっぱい、いっぱいいっぱい笑いなさい。
笑って、強く人生を謳歌しな。
アンタがそうしてくれるならアタイは本望さ。
……でも、少しだけ我儘言っていいかい?
アンタが強く生きていく姿を、一番近くで見させてもらうよ。
シュヴァインと一緒に、アンタの一番傍で。
もう、声も掛けられないし、何も教えてあげられないけど――アンタの一番傍に、アタイらはいつもいるよ。
――シシ。
愛してる――――
「……お母ざんっ!」
激情に揺さぶられ、少女の身の内の霊銀は遂に臨界点を突破した。
すでに大気に満ちる霊銀は高濃度の汚染状態にあり、それを呼吸して循環させた体内の霊銀もまた、荒ぶるほどの活性状態を見せていた。
戦士たちがそれでも耐え切れたのは、彼らが戦士であるがゆえに魔術に慣れ親しみ、その身の霊銀耐性を獲得、あるいは増強してきたからで。
そのような経緯を持たないシシは、霊銀に対する耐性を有さない。
彼女に魔術の才能が無かったわけではない。彼女が魔術を行使できなかったのは、単に彼女に欠ける霊銀耐性ゆえに、彼女の本能が霊銀の活性化を拒んだ結果だ。
枷。こと魔術に関して言えば、彼女は枷を自ら知らずのうちに嵌めていた。
その枷が、エーデルから受け取った想いで溢れた激情に、壊された。
彼女の内側で荒ぶる霊銀は即座に彼女の体細胞と癒着を始め、その身に変貌を齎し始めた。
“異獣化”――異形を得て、異能を宿し、異端となりて命の理の外に弾き出される、紛うこと無き悲劇の兆し。
だから、それが“奇跡”で無いというのなら、何と表現すればいいのだろう。
魔術の発動時に僅かに起こる、霊銀の錬成反応のような光の明滅が迸り、落雷のように瞬間、光が爆ぜた。
誰もが眩しさに目を細めあるいは顔を背け、天使までもが直視できぬほどの純白。
それが収まった時――そこに、シシはいた。
背中まで伸びた黒髪は、今や獅子の鬣を思わせる金色。
黒かった光彩さえ深い翠色に塗り潰され、中心の六角形の瞳孔から太陽のように紅蓮の色が伸びている。
そして、相変わらず華奢な両腕には、新たな魔術紋が焼き付いていた。
それはこれまで彼女の右前腕にあった【銃の見做し児】とは異なる――しかしどこか似ている紋様。
異獣化は確かに起きた、起きたのだ。
だからこそその姿は奇跡だった。起きて尚、元の姿を維持している件というのは、片手で数えられるほどだ。
そして彼女は振り向いた。泣き腫らして赤くなった双眸が纏う水気を衣服の袖で拭い去り、「ぐす」とひとつ鼻を啜ると、途端に戦士の顔付きとなった。
いや――敢えて言うのなら。それは、美しい英雄の顔だった。
「“死屍を抱いて獅子となる”――」
両腕に焼き付いた魔術紋が虹色に揺らぐ輝きを点す。
肩口から色を変えていく紋は、彼女の体内――その奥の“固有座標域”に収納された武器を、霊銀の翻る奔流に載せて顕現させた。
「――“獅子の牙”」
彼女の手に現れた、白銀色の大剣――その幅の広さと言い、大きさとシルエットは、エーデルの愛用していた両手剣に酷似していた。
違うのは、その刀身の内側。
刀身の中心には彼女の瞳と同じ六角形の金属板が縦に並んであり、その凹凸と噛み合うように諸刃は三角形を縦に並べた形をしている。両者の間には空洞があり、そこには幾つもの歯車と軸、それらを内包する金属のフレームが垣間見えた。
シシが両手で長太い柄を握り、下方を握る左手をさらに下方へとスライドさせると、俄かに柄が伸び、そして機械仕掛けの刀身がガチャリと開いた。
パリパリと紫電が構造の周囲で迸り、シシが柄を通じて通し入れた霊銀が六角形の金属板の内側で歯車たちを円転させる。
ガチン、ガチン、ガチン。
突如、シシの両足に魔術円が展開された。それはエーデルのよく使っていた、高度の低い跳躍推進の魔術だ。
ダン、とひとっ跳びで最前線に到達したシシは、一文字に結んだ口の奥で強く歯噛みしながら両手で握る大きな斧を振るった――跳躍の最中、もう一つの武器へと換装したのだ。
「――“三日月”」
形状としては長柄の片刃戦斧。厚みのある刀身は冠す名の通りの反りを持ち、刀身と柄との連結部にはかつてそれが“銃剣”だった頃の名残か、六連装の弾倉が付随している。
その斧刃が熊の形をした水獣の身に入り込むと、柄を伝って刀身へと注がれたシシの霊銀は、巨大な三日月状の斬痕を残し、水獣は左右真っ二つに断たれて水塊へと還元された。
ガチリ――その弾倉が、円転する。
「はぁっ!」
そしてその勢いで反転させた身体を更に回転させて繰り出した一撃。
今度は横薙ぎの三日月の一閃が、弾倉に込められた実包を消費して射出された――それは、斬撃を射出する、戦斧の形状を持つ魔器。
軌跡を伸ばしながら飛来する斬撃は、たちまちに蔓延る水獣たちを無へと帰していく。
顔を顰めた神の沈鬱は大きく両手を広げると、湖水を操るその両手を前方――シシへと突き出した。彼の後方から、二本の水柱が大蛇のうねりを得てシシへと強襲する。
しかしシシの手には再び、あの機械仕掛けの大剣が握られている。それを騎士の敬礼のように両手で顔の前に掲げると、柄をスライドさせた。
機構により刀身が開き、紫電がパリパリと迸る。
円転する歯車たちは、その刀身の内に秘められた“人造霊脊”を組み換え、その魔術式を組み上げた。
水柱が展開された障壁に衝突して弾けた。それは、エーデルが使って見せたものよりも、圧倒的に強力な障壁魔術だった。




