死屍を抱いて獅子となる②
「何で己れが、お前と?」
その日も雨が降っていた。ここ二週間ほどはずっと雨が続いている。
造船場跡の拠点で、艦砲の設計図をある分だけ片っ端から読み漁っていたノヱルは、突如自分に喧嘩を吹っ掛けてきた意気揚々とした大女――エーデルに顰めっ面を見せた。
「シシがさ。アタイの強さを知りたいんだってさ」
「……もう一度訊くぞ? 何で己れが、お前と?」
「だぁかぁらぁ、シシがアタイの強さを知りたいからさ」
絶句――ノヱルにしてみればそれはあくまでもエーデルが戦う様を見せつける理由・目的であって、彼が訊きたいのはどうして自分に矛先が向くのか、の理由である。
しかしエーデルはそこを汲み取らない。つくづく噛み合わない女だとノヱルは嘆息した。したが、やおら立ち上がり、側頭部をがしがしと掻いては訓練場へと足を運ぶことを決めた。
「……実弾しか創れ無ぇぞ?」
「そいつぁ願ったり叶ったりだねぃ」
「……頭沸いてんのか」
「よく言われるよぉ」
汗を流して鍛錬する者たちを退け、訓練場の中央に向かい合って立つ二人。【禁書】の構成員たちは観客となってノヱルとエーデルの交戦を見守るため思い思いの場所に鎮座した。その片隅の最前列には勿論、シシの姿もあった。
そこに山犬と天の二人がいないのは、すでに二人は任を得て南西のスティヴァリへと向かっている。【禁書】に与する“沈む人族”と、そしてエディをも含んだ、同行する【禁書】の数は六人だ。
スティヴァリの沈む人族との結束を図るためであり、状況によってはそのまま北上してフリュドリィス女王国の状況偵察と、王城の鐘楼に開きっぱなしとなっている“神の門”を天の斬術による断絶をも行うつもりだ。
ノヱルが同行しなかったのはシシの教育を請け負ったからだ。シシが自分を殺そうとしていることは百も承知で、しかしノヱルはシシに強くなってもらうことを決め込んでいた。その理由は、天や山犬にすらも語られていない。無論、シシに対しても。
「さぁて……全力で行かせてもらうよ? そうじゃないと、シシのお勉強にならないからねぇ」
視界の隅に真剣に見守る表情のシシを見つけたエーデルはバチリとウィンクをして見せた。シシは頷き、その一挙手一投足を見逃すまいと眼に力を入れる。
「観客多すぎんだろ。流れ弾が当たるぞ……」
「あー、それは大丈夫大丈夫」
へらへらと告げて、エーデルは両手を広げた。左右の掌それぞれに、赤と青の色彩で構成された小さな魔法円が展開されると、エーデルが打った柏手の勢いで重なった魔法円は光を弾けさせて飛散した。
霊銀の輝きが二人を包む大気に伝搬し、半径10メートルほどの半球状の結界となる。
吹き抜けていた天井の大穴から降り注いでいた雨の雫も、今この時だけは止んだ。
「……そんなんも出来るんだな」
「まぁねぇ。年の功ってやつさ……誰がおばさんだっ!」
「自分で言っておいて……ああ、面倒臭い……」
盛大な溜息を吐きながら頸部の人造霊脊を円転させるノヱル。先程エーデルが見せたような、淡い色の魔法円がその両手に展開され、円は形をぐにゃりと歪ませて色彩と質量とを宿し、双銃となった。
「“銃の見做し児”――さ、さっさと戦ろうか」
「いいねぇ、戦ろう戦ろうっ」
エーデルもまた、背に負っていた両手剣を抜き放ち構える。
騎士の大剣をやや幅広にしたようなその両手剣は見るからに重厚で、切れ味でというよりは断面で叩き切る、という用途になるだろう。或いは刃を翻した側面で叩き潰すという攻撃も繰り出してくる恐れがある――そう思考を纏め上げたノヱルは浅く息を吐き出した。
「開始の合図はどうするかい?」
「仕掛けたいタイミングで始めればいい。律儀に合図なんざ、戦場慣れしていないのか?」
ノヱルのいつもの煽り文句に、大口を開けて笑うエーデル。唖然としながらもその様子を睨みつけるノヱルを余所に一頻り笑った後で――その赤髪はノヱルの鼻先にまで肉薄していた。
「そぉ――れいっ!」
まるで背負い投げのようにえげつない速度で放たれた強靭凶悪な一閃。それはノヱルの身体を通過しても尚、混凝土の床を抉るほどには強烈で。
誰もが息を飲んだ。しかしノヱルは衝突の直前、咄嗟に真横に跳び退いていた。余りにもギリギリなタイミングだったためにエーデルの両手剣がノヱルの身体を両断したように見えたのだ。
決着にはまだ早い――着地した片足でそのまま再び跳躍を遂げ、距離を取ったノヱルは容赦なく両手に握る双銃からそれぞれ一発ずつの弾丸を撃ち放つ。
しかし弾丸は盾のようにして掲げられた両手剣の刀身に弾かれた。
成程、その幅広の剣はそうやって使うのが正しいのか――ノヱルは脳内の情報を更新し、エーデルを中心とした円の足運びで距離を保ちつつ牽制の銃撃を再三放つ。
だんっ――両手剣を盾にしたままエーデルが跳躍した。それは低く、しかし長い跳躍だ。両足首に魔法円が展開されていることから魔術による推進を得てのものだろう、その跳躍に予備動作が見られなかったのもそういうカラクリだ。
「ちっ!」
「遅いっ!」
横っ飛びを阻止するように、移動の先を目掛けて振り下ろされた一撃はまたも床を抉り取る。急ブレーキをかけたおかげで直撃は免れたが、飛散した礫に面食らい体勢を崩したノヱルの背中に、宙で弧を描いて強襲するエーデルの蹴りが突き刺さった。
「がっ!」
「はっはー! 一撃目はアタイのもんだね!」
地面に崩れ落ち、そのままざらついた床を滑るノヱルだったが、立ち上がる前に換装した鳥銃でうつ伏せの体勢による射撃を放つ。
虚を衝かれたエーデルは目を見開き、しかし躱しきれずにどうにか腰を捩じって肩口の僅かな切創程度に損傷を抑え込んだ。あとほんの一瞬遅ければ、利き手である右腕は使えなくなっていたかもしれない、そう思ったエーデルは更に破顔し顔の皺を深める。
「「「ひぃっ!」」」
「「「ぅわっ!」」」
肩を掠め命を逸れた弾丸は観客へと飛来し、その手前でエーデルにより張られた魔術障壁に衝突し、潰れて床にカランと転がった。
そして慄いた観客たちが再び輪の中心に目を向けた時――
――ノヱルは、新たな銃をその手に創成していた。