消えない肉沁み⑳
攻めあぐねている。
回避行動を山犬に任せ攻撃に専念するノヱルは、どれだけ撃とうが即座に傷を修復して戦線に復帰――いや、戦線を離脱しない二体の天使についてを考えていた。
最も考えられるのは山犬と同じであること。
山犬は嚥下したものを動力に変換する。そしてその動力が尽きない限り、損傷=致命とはならない。動力を消費して傷ついた躯体を再生・復元させることが出来るからだ。
飲み込めば新たな動力を獲得できるのだから、言ってしまえば咽頭――食道の入り口さえ無事なら後は全損していようが問題は無いのだ。
三体の機械人形の中で最も高性能な躯体を誇るのが山犬だ。
錬成炉や知能的演算核等の中枢機関すらノヱルや天のように定形のものを持たず、顕微鏡でしか視認できないほど極小の機械がまるで細胞群体のように集合し山犬という猟奇的な存在を象っているのだ。
もしもあの天使たち二体が山犬と同様の存在であるなら、その不死性にも頷ける。
ならばその動力が尽きるその時まで、撃って撃って撃ちまくる――ノヱルは脳内でまとめあげた思慮を戦意へと変換し、弾の尽きた騎銃の弾倉に新たな弾丸を創り上げて装填した。
同様のことを天もまた考えていたが、しかしその思考の着地点はノヱルとは異なっていた。
天の躯体は山犬には劣るがヒトガタ全体で見ても高性能の部類に入る――ちなみにノヱルの躯体は本当に型落ちだ。
内蔵された特殊機能は自己改造したノヱルにさえまだ劣らず、そしてノヱルには無い霊銀信号検知器を用いて周囲の霊銀の流れや揺らぎを詳細に認識することが出来た。
その情報によれば、二体の天使の復元能力は山犬の持つそれと全く別物――霊的座標に動力の貯蔵庫があるわけでも無く、他方から復元のための動力を引っ張って来ている様子も無い。
ただし、両者間には確かな霊銀の繋がり――情報交換の痕跡がある。
二体の天使の間隔が近ければ近いほど、両者の情報の遣り取りの回数は頻繁となり、毎秒千回に到達するほどだ。
そして復元のタイミングは必ずその情報交換の後――つまり、彼らは肉体を限定的に同期させている。
片方が損傷を受けたなら、もう片方の身体情報を得てその情報に適合するように自らを復元させているのだ。
ならば両者を同時に攻撃すれば。
その不死性に亀裂を走らせることが出来る筈だ。
そこまで検討した天はしかし、そこからを深慮することが出来なかった。
平常時の彼なら仮説を打ち立てた後でその証明方法――この場合ならどう攻めるか――を組み立てただろう。
しかし現在の彼は【神斬武士】の影響下にある。
自由気ままを気概とする彼の性質を増徴させにさせまくったその姿では、思考すらも気の向くまま――天はそこまで考えたのにも関わらず、その時点で考える気が失せてしまったのである。
目下、天の興味はすでに移ろった。
どうやって二人同時に損傷を与えるか、ではなく。
どうやってその状態にある彼らを各個撃破するか、だ。
「どうしたどうしたぁ!?」
神の嗜虐は煽り口調を爆ぜさせながら滑空し、すれ違いざまに幾つもの棘の塊を生み出して攻撃する一撃離脱に徹している。
足元から突き上げる棘に飛び退くと中空に生まれる棘が襲来し、見た目に反して威力も申し分ない、地味にいやらしい戦法だ。
「どかーん! ばこーん! ちゅどーん!」
神の被虐も基本的な戦い方は変わらない。上空に飛び上がって両手それぞれで創り上げる業火球を投げつける広域破壊。狙いは雑だし速度もそれほどだが攻撃範囲が広いのがやはりいやらしかった。
培養施設は10メートルもの高さを誇る、だだっ広い空間だ。培養管が犇めくため地上よりもずっと上空の方が自由が利く。
特に小さくなったとは言え山犬はストレスを感じていた。ノヱルが背に乗っているおかげで自分の役割は移動と回避となり、なかなか空いた小腹を埋めることが出来ないからだ。
剰え、移動するにも回避するにもこの場所は狭い。培養管が無ければまだ自在に奔れるが、背に乗せたノヱルに天使の攻撃が命中しないことを考えると遮蔽として役に立つ――無論、それは理論でなく本能の導き。
だが山犬は本来、全てを喰らい尽くすべき獣だ。喰らってなんぼの攻撃を、この戦闘では仕方なく回避することに専念している。
山犬はノヱルが好きだ。それは、彼女が山犬として二度目の生を享受するずっとずっと前から――が、今回ばかりは獣の本能が上回った。
彼女という躯体に刻まれた呪詛の如き命題が、回避ではなく突撃のために図体と機動とを活かせと叫び上げた。
「アヲンッ!」
「っ――うおっ!」
跳躍した身体が着地と同時に前のめりに屈んだ際の重心の移動を捉えた見事な身震いは騎乗していた筈のノヱルを難なく吹き飛ばす。
「おいおい、仲間割れか?」
「本っ当――ふざけた奴らだよねぇ!」
大きくふわりと宙に舞ったノヱルに、二体の天使は間髪入れずにそれぞれの最大火力を叩き込む。
描く放物線の先に赤熱の棘を無数に創り出し。
両手で創った巨大な業火球を投擲し。
それを見遣ったノヱルは顔の中心に皺を寄せて力いっぱい歯噛みした。
確実にそれらは、彼の躯体を消し炭へと変える力を持っていると認識したからだ。
放り出された空中で姿勢を制御する特殊機能が無いわけでは無いが、型落ちのノヱルには適合しない規格だ。それゆえ、歯軋りするほどの未練を切ってノヱルは祖国を後にした。
だがそれらの炎撃は、ノヱルを殺すことが無かった。
阻まれたのではない。どういうわけか、攻撃そのものが軌道を変え、放物線の起点へと向かって突進したのだ。
そこにいたのは紅く濡れた巨獣――では、無かった。
「――させないよ?」
ガチン――“山犬、神を喰い殺せ”
ガチン――“お前は獣”
ガチン――“万象悉く貪り盡せ”
「“ 饕 餮 ”」
◆
「うおおおおおっ!」
ヴォギンッ――屈むような剣閃は確実に捕食者の右足を断ち切った。
これで7体目だ。エディが彼らを無力化したのは。
しかし上層階から跳び下りてやって来る捕食者は尽きない。既に駐車場の大きな入り口に駆け込んだ三人に迫り来るその数は20を超えていた。
「限が無いっ!」
地下へと伸びるスロープを駆け下りる三人。シュヴァインとシシとを先行させたエディは殿を務め、傾斜を利用して転がり迫る捕食者を斬り付けながら怒声を発する。
「シュヴァインさん、あれっ!」
「――! よしっ!」
薄暗い中、混凝土で固められた壁面へと駆けたシュヴァインは設置されていた硝子面を蹴り割ると、中から“消防斧”を取り出した。
それは有事の際に降りた隔壁の内側にいる者が、歪んで開かなくなったドアなどを打ち壊して脱出するための災害装備として設置されているものだった。
斧ならば薪割りで使い慣れている。シュヴァインはそれを誰かに打ち付けたことは勿論、そもそも誰かと傷つけあう争いに興じた経験は無かったが、どうしてだかこの場面ではすんなりとそれを振るうことが出来る気がしていた。
“どうしてだか”だなんて決まり切っている――彼は、柄を握った際のその不思議な感覚の名前を知っていた。
覚悟などではない。それは、庇護だった。
ふと、柄を握る左手に違和感を覚えたシュヴァインは、その原因を取り除いた。
「シュヴァインさん……」
「……もう、嘘は要らない」
齢66を迎えて尚、がちりとした筋骨に恵まれた体躯。
白い髭を蓄えた口元の真上に座す鼻はもう天を見上げてはおらず、平たい貝殻のような耳はちゃんと真横についていた。
「シシ、すまなかった。どうか儂に、これまでの罪を、お前の傍で償わせてくれ」
答えは聞かぬままシシの横を通り抜けたシュヴァインは、やはり卵を守る母竜のような獰猛さを宿した身で斧を振り上げ、駆け抜けた。
「ぬあああああ!」
振り下ろされた斧は、何とも鈍い音を立てて捕食者の一体を屠り飛ばした。