消えない肉沁み⑱
「――じゃあ、見逃せないなぁ」
「――ですよね」
微笑み合う二人――その笑みの奥には敵意を蓄積させる。
「神薙っ!」
目にも留まらぬ刀速で振り抜かれた白刃はその身を長大に延長させながら地面の舗装を削り進み、遡る三日月の軌道を描く。
その斬痕が神の被虐の華奢な身体を縦に両断した――しかし直後、別たれたふたつの身体の断面それぞれから炎が噴出し再接続と癒着とが行われる。
「え? 何かしたぁ?」
何事も無かったように首を傾げた神の被虐――背中の四枚の翼を広げ、はためかせると宙へと舞い上がり、口元を意地汚らしく蠢かせる。
「這い蹲ってよ」
掲げた両手、その上に煌々と燃える業火球が生み出される。
火球は燃え上がるほどに肥大し、勢いよく振り下ろされた神の被虐の手に呼応してまるで流星或いは隕石のように天へと降り注いだ。
「どぉーーーんっ!」
「――っ!」
目を見開いた天。火球は地面に着弾すると広域に火勢を迸らせて爆ぜた。
周囲一帯が燃え盛り、緋色に包まれる。
しかしそれも、天の眼前まで。
「――神緯」
キン、と切羽と鞘とが擦れる金属音。抜刀では無く納刀の響き。
抜き放ったことすら視認はおろか察知さえ出来ないほどの速度。
切り離された空間が、拒絶の障壁となって爆炎から彼らを守ったのだ。
「かっちーーーん」
苦みを表情に点した神の被虐は今度は両手それぞれに業火球を生み出すと、時間差をつけて投げ放つ。
「煩わしい」
しかし空間を断つ斬撃が三度障壁を作り出してそれを遮ると、今度は伸びる斬撃【神薙】によって天が攻勢に転じる。
「ちぇっ、何だよ強キャラかよぉっ!」
時に火球そのものを斬り捨て、時に断絶の障壁を生み出し、駆け抜ける天は段々とその距離を詰めていく。
敵が空にいようとも、刀身そのものを延長させ放つ【神薙】であれば。
しかし天の斬閃は神の被虐に届きこそすれ、その命には届かない。
この状況を打破するならば、その謎を解き明かさなければならない。
「――ふぅ」
憤りを孕む呼気を吐き出した天。シュヴァインとシシとに被害が及ばぬよう随分と前に出た。
「どっかぁーーーん!」
相変わらず神の被虐は空中を飛び交いながら天へと向かい火球を投げ放っている。
互いに決定打には欠けるが、天でなく天使の方には余裕がある。
おそらく、彼女に比べれば自分は格下なのだろう――心の内で吐き捨てた天は、だからこそ口元を綻ばせた。
自由自在に空を舞い、自由気ままに葬り去る――その自由が気に食わない。
「本当に――腹立たしい」
ガチン。
脳裏に響く、鉄を打つ鎚のような音――神の軍勢に向けた悪意を込めに込めた、神を斬り殺す器の呪い。
“天牛、神を斬り殺せ”
「その銘で呼ぶなと何度言えば分かるのですか――しかし、いいでしょう。此度に限り、不自由を選んでやるとしましょう」
そして一度【神薙】の白閃で牽制した天はその刀身を鞘に収めず――逆手に返して切っ先を自らの腹へと突き立て。
「え? 何してるの?」
その奇行に、天使の動きが止まった、その瞬間。
「――“神斬武士”」
力強く突き入れられた刀はしかし突き抜けはせず、その刀身に宿る霊銀が天の躯体の隅々に染み渡り、奪われていく。
――ガチン。
刀は打たれ、悪意の純度を増していく。
――ガチン。
人造霊脊が円転し、刻まれた呪いを体現する術式を構築する。
――ガチン。
両の顳顬が割り裂け、突き出すは湾曲して前方へと向く水牛のような黒い双角。
――ガチン。
湯気が立つほどに紅潮し褪せた珊瑚色となった肌。
――ガチン。
深海のような深い藍色の目に刻まれた金色の逆錐紋様。
――ガチン。
滲み出た呪詛はその身を縛る鎖のようにその魂に絡みつく。
“天牛、神を斬り殺せ” ――ガチン。
“天牛、神を斬り殺せ” ――ガチン。
“天牛、神を斬り殺せ” ――ガチン。
「――――WARRRRRRRRRRRRR!」
「天……?」
「あれは……」
シュヴァインも、シシも、驚愕を禁じ得ない。
まだ出会って二日目だが、空に向かい咆哮を放つような天を彼らは知らない、思いの寄る由が無い。
「何? 何何何何何!?」
空中の神の被虐ですらその怒轟に身震いした。
反転する圧力のベクトル――その変貌は天使の余裕をも反転させる。
「――っ、」
腹部に突き刺さったままの刀を抜く――まるで天自身が鞘であったように。
白かった筈の刀身に宿ったメタリックブルーの耀きはモルフォ蝶の翅のように妖艶で、拍動する輪郭は定形を棄却した。
振るわれるとそれはひどくぐちゃぐちゃな軌道を見せて中空の天使を強襲すると、身を翻して逃げる天使の四翼をいとも容易く斬り落とした。
「ちょっ、待っ! 待っ!」
失ったその直後から噴き出す炎で翼を復元した天使はしかし僅かに高度を落とし。
それを、巨大な霊銀反応に気付き迂回しながら駆け進んできていた山犬の巨大な口が食み、その勢いのまま研究棟の壁を突き破る。
盛大な破壊音を轟かせてもうひとつの戦場へと乱入した巨大獣。
その牙と顎とに噛み砕かれた少女の姿した天使は、その身を炎へと変え――唯一の相棒の傍で改めて神の被虐へと還元した。
「おい、神の被虐――研究はどうしたよ?」
「だってさぁ、すっごい煩くて、頭に来て――」
並び立つパンクスタイルの長身天使と、矮躯のゴスロリ天使。
対峙する、“白い悪魔”と“神殺す獣”、そしてエディ。
「山犬、いいところに来た――背を貸せ」
呼応し一回り小さくなった山犬の背に飛び乗ったノヱル。無論、その手に握るのは換装を果たした騎銃だ。
銃の効果により山犬の全身に力が漲る――その身体は一回り小さくなっても、先程の最大形態時と同じ出力を誇ることが出来る。
「ははっ、2対2、ってわけか」
「違うよっ、あっちは3だよっ」
見遣り、振り返れば山犬の空けた壁の大穴から、【神斬り武士】と化した天が瓦礫をぱきぱきと踏んで入り込んで来ている。
かつての微笑みは湛えられておらず、口許を繊月のようにか細く開く残忍な殺戮者の破顔を美貌に貼り付けて悠々と歩んでいる。
「あいつ……角が生えた途端にやばくなったの」
「へぇ――そこの優男とは大違いだな」
視線を受け、山犬の背の上でノヱルが顔を顰める。
「悪かったな、力不足で」
「いやこちらこそ悪かったよ、役不足で」
その遣り取りに破顔を深めた天がノヱルを見上げる。
「ふふふ――ノヱル、状況は?」
「やっぱお前天牛か。どういう状況も何も、多分お前と一緒だぜ?」
「ふふ、なら噺が捷い」
既に戦闘態勢へと移行した神の嗜虐は二人の会話に割って入る。
「おいおい、敵前だぜ? 呑気にお喋りたぁ無礼極まり無ぇな」
「神の嗜虐、アレ起動してもいい?」
「ああ――この畏れ多い不届き者共に、この食肉の楽園の素晴らしさを教授して差し上げようぜ」
邪悪な笑みを満面にした神の被虐が火の粉のような霊銀の粒子を閃かせる。
「――あんたは絶対に、私が燃やし殺してあげるんだから」
「ふふ、その前に斬り殺して遣ろう」
「……敵とデキてんじゃねぇよ」
「貴様は頭が沸いているのか?」
「あー、思い出した。そう言えば己れ、お前と仲悪かったんだったわ」
「賤方も出来れば貴様とは遭いたくなかった――だが、今はそんなことはどうでもいい。この天使共を惨殺して、一片の自由を謳歌する」
「へぇ――奇遇だな、己れも全くその通りだよ」
「ふふ――気が合う、ということにしておこう」
大穴の向こうで豚面の兵たちが固唾を飲んで見守る中。
盛大に破砕された広大な培養施設で神の軍勢と神殺し達による第二陣が始まる。
(……俺、もしかして蚊帳の外?)
そしてノヱルと天牛とやらが仲間であることからその輪に入って行けなかったエディは独り、その交戦の最中にどう跳び込もうかと考えあぐねていた。