消えない肉沁み⑯
「エディ、あんた囮役は得意か?」
「はぁっ!?」
慌てて自らの口を手で抑えたエディ――注視するも、まだ神の嗜虐は隠れる二人に気付いた様子は無い。
同じタイミングで胸を撫で下ろした二人は、再び全く同じタイミングで互いにキッと睨み合う。
「(いきなり変な声出すんじゃ無ぇよ!)」
「(そっちこそいきなり変な質問して来ないでくれ!)」
器用にも囁き声で啀み合うという芸当をやってのけた二人はしかし直ぐに押し黙る。
そんなことをしている場合ではないことは明白だ。何せ、ほんの僅かな隔たりの向こう側に二人の共通の敵である天使が呑気に歩いているのだから。
「(……勝算はあるんだろうな?)」
エディは再び食肉の影から高位の天使を垣間見る。
「(言っただろう、神の軍勢なら殺せる)」
「(……本気にするぞ?)」
「(十中八九、さっきみたいなことにはなるけどな)」
「(ふっざけんな――真面目にやれよ)」
「(こちとら最初っから大本気だよ)」
会話を打ち切ったノヱルは低速で回す人造霊脊が象る術式の形をひっそりと変更する。
急げば霊銀の揺らぎから動きを察知されてしまう――予測の域を出ないが、20秒ほどを費やしたなら気付かれることはないだろう、そうノヱルは踏み切った。
対してエディは静かに口腔内に溜まった唾液を嚥下すると、意を決する前に今一度ノヱルを振り返る。
あてにする機械人形は首肯で促し、エディ自身もまた首肯で返すと、すくっと立ち上がっては培養管の影から躍り出る。
「――おや?」
「失礼いたします!」
ビシっと挙手敬礼を決めると、その体勢のままエディは神の嗜虐に嘯きを重ねる。
「お耳に入っているとは存じますが、僭越ながら報告いたします!」
「ちょい待て。お宅、誰?」
「失礼いたしました! 神の息吹様より警備の任を拝命しております、与えられた位階は天使! 名を“神の踝”と申します!」
薄い眉を吊り上げて目を細めた神の嗜虐は明らかに疑念の抱いている。
黒く塗られた唇に同じく黒く塗りつぶされた人差し指の爪を差し入れると、整列する前歯を噛み合わせてがりがりと齧る――エディはここ食肉の楽園に潜入して日は浅いが、前任からその天使のその癖のことは聞き及んでいた。
しかしだからこそ、口車を止めるわけにはいかない。疑われるのは当たり前だ、自分が偽っているような下位の天使が直接“主天使”に物申すことなどあるはずはなく、だから口車の途中ですら迎撃される可能性は大アリ――ゆえに、口は嘘を回転させながら目はその一挙手一投足を見逃さないよう集中し、咄嗟に回避行動を取れるように緊張を張り巡らせる。
「報告内容は神の息吹様の現在状況についてです! 先ほど輸送業者により捕獲され連行された真なる人族二匹、そのうち一匹が魔術的画策により巨獣化、地下牢の天井を突き破り貯蔵棟の裏手にて警備兵および天族と交戦を開始しましたが、」
「――あのさ、結論から言ってくれないかなぁ? キミの報告って、神の息吹がどうなったか、って話だったでしょぉ? 端的にそれだけを先ずは教えてよ」
「はいっ! 失礼いたしましたっ! 神の息吹様につきましては――」
「己れの仲間が喰らい殺したってよ」
言葉と同時に放たれた銃弾。鳥銃による精密射撃は寸分違わず神の嗜虐の左眉のすぐ上に風穴を穿ち、その後頭部から激しく血肉を撒き散らした。
銃声の残響が硝煙とともに消えていく中でずたりと背中から崩れた神の嗜虐――動かないその姿に、エディはびたりと留めていた右腕を下ろし、ほぅと溜め息を吐く。
「――あんた、本当に殺せるんだな」
下がり眉で口角を上げたエディがノヱルに振り向いた瞬間。
鳥銃から双銃へと換装したノヱルは疾駆からの強烈な飛び蹴りを放って揉み合いながらエディとともに吹き飛んでは床を転がる。
それまで二人のいた地点には。
床を貫いて天井へと突き出された幾本もの太く赤黒い棘が生え。
「……何だよ、ハズレかよ」
頭を撃ち抜かれた筈の神の嗜虐が、むくりと起き上がる。
ノヱルの放った弾丸は確かにその頭を撃ち抜いているし、天使というのは頭部に核たる霊銀結晶が宿っており、それを破壊することで殺害できるという知識をノヱルとエディの二人は有してる。
だからエディは神の嗜虐が死んだと心の底から思い込んだし、逆にノヱルは炎を迸らせ灰へと変わらないその様子から“これはおかしい”と気付けた。
「あーあ、何だよ、興醒めだろ……殺したと思っていきがってる奴をぶち殺すのが醍醐味だって言うのに……死んだフリして損したじゃん」
顔の右側に垂らした白銀の挑発とは裏腹に刈り込まれた左側頭部をわしゃわしゃと掻いた神の嗜虐。苛立ちを表現した言葉とは対照的に、その表情は嗤っていた。
「ま・いっか――この俺様に騙し討ちとか洒落てんじゃんか。五臓六腑余すことなく浪費してやんよ」
告げ、差し出したは右腕。黒く塗りつぶされた五指の先端の爪に猩々緋の灯りが点っては迸る。
「クソッ!」
「なっ!?」
霊銀の揺らぎを感知したノヱルは再びエディを蹴り上げ、同時に床を両手の銃で数発打ち込んで自らは更に奥へと飛び退く――再び突き上がる、赤黒い棘。先程よりも正確に現れたそれらを完全に躱すことは出来ず、エディは咄嗟に身を捩ったが左の脇腹に、そしてノヱルは右足に浅いが鋭い切創をつけられてしまう。
「おいおい、それも対応するかよ――はぁ、本当洒落てんね」
わざとらしい道化た手振りで失意を顕にした神の嗜虐に、素早く起き上がったノヱルは換装した猟銃で以て激しい散弾の嵐を放つ。
耳を劈く銃声と、ほぼ同時に鳴り響く硝子の盛大に割れる音――食肉ごと撃ち抜枯れた培養管はパンキッシュな姿の天使に液と血肉の飛沫を浴びせる。
「うわっ、汚っ――」
「いざっ!」
「んぉ!?」
転身、からの抜剣、からの斬り上げ――エディの放った斬撃は天使の鼻先を掠め、更に破顔する神の嗜虐は飛び退きながら両手を振るう。
「面白ぇっ!」
「ちぃっ!」
真横の空白へと転がるように避けるエディ。入れ替わりに絶妙なタイミングで床から突き出る棘。
“ノエル、神を否定しろ”
(煩いっ! 黙れっ!)
その天使の姿を目にした瞬間から脳裏に打ち鳴らされる撃鉄の音のような呪詛。
振り払うように駆け出したノヱルは、その最中に特殊機能を解放した。
「“世を葬るは人の業”――」
額を突き破って出でる、天使の棘と同じほど赤黒い尖角。
新雪を思わせるほどに真っ白へと濯がれる頭髪。
屍人とほぼ変わらないほどに蒼褪めていく肌。
「うぉいっ、そいつはいただけねぇなっ!」
白い悪魔へと変貌したノヱルが放つ、必滅の凶弾。
「――“神亡き世界の呱呱の聲”!」
四枚の翼をはためかせて後方へと大きく飛び退いた神の嗜虐へと追い縋る、三連装の猟銃から放たれた黒い三連星。
それぞれが歪んだ軌道で培養管を貫いて破砕させながら、天使へと届くその最中に割れ裂けて幾百という黒い流星へと変貌した。
「ははははは!」
そのあり得べからぬ光景に笑い声を轟かせた神の嗜虐は、湾曲して殺到する無数の散弾に穿たれ、周囲の培養管もろとも破壊の渦の中に飲まれていく。
「……凄ぇ切り札だな」
感嘆するエディ。しかし。
「いや、――――」
黒い硝煙が上がる渦の中心――そこに倒れ伏した神の嗜虐は、やはり炎へと散らない。
ゆっくりと起き上がり、身に付ける衣服や鎧に空いた無数の孔に嘆息しては、埃を払うような素振りを見せて前を――二人を見据える。
「ご苦労さん――――じゃあそろそろ死んじまおうか?」
天使だと言うのにその貌は。
白いノヱルにも増して悪魔然としていた。