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消えない肉沁み⑮

 ざわざわと揺れる大気。

 天を中心とした半円の囲いは、徐々に剣呑とした空気を纏い始める。


 殺気が溢れ、その矛先が天を向く。


「……天、」


 シシはやはり奥歯を震わせながら、シュヴァインの背の影でその戦場を見守っている。

 いや、見守る、という意思はそこには無い。見ることしか出来ないから、ただ見ているだけだ。


「お開けなさい、と申し上げましたが……聞こえませんでしたか?」


 無論、兵たち天使たちにそのつもりなど毛頭ない。陣形の展開はもう終わっている、だから直ぐにでもその細身を取り押さえて後ろに守る二人ともども捕まえるだけだ。

 だがそうしないのは、先程兵を投げ飛ばした謎の技術。それが判明しないことには、同じ轍を踏むことになる。だからなかなか動けないでいる。


 考える知性があるというのは、時に停滞を選択してしまうものだ。


「グルゥァッ!」


 だからこの局面で、躊躇いなく動いたのは天獣だった。

 豹の姿に白い翼を背に持つ“レオパーダリ”が一匹、ジグザグに跳躍しながら襲い掛かった。続けて二匹も追従し角度をつけて天へと疾駆する。


 だがその牙は天の身に届かない。


 跳びかかってきた顎を下から掬うように右掌で打ち付け振り抜くと、レオパーダリはその勢いのままに前線の端へと飛んで行った。そこにいた遅れて飛び出したレオパーダリは避けきれずにぶつかり合い、錐揉みながらごろごろと転がって退く。


「ガゥルッ!」


 反対側から跳んできたレオパーダリに対しては、転がるほど低く屈んだ体勢からこれもまた顎下を激しく右拳で打ち付け、今度は振り抜くのではなく開いた五指で首を捕まえたかと思えば捻り返して地面へと叩きつけた。


「グキュッ!」

「う、うおおおおお!」

「わぁあああああ!」


 その攻防が機となり、兵たちが構えた各々の武器を振り上げながら突進を始めた。


「はぁ――本当に、しょうがない方たちだ」


 上半身を仰け反らせて横薙ぎの剣閃を躱した天は、踵で地面を押しながら伸びあがった膝を脱力させることで低く屈み、つんのめった兵の腹を差し入れた背に乗せるようにして後方へと転がすと、突き出された槍の穂先を身体を反転させる動きで避けてその勢いで肘を兵の脇に掬うように叩き込む――板金鎧にも関節部には隙間があり、そこを見事に的確に打ち抜いたのだ。


 流れる清流のような自然体の動き――左手は白鞘に添えたまま、運足と体捌き・右手だけで構築する天の攻防は、まるでト書きに記されているように予定調和めいていた。

 怒号とともに襲い掛かる兵たちは雲か霧を相手にしているかのように軽くいなされ、そして次々と投げ飛ばされていく。


 投入された豹の天獣(レオパーダリ)凧の天獣(アネモプロイア)に対しても、天の流れるような動きは完璧だ。天獣ですら傷一つつけることなく投げ伏されていく。


 気が付けば豚面の兵たちは全員が地面に転がっており――そこに、彼らごと焼き払う容赦の無い【紅蓮の聖蹟】(スティグマ・フローガ)が叩き込まれた。


「天っ!」


 思わずつんのめるシシを抑えるシュヴァイン。眼前では、煌々と燃える紫紺の炎が爆ぜ、菫色の煙を上げている。


 しかし、炎が爆ぜる瞬間――金属音が小さく響いたのをその【聖蹟】(スティグマ)を放った権天使(アルケー)は聞き逃さなかった。

 眉間に皺を寄せて睨み付ける彼は、()()()()()しくじった。その場に留まり煙が晴れるのを待ったからだ。敵が何をしたかを、その場で確かめようとしたからだ。


 それだから、天の放った()()に首を刎ねられたのだ。


「――“神薙”(かんなぎ)


 菫色に煙る最中から現れた白刃の一閃は半円状に展開されていた天使たちの陣形の隅々まで強襲し、彼らの首を悉く断ち切った。

 即座に色とりどりの炎が舞い上がり、20個を超える焦げた霊銀(ミスリル)結晶がその場に転がった。


「……天?」


 堪らず疑問を発したシシ。菫色の煙が晴れると、腰を落として左手を白鞘に添えた天が、差した刀の柄に右手を添えてそこにいた。


 しかしまだ、天獣たちは残っている。一部、【聖蹟】(スティグマ)の直撃を逃れた食べる人族(ヴェントリアン)は戦意を喪失しているが、7体の豹の天獣(レオパーダリ)と4体の凧の天獣(アネモプロイア)は天の姿を視認すると殺到する。


 しかし天には届かない。


 鞘に添えた左手の親指が鍔を押す――振り抜かれた白刃が煌めいて長大過ぎる軌跡を描く。

 鞘に帰った刀の切羽が鞘の鯉口に擦れる金属音に遅れて。

 天獣たちは、皆一直線に断ち切られていた。



   ◆



「改めて――俺はエディだ。この食肉の楽園(ミートピア)で生まれ、“禁書”(アポクリファ)に買われて戦士となった」

「へぇ、その“禁書”(アポクリファ)とやらはそんなことをしてるのか」

「ああ。大陸全土に“粛聖”(ジハド)が及ぶ前に、神の軍勢を討つために仲間を集めているのさ」


 研究棟へと目指しながら地下の連絡通路を走る二人。警備兵や天使は皆、地上での騒ぎに駆け付けたのかあれ以来遭遇は無い。


 無論、行く先に天使や天獣がいないことをノヱルは判っている。索敵機能には馬鹿デカい反応ひとつしか見当たらないからだ。細々とした反応はやや逸れた場所で目まぐるしく動き回っている。


 階段を一階層分上った二人はさらに廊下を西に進む。すると、これまでよりも大きな鉄扉が目の前に現れ、エディは扉の横に設けられたコンソールに銀色の指輪を近づける。

 紅玉(ルビー)が仄かに光り、扉は両側へとスライドし、隠された向こう側の景色を二人に見せつける。


 広がっていたのは、夥しい数の硝子柱――薄緑色の液体で満たされたおよそ直径1メートル、高さ2メートルほどの柱の中に、いくつかの管が繋がれた真なる人族(ヴェルミアン)が眠っているのだ。


 その光景に顔を顰めたノヱルは当然疑問を口にした。


「これは何だ?」

()()だよ、食肉の」

「養殖?」


 前へと歩きながら、エディはノヱルに説明する。

 飼育員が担当する食肉は()()()()とされ、高価格で取引するためのもの。母体となる()()の数は実に限定的であり、現在の食肉の需要には100%答えることが出来ないことから生まれたのが、この()()()()だ。


 苗肉から取り出した卵子と種肉から取り出した精子とを試験管の中で人工授精させた後で、この硝子柱――培養管に移して保存し、育成させる。

 食肉に必要な栄養だけを詰め込み、規定の大きさまで成長すると直ぐに取り出されて解体される。


 愛情や教育は、彼らにとっては必要ない。


「この奥の部屋では、部位ごとの養殖の研究が進められている」

「部位ごと?」

「ああ。肩ロース、バラ、腿肉、各種ホルモン――部位単独での培養が可能になれば解体すら不要になるだろ?」

「……成程な」


 天使の姿を纏うエディの顔に影が落ちる。彼も元々はこの施設で生まれた食肉だった。何か思うところがあるのだろうとノヱルは推察したが、この研究に対する知的好奇心の方が勝っていたため特に何も訊かなかった。


 時折、硝子の向こう側で目覚めた太ましい食肉と目が合った。

 しかし焦点は合っておらず、何かを訴えるような意思は感じられない。


「目を合わせない方がいい」

「どうして?」

「……胸糞悪くなるからだ」

「己れはそうはならないみたいだ」

「そうか、お前……機械人形(ヒトガタ)だったな」

「悪いね、あんたのように道徳心のある人間じゃなくて」


 エディの表情が険しくなる。しかしノヱルの意には介さない。


止まれ(ストップ)――」


 突如ノヱルがエディの肩を掴み、そして培養管の影に引き込んだ。膝を折って屈みながら、食肉に隠れて進もうとした先の様子を注意深く伺う。


「どうした?」

「しぃっ――()()()()だ」


 立てた指を唇に当て、静寂を呼び込むノヱル。教えられた言葉にエディもまた彼に倣うと、奥の扉が開いて天使が現れる。


 一目見て解るほどの驚異――まるで王冠のような光輪と、2対4枚の背中の白翼。


主天使(キリアヒヤ)神の嗜虐(カタクリシエル)――食肉の楽園(ミートピア)の管理者の一人だ」

「へぇ――そいつは楽しみだ」


 呟き、ノヱルは乾いた唇にべらりと舌を舐めずらせた。

どこからどう見ても「約ネバ」ですね。

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