消えない肉沁み⑭
「……君は、“禁書”か?」
「何だその“禁書”ってのは」
突き刺すような視線を真っ向から受け止め、自らもまた睨み殺すほどの眼力を行使するノヱル。
「“禁書”というのは、神の軍勢に反旗を翻す解放軍のことだ」
「へぇ……つまり、同業他者ってことか」
睨む目が細まる。つまらなそうな溜息を吐いたノヱルは右手にぶら下げていた猟銃を棄却し、右耳の裏をガリガリと掻いた。
「同業他者?」
「ああ。己れの命題もまた、神を殺すことだ」
「命題?」
「己れはフリュドリィス女王国にて創られた狩人型自律代働躯体、識別名称ノヱル。……悪いな、真なる人族じゃなくて――ところで、呆けているところ悪いんだが、ここから出してくれないか?」
ノヱルの告白に茫然としていた天使は、はっと気付いたように右手を差し出す。
人差し指に嵌められた銀色の指輪、その頂点に座す紅玉が触れた瞬間、霊硝の障壁は開かれ、確かな足取りで見慣れぬ軍服を着た青年が廊下へと出る。
「……その軍服、」
「祖国のものだ――とは言っても、先程言った通り、別に己れは軍人じゃないんだけどな」
さて、と独り言ちたノヱルは頭部の中心で起動し続ける索敵機能から目指すべき場所を検索する。
天使および天獣の数がとりわけ多いのはここからちょうど真東――きっと山犬が暴れているんだろう、群れる数が失われるとほぼ同時に増援が余所から集まって入り乱れている。
しかし、最も大きな反応は真反対――西だ。
「君も、神を殺すか」
「そういう風に創られたからな」
大きく穴の空いた天井を見詰めるノヱルだが、彼の跳躍力では跳び上がれそうにない。
それを察した天使は彼が来た廊下の奥へと駆け出す。
「こっちだ」
追従するノヱル。彼がどうして天使の姿を偽装しているのか、そして彼自身がどういう目的で動いているかは定かではないが、予測ならつく――利用できるものならば、利用するべきだ。そう頷き、その背を追うために軍靴を鳴らす。
「何処へ向かう?」
地下牢の廊下を進み切り、両開きの鉄扉を抜けて新たな廊下をひた走る。
その最中でノヱルは再び、不意の交戦に対応できるよう人造霊脊を回し始める。
「その前に、君がどれほどの力量があるかを知りたい」
「神の軍勢ならば殺せる」
「ならば、向かう先は研究棟だ。その最奥にこの施設を牛耳っている天使がいる」
索敵機能に表示された最も大きな反応――そいつだろう。向かう先とその方角は合致している。
しかし次の鉄扉を開けた瞬間、天使の尖兵たちと鉢合わせた。
「っ!」
「“双銃”」
鳴り響く発砲音。ノヱルの両手から連続で放たれた銃弾は美麗な顔面を正確に貫き、先頭にいた二体の天使を屠る。
「――っ! 敵襲、敵襲っ!」
腰の鞘から剣を抜く、残る三体の天使――最も位階の低い者たちだろう、頭上に冠す光輪は実に単純なドーナツ型だ。
「退いてろ」
偽りの天使の前に身を曝したノヱルはまたも引鉄を引く。しかし白兵距離での銃撃は直線的過ぎる。天使たちは広い――特に天井の高い――廊下を上左右に散開して弾道を掻い潜っては肉薄する。
「ちっ」
舌打ちしたノヱルは双銃の特性である“格闘機能上昇”を利用して振られる剣閃を避けながら、銃把の底部での打撃や蹴りを駆使して距離を取ろうとする。
しかし天使は知恵を有する。入れ替わり立ち替わりの立体的な攻防で剣の距離を保ちつつ的を絞らせないための一撃離脱を繰り返した。
「――喰らえっ!」
そんな折り、偽りの天使が腰から抜いた剣を唐竹割りに振り下ろした。
咄嗟に天使が飛び退いたことでそこにちょうどいい空間が生まれる。
「ナイスっ! “猟銃”!」
双銃から猟銃へと換装したノヱルは散弾を撒いて天使たちの肉薄を阻み後退させると、次いで引鉄を引いて白い肌に幾つもの小さな穴を穿つ。
天使の肌に血の飛沫が生まれ、その傍から翡翠色の火の揺らめきとなって消えていく。
「ぐぅっ!」
「てやぁっ!」
間隙を衝いて偽天使が薙いだ一閃が天使の首を深く斬り付けて絶命させた。命を喪った身体は翡翠色に燃え上がり、カランと焦げた霊銀結晶が鉄の廊下に転がる。
「貴様ぁっ!」
偽天使に両側から襲い掛かる天使たち。上空からの袈裟と、低い体勢からの逆袈裟――その両方を対応できる偽天使ではない。
だから偽天使は低い体勢を取った天使に向き直ると同時に、強く握る剣の切っ先を突き入れる。
上空の天使は換装されたノヱルの騎銃の強撃を受けてぐるりと回転しながら宙で炎へと消えた。
ほぼ同時に、カランコロンと焦げた霊銀結晶が転がった。
「はぁ、はぁ――っ」
「悪いな、結局手を煩わせちまった」
「いや――正直驚いた。神を殺すと言う割に君は……そこまでじゃないか?」
「煩い。これから強くなるんだよ」
これ見よがしに大きな溜息を吐いたノヱルは、床に落ちた五つの霊銀結晶を拾い上げて懐に仕舞うと、再び偽天使に先導を促した。
◆
「こっちだ」
喧騒を掻い潜り、兵達を遣り過ごしながら進む天たち三人。
シュヴァインの案内により、安全なルートを選択しながら西の立体駐車場へと向かう。
研究棟に併設されたそこならば、職員たちの乗る車両がいくらでも手に入るだろうという算段だ。走って場外へと抜け出るには、この施設の規模は大きすぎるのだ。
しかしいつかは危険に直面しそれを乗り越えなければならない。
運命とはそういうものであるし、そしてその局面は今まさに訪れていた。
「……あれが研究棟ですか」
「ああ……やはり、固いな」
あと100メートルも走れば目的地。だと言うのに、その手前にある研究棟の表には幾人もの豚面の兵士が職員たちを避難誘導しており、そして天使が天獣を召喚して警備を増強している。
「ここ以外のルートは?」
「無いことも無いが、どこも似たようなもんだろう」
身を寄せるシシはぎゅっとシュヴァインの服を掴んでいる。愚問だが、この二人が戦闘要員に数えられるかと問われれば天は直ぐに首を横に振っただろう。
「……あまり、“自由”を奪いたくは無いのですけどね」
身を隠す壁の影からさらりと表へ姿を見せた天。当然、道を切り開くつもりだ。
「止まれ!」
「お前、見ない顔だな」
「そうでしょう、賤方も昨日ここに来たばかりですし」
「後ろにいるのは……シュヴァインか? どうして食肉も一緒にいる?」
不用意に近寄ってきた食べる人族兵が突如、天と肉薄した瞬間に宙を舞った。
混凝土で固められた地面に背中を強打した兵は「ぎゃっ」と短い呻きを漏らしたが、板金鎧で身を固めているため衝撃はあっても損傷はほぼ無いも同然。
しかし、それは明らかに攻撃だった。
だから避難誘導をしていた兵たちも、その指示をしていた天使たちも、待機していた天獣たちも誰しもが天を睨み付けた。
投げ捨てられた兵もごろりと転がって腹這いになると、起き上がりざまに距離を取って取り囲む半円の最前列に立ち並ぶ。
「嫌だなぁ、不躾に賤方の肩に手なんか置くからですよ――自由を奪われたなら、奪い返さないと気が済まない質なのです」
そして天は、周囲をゆっくりと見渡しながら腰を低く落とす。
左手を、腰に差した白鞘に添え。
右手を、だらりと身体の前に垂らして。
「――お開けなさいな。何も賤方は、奪わなくていいようなものを奪うつもりは無いのです」




