消えない肉沁み⑫
――いる。一人二人じゃない、大勢がいる。
武装した豚面の兵たちに連行されながら、ぐったりとした風を装うノヱルは躯体の内側で起動させた索敵機能から得られる天使たちの位置情報を読み取りながら、口の端が持ち上がりそうになるのを必死で堪えていた。
「失礼します!」
昇降機で地下へと移り、やがて先頭の兵は大きな鉄の扉を前に声を張り上げる。
風が擦れる音と共に左右へと開いた扉――その先に伸びる機械的な雰囲気を持つ廊下は、透明な硝子で区分された簡素だが堅牢そうな牢を左右に連結している。
材質に余分に霊銀が練り込まれている辺り、おそらく生半可な衝撃は通じないだろう――骨の折れそうな造りだと、横目で牢を盗み見たノヱルは無言で呟いた。
「連絡のあった真なる人族か」
「はいっ!」
早速お出ましだ。
扉を潜った2メートル先、廊下の中央に立ちはだかっているのは、円形の光輪を冠し左右一対の白い翼を持つ美麗な青年だ。
若く見えるとは言え、天使というのは生まれてから死ぬまで定まった姿を崩さない。だからその天使が見た目通りの若造では無いことをそこにいる誰もが知っている。
「報告通り二人だな。神の息吹様も直にお見えだ、牢に放っておけ」
「はいっ!」
豚面は愚鈍そうな顔立ちからは伺い知れぬ真摯な態度で機敏な挙手敬礼を見せると、踵を返してノヱルと山犬に近寄る。
そしてすぐ傍、扉に一番近い右側と左側の牢の硝壁に、右手に嵌めていた指輪が冠す紅玉を当てた。
すると硝子は人が入れる程の穴を空け、豚面の兵たちがノヱルを右に、山犬を左の牢に押し込む。
(……無駄に高度な技術なことで)
ノヱルの静かすぎる嘆息に気付かず、薄ら笑いを浮かべた天使が格子の外から山犬を見遣る。
「……女の方は苗肉に出来そうだな」
ほぼ下着同然の衣しか身に着けていない山犬の肢体は煽情的と言える肉付きの良さを見せつけている。色に狂おうとしないのは単に天使には生殖が不要だというだけのこと。
実際に連行した豚面の兵のうち若い一人は、薄くざらついた自らの唇に舌を這わせて、その肉にしゃぶりつくことが出来ないか頭の中で算盤を弾いていた。
(――まだだ、まだ待て)
ノヱルは霊銀通信で山犬に現状を維持するよう指示を出し、状況の変化を見極める。
本当ならば目の前に天使のいる今、直ぐにでも暴れ出したいくらいだったが――ノヱルはより効率よくこの場所を支配する天使を殺戮する算段を既に思いついている。
先ずは頭だ。
最も高位の天使を殺す。そうすれば場は荒れ、混乱が混沌を生み、有象無象が右往左往する。
だからノヱルは躯体の内、頸部に備わる人造霊脊を低速運転させ、静かに術式を組み上げていた。想いさえあればその両手に三連装の猟銃をいつでも直ぐに喚び出せるよう。
そして数分が過ぎ。
分厚い鉄扉の向こう側で僅かに昇降機の稼働音が近付き、止み、扉が自動で開く風の擦れる音が窓の無い廊下に響く。
「お疲れ様です!」
廊下の中央に陣取っていた豚面の兵たちが揃いも揃って右の手刀を額に翳す。
「ああ、ご苦労。神の膝、件の真なる人族は……こいつらか?」
現れた、白金に輝くさらりとした長髪を靡かせる、長身瘦躯の美男――冠する光輪の形から看守役の天使よりも高位であることが伺える。
神の息吹だ。
「はい。どうでしょう、女性の方は苗肉にするとして……」
「種肉は?」
「不要かと」
「ならば廃棄だ」
「承知しました」
天使と天使との会話がひと段落したその瞬間だった。
「ん……むにゃむにゃ」
「「――っ!?」」
ぐったりと冷たい床に倒れ伏していた山犬が、寝返りを打った。
「……もう食べられなぁい……なんてことは無ぁい……」
誰もがその痴態に目を丸くした。
あろうことか、山犬は本気で眠りこけてしまっていた。口許に涎を垂らして。
だが、その事態にノヱルだけが目を見開く。
(――山犬、よくやった!)
待機させていた術式が魔法円となり、すくっと立ち上がった彼の両腕に展開されては魔器の形状を宿していく。
改造により三連装となった猟銃――左手で砲身を支えるノヱルの右手はすでに銃把を握り銃床を右肩に当て引鉄に指がかかっている。
しかし魔術が行使されたことで少なからずその場の霊銀は揺らぐ――天使二人だけがそれを察知して振り向き、美貌を歪めて怒号を、或いは天使特有の魔術である【聖蹟】を放とうとした。
「遅ぇ」
雷鳴のように轟く重厚な発砲音、それも三発。
放たれた実包はその身に秘める散弾を撒き散らす前に硝子の壁に衝突し――
「……は?」
傷一つ、つけられなかった。
「ふ、ふふ、ははっ、ははははははっ! これはお笑い草だな神の膝! 見てみろこの男の表情を! どのようにしてそのような魔器を持ち込んだかは知らんがまぁいい! ――この霊硝は貴様のような賊如きに破られる代物では無い!」
猟銃の装弾数は三発――つまり既に全弾を打ち尽くしたそれは、新たに弾丸――猟銃の場合は実包――だけを創り出して装填するか、若しくは銃そのものを換装しなければ使い物にならない。
しかし最もその破壊力を発揮するその至近距離での銃撃でさえ傷ひとつつけられなかったという結果は、この場所においてノヱルには何も出来ないということを諭す。
改造により命中精度を強化した鳥銃は長すぎてこの牢内では取り回せない――途端にノヱルの表情は実につまらないものになった。
だが銃撃に意味はあった。
天使二人と兵たちがノヱルに集中するその背後で、たった今まで眠り姫となっていた山犬が爆音という名のキスを受けて目を覚ました。
「んみゅぅ……?」
ランゼルの運転する輸送車の後部座席に乗った直後から記憶の無い山犬は、どうして自分がこんな場所に連れ込まれているのか、その理解に時間を要した。だから山犬は考えないことにした。考えるよりも先に、天使が目の前にいるという状況を見てここがすでに戦場――彼女にとっては“餌場”――であると本能で頷く。
ならば――喰らうべきだ。
「ねぇ」
ゆっくりと立ち上がりながら、腹を押さえたり胸を撫で下ろしている天使と兵たちに向かって甘い声を投げかける山犬。
その後に続く台詞などとうに決まっている。
「きもちいぃことしよ?
エロくて、エモくて、エっっっグい――“神殺す獣”」
緋が爆ぜた。