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消えない肉沁み⑪

(ボク……どうすればいいんだろう……)


 薄く開かれた扉の向こう側に蹲るシシは独り狼狽に震えていた。

 思考を巡らせれば巡らせるほど、浮かぶのは取り留めのない――しかし大切な、これまでの記憶(おもいで)ばかり。


 自分に向けられていた“食肉として美味しく食べていただく”ための情熱は全て嘘だった。

 寧ろ、食肉として簡単に売り出されないように食事や生活の時間を調整され、その結果シシは“規格非適合”の烙印をずっと押され続けていたのだ。

 シシが食肉として大成しないのは全て、シュヴァインの仕業だった。


 どうして。


 どうして。


 どうして、ばかりが脳内で反響する。

 自分たち食肉は、美味しく食べてもらうことこそが本懐だ。そのために生まれ、育ち、そして死んでいくのだ。

 どうしてそれを邪魔するのか――シシには解らなかった。何故ならシシは、それ以外の生き方を知らなかったからだ。


 誰かの糧となることは誇りそのものだ。

 誰かの命を築くのだから当然だ。

 屍となってさえ、骨髄から沁み出すエキスは上質な出汁となる。


 骨も皮も毛髪でさえ、余すことなく消費される――それが、食肉の理想。


「……今はまだ、話すことは出来ない」


 戸惑いが三半規管を揺らすシシは立ち上がることさえ出来はしない。だから板張りの廊下についた手で身体を支えながらゆっくりと扉の隙間に顔を近付けた。


「いいえ。話すのなら、今でなければいけません」

「どうしてだ?」


 食卓(テーブル)を挟み論議を拳のように交わす二人は、いつもと丸っきり違って見えた。

 穏やかそうな顔を見せる天が纏う雰囲気は悪魔めいていたし、対するシュヴァインの表情は強く、まるで卵を守る母竜のようだと思った。


 ――ならばそれは、一体何を守っているのか。


「……賤方(こなた)もつい今しがた知った情報ですが」


 そう前置きして語られた天の“可能性”は、シュヴァインおよび盗み聞きをしているシシの顔を蒼褪めさせるには十分だった。


 ――食肉の楽園(ミートピア)が崩壊する。おそらくは、今晩中に。


 血の気の引いた頭部から熱が失われ、たちまちに起こる眩暈にぐらりと上体を揺らしたシュヴァイン。

 冷めた目でそれを眺めていた天は動こうとしない。


 だが、シュヴァインの身体が床に崩れることは無かった。


「シュヴァインさんっ!」


 咄嗟に扉を開け放って駆け付けたシシが、その身体を支えたからだ。


「……シシ、どうして?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ゆっくりと瞼を下ろした天は、深い嘆息を投げた。

 察知した気配から恐らく聴いているだろうな、とは思ったが――出来ることならシシには、シュヴァインの口から全てを聴かせたかった。


 ちゃんと、面と向かって、その真実を。


「……思い通りにはならないのも、また世界あるいは運命の“自由性”ですね」


 その呟きは、二人の耳には届かないほど小さかった。

 改めて二人を見据えた天は再び口を開く。


「今この街に賤方(こなた)同胞(はらから)が二()、侵入を果たしました。賤方(こなた)も含め、彼らは“神殺し”を命題とするヒトガタ――天使が直接管理する食肉の楽園(ミートピア)とあれば容赦なく打ち滅ぼすでしょう。それこそ、今晩にでも」


 食卓(テーブル)に手をつきどうにか身体を支え直したシュヴァインの奥歯は僅かに震えていた。

 シシは涙を多分に纏った眼球を忙しなく泳がせ、背中に走る悪寒に華奢な両脇を締める。

 シュヴァインの服を掴む両手の十の指はまるで固まったように強く握られ、麻織の生地に皺を刻んだ。


「天、聞かせてくれ――お前は、食肉の楽園(ミートピア)を滅ぼしに来たのか? お前は、“禁書”(アポクリファ)の使者なのか?」

「いえ、まさか――“禁書”(アポクリファ)、というのが貴方方の組織の名前ですか?どちらにせよ知りませんし、賤方(こなた)は言ってしまえば、食肉の楽園(ミートピア)がどうなろうが与り知る由は無い、というのが本分です」


 こほん、と咳を払った天はまたも続ける。


「それに――賤方(こなた)は自由こそを最も尊重します。一度神の軍勢に滅ぼされはしたものの、何の因果かこうして二度目の生を頂いたのですから――自由を謳歌するため、風に攫われる木の葉のように世界を旅したいと思っています」


 天は彼の仲間とは異なり、食肉の楽園(ミートピア)に関してどうこうするつもりは無い、ということを確認したシュヴァインは一端は落ち着いた。しかし結局、彼の仲間が工場を襲撃するという予測が拭われたわけでは無い。


 そしてそれに関して、天が彼の仲間を説得して止めさせるという意思は持っていないことも明らかにされた。

 だから一層、シュヴァインは焦燥する。


 これが。

 真なる人族(ヴェルミアン)の復興を望み神に離反する【禁書】(アポクリファ)の計画ならばまだ良かった。

 しかし一切が関係なく、だからこそシュヴァインは【禁書】(アポクリファ)の構成員に接触する必要があった。


 その、高速で円転する思考を余所(よそ)に。


 天はシュヴァインの傍で何も考えられずに動じてばかりいるシシに視線と言葉とを突き刺した。


「シシ――――貴方は、どうしますか?」


 次いで、天は受けた恩義をきちんと精算したいと(のたま)った。シュヴァインの願いを叶える手助けをしたいのだと。

 しかしだからと言って、シシの意思に反して【禁書】(アポクリファ)に届けるまでの間、彼女を護衛することはしたくないとも告げた。

 彼にとって、その者が持つ“自由意志”が何よりも優先された。


「さぁ――食肉として喰われることを願い、ここに残るか。それとも真なる人族(ヴェルミアン)としてシュヴァイン殿とともに生きることを選ぶか。将又(はたまた)――異なる独自の道を征くか。お選びなさい、シシ。意外と、時間は残されていません」


 頭部に内蔵された霊銀信号検知器(ミスリルディテクター)が同じ命題を持つ残り二基のヒトガタの動きを逐次報せる中、天は密かに詰まらなさそうな溜息を吐いた。

 見据えるシシは選択を迫られても尚、何一つ選ぶことが出来ないでいる。これでは、恩義に報いたいという自分の自由意志すら棄却されてしまうばかりだ。


「――とにかく、賤方(こなた)は貴方方と一時共に在ることにします。答えが出たらお聞かせくださいね、シシ」


 蒼褪めた顔の双眸は見開かれ、先程からかちかちと噛み合わさる歯の音は感冒に臥す患者のように寒そうだ。


「……工場に行くぞ」

「え……?」


 そんな中で、選択肢を決めたのはシュヴァインだった。


「どういう理由でしょうか? わざわざこれから戦場となる場所へ、シシを連れて行く気ですか?」

“禁書”(アポクリファ)と接触しなければ始まらない」

神の贖い(エザゴラエル)はもういないのでしょう? 誰がそうだか、シュヴァイン殿に見抜けるのですか?」

「いや……しかし……」


 本日最も大きな溜息を吐き捨てた天は、しかし立ち上がるとツカツカと歩み寄り、手を差し伸べた。


「“影”に注意を払ってください。光輪および翼の影の無い者、それがその指輪で正体を偽装している者の証拠です」

「……来て、くれるのか?」

「勿論、シシがどうするかによりますが」


 ちらりと隣のシシを流し見ると、やはりまだ答えは出ていなそうだ。

 しかしぎゅっとしっかりシュヴァインの服を握るシシが、今更彼の傍から離れるとは到底思えなかった天はひとつ頷く。


「――行きましょう。()とは、()ばれるものですから」



   ◆



「止まれ」


 食肉の楽園(ミートピア)正門――日も落ちすっかりと闇に染まった空の下、門番を務める豚面の大男は輸送車(カーゴトラック)の運転席に歩み寄ると、硝子越しに提示された通行証を確認して前方を指差した。


「ご苦労! 進め!」


 ビシっとした挙手敬礼に見送られて構内へと進入したランゼルはハンドルを切ってアクセルを踏む。


 後部座席には後ろ手に縛られ、猿轡(さるぐつわ)を嚙まされたノヱルと山犬の姿。二人とも、ランゼルの妻が施した薬の効能により朦朧としている振りを決め込んでいる。


 輸送車(カーゴトラック)は乱立する建物のひとつ、その裏手に乗り付ける。ランゼルは運転席から舗装された地面へと降りると、駆け寄ってきた番兵に挨拶がてら二人のことを伝える。


「済まんが天使様は何処におられる? 放浪中の真なる人族(ヴェルミアン)を捕まえてさぁ、引き渡したいんだが」

「はい、分かりました。今すぐお呼びいたしますっ!」


 告げ、若い豚男は見た目にそぐわぬ俊敏さで駆けていき、建物の中へと消えていた。

 それを尻目に、ランゼルは後部座席のドアを開け放つと身を乗り出してノヱルに顔を近付ける。


「……着きましたぜ、旦那」


 朦朧としている演技は見事と言えた。ノヱルは双眸が向く焦点を泳がせながら薄ぼやけた視界で周囲の地形を把握していく。


 やがて建物から出て来た先程の若い豚男は、四人の仲間を引き連れてノヱルと山犬を連行し、そしてランゼルを内部へと案内する。


 ぐったりと身体を弛緩させながらしかし、ノヱルはいつでも交戦できるよう内側の緊張感を高めていた。

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