“いい日にはいい縁あり”
「全く――――クソみたいな終わりにしやがって」
起き抜けにそんな荒々しい憤りをぶつけられ、元々の仏頂面に拍車がかかる。
起き上がったノヱルは視界の端に映る周囲の景色を分析しながら、眼前で玉座に腰掛けふんぞり返っている女に敵意を返す口調で告げた。
「随分な自己紹介だな。だがお前の人となりを語るには雄弁だった」
「座れ」
途端に躯体は硬直し、直後力が抜けた。がくりと膝は独りでに折れ曲がり、岩肌に正座する格好となる。
眉を顰めて睨み付けてみても、ふんぞり返る女性は未だ偉そうな姿勢を崩そうとはしない。それどころか、更に深みを増した目付きで睨み返して来る始末だ。
「単に神を殺せば良かったものを――――否定し、その存在までも抹消するとはな」
「お前は誰だ」
「黙れ」
途端に喉が締め上げられ、ノヱルは言葉を失った。
考えることは出来る。だが思考を言語に変換する機能だけがどうしてか強制終了されたようだ。ますますその眉間の皺は深度を増し、視線のぎろりもまたぎゅわりへと強度を高める。
だがやはり、女は態度を改めようとはしなかった。それどころか言葉を失ったノヱルに対し、やれ主人公として格が低すぎるだの、思考と手段が低俗だだの、仲間を頼り過ぎだだの、人間に憧れを抱き過ぎだだの、事細かに愚痴を吐き続ける。
「どうしてお前なんかが、私の物語の主人公に収まってしまったのか――」
大きな溜息を吐いて、しかし女の口は漸く閉じた。
忌々しいにも程がある口振りだったが、しかしノヱルもまた彼女の言い分に納得できないわけでは無い。
確かに、型落ちの躯体、他者と比べ伸びしろに溢れた性能、ぶっきらぼうながらも社交性に満ちた性格と――――それらは全て、神を討つという命題にとっては弱点、急所と言えるのかもしれない。
彼女の言う物語というのが何かはよく分からないが、それがもしも自分の歴史、ひいては世界との関わり方の道筋、というようなものであれば、もっと直進的であっても良さそうなものだ。
「ただ、ノヱルという名はよく出来ていた」
「……」
相変わらず、何が言いたいのかよく解らない女だ。
だが初めて見せる口角を上げた表情に、ノヱルは周囲の空気が変わっていくのを感じ取った。
あの楽園のように、無機質で殺風景な景観だ。ただ、幾許か狭い。
半球状の室内は半径が凡そ二十メートル程度だろうか。灰色のつるりともざらりともしていない質感の床に、天蓋もまた同じ材質と思える。
柱の無い空間の中心には、円形の台座が盛り上がっており、その中心にはあの女が座る無骨な玉座めいた椅子がただ一つぽつんと置かれている。
そしてその空間の端――外縁には、不均等な間隔で四つの像が立っている。
普通なら、例えば東西南北というように、九十度の角度をつけて配置すればいいものを――――剰え、それぞれの像は背格好や衣装がそれぞれに異なり、人型をしている点くらいしか共通点を見出せなかった。
(元々は、六つ? いや、七つか……)
恐らくそこに像が立っていたのだろうという痕が三つ、四つの像の間に見受けられる。
それが何なのかを思案していると、不意に女が椅子から立ち上がった。
「よぅし――本題と行こうか、ノヱル」
「本題?」
発して漸く、言語機能が再起動している事実に気付いたノヱル。思い立って試行してみれば、難なく立ち上がることも出来た。
しかし魔術を行使するための回路にはやはり異常を来しているらしく、人造霊脊内を霊銀が通過しない。何らかの事象で堰き止められているようだ。
「変なことを考えるな、どうせ無駄だ。お前はどうやったところで私を殺せたりはしないし、よしんばそれを成し遂げた所で、お前自身も失われる」
「……どういうことだ」
「言葉通りの意味だ。今のお前は、私が生かしている。私の目的のために動いてもらう駒としての役割を、今のお前は私に持たされているからだ」
「駒?」
「ああ、そうさ。差し詰め、ヴァルファーの」
目を細めては眼光に鋭利さを宿すノヱル。
「改めて自己紹介をしよう、ノヱル。私は“寓話”――お前達の物語だ」
「はぁ?」
「疑問を抱くのも無理は無い。私たちは“筋書の外の存在”――本来であればこの邂逅も成される筈の無い、奇跡ですら及ばない事象だ」
「用件を早く言え。己れは駒なんだろう?」
「話が早くて助かるよ、だがその態度はいけ好かない」
「己れがどういう奴だろうと、その己れを駒として選んだのはお前じゃないのか?」
「まぁそう言うことにはなる。が、慎ましくあるべきものは慎ましくあるべきものだろう」
「だからさっさと用件を言え。己れを使って、お前は何を望む」
「望むのは寧ろお前だがな、ノヱル――――お前はあの結末を誇れるのか?」
あの結末――――それはつまり、神を討つために自らが銃となり弾丸となって、その神性を悉く散らし消失させた、その代償に自らもまた喪失したあの結末だろうか。
いや、その他には無い筈だ。だとするならば――――
「半分イエス、半分ノー、というところじゃないか?」
押し黙るノヱル。
「沈黙は雄弁だな。だがその未練は胸に仕舞っておけ」
かつかつと歩みを進め、遂に女はノヱルの目鼻の先にまで到る。
そして長くしなやかな指先で、ノヱルの軍服の上から胸部を撫でた。
「私の願いが成就されたなら、それは同時にお前の願いが成就される時でもある」
「己れの、願いだと?」
「ああ、そうだよノヱル。嘯かなくていい、隠し通さなくてもいい。私はお前のことを知っている。お前は――――人間になりたかった」
もはやその視線には嫌悪を超えて憎悪すら宿っている。闇深い双眸に、しかし侮蔑めいた嘲笑を女は返す。
「本来、物語というのは一つだ。多くの者はそれを“原典”と称ぶ。だがそのうちに“偽典”が現れ始め、何が“原典”か誰にも何にも判らなくなってしまった」
まるで道化が場を回すように仰々しく謳い上げる女の動きを、ノヱルはただ目で追った。
「そしてやがて誰かが言い出した。“原典”を決めようと――――その時点で最も力を持った七つの物語が、互いに互いを殺し合う秩序が生まれたんだ」
「成程。お前もその七人のうちの一人ということか」
「察しの通りさ。ノヱル、お前は私の駒、私の物語の代表として、私を代行し、他の六つの物語を消すんだ。見事私の物語が“原典”となったなら」
「己れの都合のいいように物語を書き換えるのか?」
「お前が、そうしたいならな」
「……勿体ぶった言い方をするものだ。己れのことを知っているんだろ? なら己れが何かは承知のはずだ」
「ああ」
「己れはヒトガタ――――人に仕え人に使われるために創られた存在だ。ちょうど命題も無くしたところだ。己れを使うなら、命題を刻むがいい。ならば己れはお前の道具として、己れの望みに関わらずお前の求める結果を齎すまでだ」
にぃ、と口角を上げて破顔する寓話。
「ならノヱル、お前に命じる――――我が物語を“原典”とすべく、他の六つの物語を否定しろ」
睨む目付きは変わらない。だがノヱルはひとつ小さく溜息を吐くと、殺意すら込められた視線を投じながらひとつ頷いた。
そして気付けばノヱルは見果てぬ荒野に放り出されていた。瞬きをしたらそこにいた、というくらい自然に、意識せずそこにいた。
周囲を見渡しても荒野の他に何も無い――いや、あると言えば、空ならば、ある。
「――っクソ。まぁいい、適当にやるか」
道具は、その目的を失った時に古びて行くものだ。
切る紙を失った鋏が錆びて行くように。
書く言葉を失ったペンが乾いていくように。
民を失った王の権威が意味を喪失するように。
神殺しは、神殺しだ。神を殺すための道具だ。
神を殺せるならば、神と同程度の相手ならば殺せるだろう。その存在を真っ向から否定しうる。
(幸い、ここなら魔術の行使には影響は無いか)
先程の空間が何処だったのかすらも判らないが、この荒野でなら霊銀は問題なく人造霊脊を循環する。ならば十の銃を召喚することも、弾丸を創出することも容易い。
「さて……」
戦うことに異論は無い。元よりそのための道具だ。
だが、あの物語を書き換えることには抵抗があった。どのような形であれ、歪であれ、あれはノヱルや彼に纏わる誰しもがそれぞれの心をぶつけ合い、重ね合って生まれた物語だ。
その果てに死ぬことに、消失することになるのは確かに悲しいだろう、虚しいだろう。
だがその結末を、誰かが紡いでくれる筈だ。そうやって歴史は連綿と続いて来た筈だ。
誰しもにとって都合の良い物語などある筈が無い。そしてそれがあったとして、物語として果たして正しいのか甚だ疑問なのだ。
一度は、許容しがたい結末を否定した。
出来ることなら、命題とともにいつからか胸の内に湧き上がった小さな願いも果たされて欲しかった。
しかし未来はあの世界に訪れた。あの時点ではどうなるか判らない、脅威に満ち満ちた未来だが――だが、遺された彼らならば乗り越えて行くだろう。特に、レヲンや、エディならば。
ならば今の自分に必要なのは、過去の否定ではない。
(そう言えば……結局、答え合わせ出来なかったな)
いつかの約束を回顧する。
全ての戦いが終わり、命題の全てを果たし終えた後に生まれた感情。結局、山犬には伝えられずじまいだったそれを。
(それだけのために、物語を加筆するというのはいいかもしれないな)
あの物語を変える必要等無い――あの結末ならば、胸を張って死んでいられる。
ノヱルはそんな想いを反芻しながら、少しだけ口角を持ち上げた。目の前に映る景色に、それまで見て来た情景を重ねながら。
「いい日にはいい縁あり、だったか? ったく――――レヲンの時も、ノヱルの時も、神の否定の時だってそうだ。全部、全部最高だった」
その想い出が、銃に装填された弾丸の全てだ。
ふたつの銃床で 起ち向い、
ふたつの砲身を 振り翳す。
鉄に揺蕩う 炸薬を燃べて、
誰も識ら亡い 銃声を謳う。
己はまるで、銃の見做し児。
神を葬る――銃の見做し児。
◆
「ノヱル、
神を否定しろ」
Noel,
Nie
Dieu.
著作:長月十伍
原案:うゆま@豆腐卿(@uyuma)
二〇二二年、
神無月、末日。
――――――――――完。
◆
これにて、本当の本当に完結です。
ここまで長らくお読みいただき、応援していただき、ありがとうございました。
みなさんの応援が無ければ、ここまで駆け抜けることは出来ませんでした。
次回作はまだ未定ですが、そうですね。ノクターンにて放置している一作がありますので、
そちらの更新を、そろそろ始めて行こうかと思っております。
それではまた、いつかどこかの異世界で。
宜候。(*'ω'*)




