神亡き世界の呱呱の聲㉞ ――エピローグ・中編
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ある者は騎士として培ってきた力を総動員して。
ある者は修めて来た魔術を隅々まで振り絞って。
その街に生まれ、或いは過ごした土地勘を働かせる者もいれば。
そうでは無い者たちが徒党を組み、密に連携して能力を結集させ。
そこに、人種の差異も国籍の違いも男女の別も関係は無く。
騎士団は騎士団として、【禁書】は【禁書】として。
だがしかし、互いに互いを助け合い、救助活動と避難誘導とを推し進めていく。
冥は冥として、“死の予兆”を嗅ぎ取っては救助されていない者を次々に発見し。
レヲンはレヲンとして、【千尋の兵団】で喚び出した数百の戦闘人形を用いた人海戦術と、そして師役の多彩な魔術を活用して。
エディやその他の【禁書】の面々もまた、戦士としての、魔術士としての知識・技術・能力を余すことなく注ぎ込んで。
救助された者は、かつて虐げた者だった。或いは、かつて虐げた側の。
救助した者は、かつて虐げられた者だった。或いは、かつて虐げられた側の。
避難した者は、かつて虐げられた者だった。或いは、かつて虐げられた側の。
誘導した者は、かつて虐げた者だった。或いは、かつて虐げた側の。
それらがその別無く、手に手を取り合い、握り合い、言葉を交わし合い、視線を交錯し合い――――そうやって繰り広げられていく救助劇。
それはまさしく、いつか彼女が求めていた光景に他ならなかった。
だから彼女は、その風景のために、本当は聖女などでは無いと知りながらもそう呼ばれることを受け入れ、ただの霊銀汚染でしか無い背なの瘤を“天使の翼”だと認め、声高に叫び続けた。
友愛を、平等を、相互理解を。
不浄な利権等のために奪われた理想は、今目の前にあった。それを目の当たりにして、エトワはどんな顔でいればいいのか判らなかった。
それでも、伸ばした手に縋る者の命が零れないように、精一杯に動き続けた。手を伸ばし続け、救けを求める者がいると声の限りに叫び続けた。
「いました! ここに、要救助者がいます! ――大丈夫、直ぐに救け出しますから」
「俺は……いい。息子が、息子が……」
「息子さんがいるんですね? 何処ですか?」
「う……え……」
見上げると、崩落した瓦礫の上方で僅かに覗く小さな腕があった。
しかし詰み上がった瓦礫だ、おまけに高度もそれなりにある。とてもじゃないが脚で登って行けそうには無い――行けたとしても、ちょっとした衝撃でこの瓦礫の山は崩れてしまいそうに思えて仕方が無かった。
「まだ……五歳……になった……ばかり、なん……だ……」
「喋らないで。分かりました、必ず、息子さんも……」
その続きを紡ぐことは躊躇われた。もう一度エトワは瓦礫の山を見上げる。
必ず救け出す、とは断言できない自分が嫌になった。結局、出来ることは声を上げることだけなのか。
何が聖女だ。何が天使だ。祈りは誰にも届かない。背中の瘤は翼じゃない。
ふと。腰元に下げられた鞘に目が行った。
あの聖剣だ――――エトワが自分自身の身体に戻った時に、何故だか腰のベルトに帯びられていたのだ。
その柄に、自然と手が伸びた。すらりと引き抜くと、錆一つ、刃毀れ一つ無い美しい直剣の身が露わになった。劈くように照り返り、そして仄かに自ら発光している。
「……私は」
ひとつ、目を瞑った。脳裏に、いつか憧れたあの青年の面影が蘇った。
(私は……もう一度、理想に手を伸ばしたいのです)
何が奇跡なのかを論じることに意味はあるのだろうか。
それでも、起こるからこそそれは奇跡なのだ。
「っ!?」
背中に集った熱が、両の肩甲骨で爆ぜる――――衣服の背の部分を突き破って生まれたのは、紛れも無い天使の翼だ。
エトワの身に帯びた霊銀汚染は、ここに来てその完成を迎えた。
「てん……し……さま……?」
「……今、救けますから」
不思議と、ふわりと微笑むことが出来た。きっと、伸ばした手が届くと知ったからだろう。
エトワは生まれたばかりの双翼をはためかせ、熱を生んで上昇気流に乗る。なるべく衝撃を与えないよう慎重に、しかし迅速に舞い上がると、手にした抜き身の剣で瓦礫だけをすらりと斬り裂いた。
「救けました! 無事です!」
「よか……った……」
重体ではあるが息はしている。直ぐに治療魔術を施せば生き延びる目算は大いにあった。
そこに、騎士団の面々が駆け付ける。彼らはエトワの翼を見て目を剥いたが、しかし彼女が救助活動に当たっていることを確認すると何も言わずに手助けした。
天使と人間の別も、そこにはありはしなかった。
このことは、後に広く知れ渡ることとなる。
神が死んだ後、一人の天使が傷ついた人達のために奔走し、命を救うために尽力したのだと。
彼女は天使であり、そして聖女の再来なのだと。
◆
「山犬ぅ!?」
「山犬ちゃん!」
彼ら夫妻もまた、【禁書】の一員として救助活動に携わっていた。
後続隊として本隊に遅れて追従する形でサントゥワリオへとやって来た彼らの主な任務と言えば、受け入れた避難者達の隣国への搬送だ。何しろ周辺諸国の拠点からも続々と集っている。輸送のための車両は到着するや否や避難民達を載せて国と国とを結ぶ路線をひた走る。
ランゼルとゾーイもまた、その活動に従事していた。元々輸送業者とその妻だ、運転技術には定評すらあった。
そして何往復目かをこなした際に、小隊長から一時間の休憩を言い渡された。その時だ。彼らの前に、山犬が現れたのは。
「やっほー、ランゼルさん。ゾーイさん」
「お前、」
「無事だったかい! 良かったよぉ……あたしゃ心配で心配で……」
取り分けノヱルと山犬にとって彼ら二人は眠りから醒めて初めて出遭った人間だ。
ぶっきらぼうだが何だかんだ社交性のあるノヱルや馬鹿っぽいが見た目の愛玩性と屈託の無い性格で人気のある山犬はしかし、確かにランゼル・ゾーイ夫妻のことを気に入っていた。
勿論、その理由には同じ“食肉の楽園”という死線を共に潜り抜けたという経緯もある。また、当初ランゼルやゾーイが彼らを騙して殺そうとしたが、何だかんだで結局同士となった彼らの浅ましさにも。
彼らはとても、人間らしい夫妻だったのだ。ノヱルや山犬にとって。特に、ノヱルはその事実を、彼らの精神性を好ましく思っていた。
ノヱルにとって好ましい人間は他にも沢山いる。彼はそうとは言及しなかったものの、エディという少年の実直さや健気さ、努力家の気性はそうだし、シシという少女のレヲンに到るまでの目まぐるしい成長・変異もそうだ。
エーデルワイスは面倒臭い相手だったが、その母性は出来ることならずっと続いて欲しかったと思っていたし、ガークスの気難しい頑固さ加減には辟易することもあったが理屈と規律で隊を纏め上げることの素晴らしさには目を見張るものがあった。
いい加減そうに見えてしっかりしている、それでいて子供らしさを手放さないコーニィドの多面性。
若くして王となったケィンルースの長たる気質や魔術の知識の深さと広さ。
もっと言えば――――クルードや、十人の孤児たちの、愛しさ。
ノヱルは、人間が好きだった。彼はそんなことを表に出したことも公言したことも無いが、確かにそうだったと山犬は分かっていた。
いや、きっとノヱルのことだ、その中の大半は無意識にそうだっただろうとすら思える。そしてその理由も、山犬は察しがついていた。
ランゼル・ゾーイ夫妻も、ノヱルが好む人間らしい人間だった。
そのらしさに定まった形は無い。
都合よく掌を反すものの、打ち解け合えば確り固く絆で結ばれるその在り方はしかし、やはり彼が好むらしさの形の一つだろう。
いや。
やはり、そのらしさには一つの共通点がある。“絆”だ。
絆で繋がることの出来る不自由性――――天ちゃんは嫌がりそうだけど、とほくそ笑んで、山犬はそうしながら夫妻を真摯に見詰めた。
「そういや、旦那は?」
「そうよ! ノヱルは大丈夫なのかい?」
「ううん」
「「えっ?」」
小さく首を横に振る山犬。しかしその表情は満足げに微笑んでいるままだ。
「山犬、そりゃどういう……」
「あのね――――ノヱル君は、神を討ったんだよ」
顔を見合わせる夫妻。もう一度彼らの顔が山犬に向いた時、山犬は既にそれを差し出していた。
「「これは……?」」
それは、三つの歯車が互い違いに交差する――――十番目の銃に変形した、彼の魔導核、つまりはノヱルの【無窮の熕型】だ。
しかし膨大な熱に中てられて融け込み、本来の大きさの半分以下にまで凝縮されてしまった。それを、山犬は並べた両手の上に載せて差し出した。
「ノヱル君の躯体はね? わたしが貰っちゃう約束してるからだけど、でも、お二人に、どうしてもあげたいんだって」
「お二人って……」
「嫌だよぉ、まるで遺品みたいじゃない……」
泣きそうになる夫妻を前に、困ったように山犬は苦く笑った。
「受け取ってよ」
「受け取るけど、受け取るけどよぉ……旦那ぁ……」
「そんな……もう、会えないのかい?」
「うん。もう、会えないんだよ。それでもノヱル君は、こうなるって解ってて、神様って奴を撃ち殺したの」
「……ヒトガタなんだろ? 修理すれば、元に戻るかもしれない!」
「あんたっ! 名案だよぉ!」
「うーうん。そうしない方がいいと思う」
「「?」」
「色々理由はあるんだよ。先ずね、ヒトガタの技術はもう失われちゃっていて、設備も殆ど死んじゃってるから。まぁでもレヲンちゃんの“愚者の魔杖”があればどーにかなる気がするけどさっ。でもねでもね、それでもノヱル君は二度と戻って来ないんだよ。いくらノヱル君を修復したって、出来上がったそれはもう違う誰かなんだよ」
またも顔を見合わせて首を傾げる二人をふふふと笑って。
そして山犬は、くるりと踵を返した。
「じゃあ、山犬ちゃんもそろそろお暇するよー。元気でね」
「えっ?」
「山犬ちゃん! 一体何処行くってんだい!?」
「うーん、そうだなぁ……それはこれから考えるよ。取り敢えず、美味しい敵がありそーなところ♪」
呆気に取られる二人の目の前で、突如として山犬の姿が消失する。
三度顔を見合わせた夫妻は、しかし手に残ったノヱルの形見に視線を落とし、ぼろぼろと涙を零しながら抱き合い、その死を悼んだ。
それでも休憩時間は終わる。まだ救けを求める人達のために奮起しなければならない時間が来る。
痛めども、傷めども、悼めども。
そうやって日々を、生きて行かなければならない。
いつか来る死を想いながら、今がその時じゃないと、力強く――――
「すみませ~ん! あの、ノヱルって名前のヒトガタ……知ってますか?」




