神亡き世界の呱呱の聲㉙ ――山犬の戦い
嘆くしか出来ない状況だ。
父役も、母役すらも喪失した。
それでも、自らが戦士であると奥歯を噛み締め、そもそも自らの生が彼らという屍の上に成り立つことを噛み締め、字義通り歯を食いしばってレヲンは意識を昂らせる。
(――幸い、敵の方から来てくれた!)
やるしかない――――限りなく賭けに近しい手段だが、しかし賭けなければ、いや懸けなければならない。
「ほう――未だ足掻くか、獣」
「~~~~~っっっ!!!」
そして全ての戦闘人形が、彼女の細い身体に戻っていく。
その様子に面食らった神の永劫だったが、しかしその直後、更に顔を顰めることとなる。
(――“死屍を抱いて獅子となる”!!)
黄金の光が波濤し、辺りを包み込んだと思えば――――世界は、がらりと様相を変えたのだ。
いや、違う。世界が変わったのでは無い。
レヲンと神の永劫の魂が、結束された霊座の中心に据えられた決戦場に墜落したのだ。
「ごほっ、ごほ――――っ、」
「お前……成程、面白い。この我を屈服せんと試みるか!」
賭けの結果は成功だ。
天使が死者であった、というよりは、恐らく【死屍を抱いて獅子となる】という魔術自体が死者のみを対象としないのであろうが、しかしその是非を解いている暇はレヲンには無かった。
賭けの結果は成功だが、しかし起死回生の一手かどうかはまた別問題だからだ。
見渡す限り誰もいない、ただただだだっ広いだけの伽藍洞。
そこに降り立った神の永劫は、背中の十二翼をはためかせて拡げ、大きく跳躍して空中へと飛び上がる。
それを、漸く吸気し得た青褪めた表情のレヲンは弱弱しく見上げた。
「出来るものならばして見せろ!!」
「――っ!」
翼の先端から焔の帯を噴き出し、ぎゅらりと捻りを加えて円転しながら突っ込んでくる神の永劫。
その突撃を横っ飛びに跳んで躱したレヲンは、自らの霊座の地面を転がりながら素早く体勢を整えて立ち上がる。
だがその瞬間にはもう、翻った熾天使の突撃は目の前にあった。
霊座だろうが楽園だろうが、天使の能力、権能は変わらない。
「ご――――っふ、」
胸に強烈を通り越して無惨な一撃を喰らったレヲンは、しかしその直前に召喚した獅子の牙によって行使した【跳躍転移】によって、その一撃が永久に及ぶ前にどうにかその場を離脱することに成功する。
しかし、肋骨はそれだけでもう何本折れたのだろうか。喉を溯って込み上がる血流が、肺が潰れてしまった事実を彼女に告げる。
霊座の戦いはあくまで魂の戦い、精神的な戦いだ。
だが精神は肉体に結びついており、霊座での傷は現実の肉体に反映される。
吐いた血に咽るレヲンだったが、しかし振り返った神の永劫にぎょっとして再び【跳躍転移】を重ねる。その瞬間、レヲンがいたそこを鋭いにも程のある熱線が斬り裂いた。
「鬼ごっこでもしているつもりか? どうした、折角この場に我を誘い込めたのだ。予期せぬ手を少なくともあと三手は見せてくれねば」
そして転移し終えたレヲンは再び首を掴まれていた。
何のことは無い。ただ、神の永劫が索敵と把握、そして補足と捕獲という四項目に至る行為を一纏めに一瞬で為し終えたのだ。
齎す事象を、そして及ぶ事象を、その時間を永久にも一瞬にも自在に変化できる熾天使の右腕は、この霊座での戦いに至る直前までの状況を完全に再現していた。
「――――っっっ!」
「さて、今度はどう出る? それを待たずしてこのまま頸を握り潰しても、焼き焦がしても善いのだが?」
「……じゃーぁ、握り潰してくれた方が嬉しいなあ♡」
「っ!?」
声がしたのは、先程の突撃で衣服が外套ごと焼け焦げて露わになった胸部からだ。
異獣だからという理由だけで一命を取り留めた、そうで無ければ即死を免れない程に崩れた肋骨が暗紫に変色させたそこから、にょきりと赤髪の少女の首が伸びていたのだ。
山犬だ――――それは、神の永劫も知っている。
名前までは定かでは無いが、彼女が“神殺し”の一基であることは。
そして、四基の彼らの中で最も脅威だと断じれることも。
「よいしょっと!」
「ふ――っ!」
まるで胸骨を開くようにレヲンの胸部から捩り出て来たその愛玩性に富む脅威を、しかし神の永劫はそれまでと変わらずに殴りつける。
驚きはしたものの、そこまでだ。
この少女型の脅威がどれほど脅威であろうと、永遠に繰り返される衝撃を凝縮した一瞬をぶつけてしまえばもう終わりだ。
その一瞬で、殺し切れない生命など、壊し切れない存在など在りはしない――この世に死なない・壊れない存在など無いからだ。
どんな生命・存在であったとしても、そしてどんなに小さな威力であったとしても、それが無限であればいつかは絶命に・崩壊に辿り着く。その永いかもしれない道程をただ神の永劫は凝縮しているのだ。一瞬に。
だから、熾天使が彼女を殺し切れなかった理由は、ただ彼女が有限では無いというだけのこと。
「んー、ちょっとばっかし薄味かなぁ?」
出て来るなり肌を黒く豹変させた山犬は、永遠に続く一撃が込められた一瞬を食らい尽くしてそう嘆息した。
「は――――ぁ?」
「ねぇねぇ、ご飯ちゃんと食べてるー? そんな細っちぃ腕っこだからさぁ、全然力出ないんじゃなーい?」
べろりと舌舐めずりをした山犬は、しかし「あれ? あれれあれあれ?」等と呟いてはきょとんとした表情に変わり、そしてそのまま塵となって消え果てた。
無論、そこに彼女が出て来た大元のレヲンの姿も無い。
「は――はは、安く見積もりすぎか痩せ我慢か……どちらでもいいが全く、子供騙しも大概にして欲しいな」
喰らい尽くしたのではなく、喰らい尽くしたように見えて喰らい尽くせなかった故に山犬がそうなったのだと呆れた神の永劫であったが、だがそうだとしたら問題は幾つも残る。
先ず、この場所は一体何なのか。
あのレヲンという神殺し級の戦士が己が魔術で自身を屈服させるために展開し呼び込んだ霊座――精神世界と決め込んでいたが、だとするならば術者である彼女がいない時点で解かれて然るべきだ。
そしてあの山犬はどうやってこの霊座に辿り着いたのか――術者の許可があったとしても、外部からこの場所に潜り込むのは相当の魔術技量を要する。【神の眼】を通じて得た情報の何処にも、彼女がそんな腕前を持っている等という片鱗すら見当たらない。
術者は、レヲンは何処に行ったのか。
どうして自分は、未だにこの霊座に残り続けているのか。
「え、まだ分かんないのぉ?」
「!!」
声だけがくぐもって反響するその様子に、どうしてだか神の永劫は戦慄を覚えた。
理外の何かが繰り広げられているのだ。神から賜った知見ですら、この事象が何であるかを教えてはくれないのだ。
「あ、でもねでもね――別に分かって欲しいとか、そーゆーのは無いんだぁ。まぁ、君ってば名前に“永劫”だなんて付くくらいだから? そのままそこで永遠に謎解き頑張ってよ。分かったら教えてね、答え合わせしよー♪」
「待て! 貴様!!」
「ごめんねー? 山犬ちゃん、ちょっち忙しいからさぁ。暇になったら遊んであげるよ。それこそ、気持ちいいことしてさ――――エロくて、エモくて、とっっっても、エっグいこと」
「待てぇぇぇえええええ――――――――」
「えっと……」
「うん? まぁ終わったも同然かな。あの天使ちゃんじゃ山犬ちゃんの固有座標域は破れないと思うし」
正解は、レヲンが【死屍を抱いて獅子となる】を展開したその瞬間だ。
その瞬間に駆け付けた山犬は即座に【其の獣は神を穢す数々の名で覆われ】を展開し、自らが偽造したレヲンの精神世界に神の永劫を幽閉した。
「首、大丈夫? 傷跡残っちゃうかなぁ?」
「え? ううん、多分大丈夫。ちゃんと再生してるみたいだし」
「じゃあ良かった。でもさぁ、首絞めるならちゃんと絞めてほしいよねっ」
「えっ?」
レヲンすらも欺き、その思考を霞め取って自らに直結させ、自らはレヲンへと偽装して。
そうして、レヲンの霊座での戦いを捏造していたのだ。
「でも、山犬さん」
「“禁書”の皆ならもう出てってもらったよ。ここにいるのは、山犬ちゃんたちだけ」
恐ろしいのは、それだけの作業をほぼ片手間でやり遂げていたことだ。
しかしレヲンの目論見通り楽園は閉じ、そして三体の熾天使はそれぞれがそれぞれに破れ去った。
「山犬ちゃんと、レヲンちゃんと、――――ノヱル君と神だけ」
「――っ」
そして、神殺しの二基ももういない。
天は両脚だけを遺して消え去った。神の淘汰を屠り去って。
冥はいはするが、もう冥では無い誰かだ。神の罪過の消失と引き換えに。
後は――――。
「消え失せろ! 愚物がぁぁぁあああああ!!」
「消えるのはお前だ、神ぃぃぃいいいいい!!」
上空で繰り広げられる戦い一つ。
ノヱルと神との戦いは熾烈を極め、しかし未だ終わらずにあった。




