神亡き世界の呱呱の聲㉔
「貴様」
白い悪魔はそこにいた。
今しがた天使を屠る魔弾を撃ち込んだ銃を棄却し光の粒へと散らしたなら、玉座に腰を落ち着けたまま睨み上げる神に静かな視線を返している。
「ノヱル君!」
彼によって放られた山犬が嬉々とした声を上げる。
その声で漸く我に返ったそれぞれもまた、彼の名を口々に呼ぶ。
「ノヱル……」
「ノヱル?」
「ノヱル……まさか」
「ノヱル、生きてたのかよ……っ!」
それもそうだ――彼らにとって、彼は大聖堂の地下空間で神に敗れた筈だったのだから。
実に恨めしそうに睨めつけていた神は玉座の肘掛に両腕を載せると、涼やかな表情を灯し直して霊銀を注ぐ。
台座が震え、白い地面との境界に罅が入る――それは巨大な天獣、神の車輪へと移り変わった。
「死に損ないの分際で、我が天使の献身を無に帰せよって」
「ああ、無駄死にになって悪かったな」
「愚弄するかっ」
ぐわりと浮かび上がった神の車輪――地面と並行になった四つの大きな車輪が起こす風がその重厚な巨体を持ち上げている。
しかしそれは、地上高5メートル程度でぐらりと揺れ停止した。
「“其の獣は神を穢す数々の名で覆われ”。逃がさないよぉ!」
――山犬だ。白い楽園を覆う水面から爆ぜるように射出した幾つもの紅色の鎖が、その巨体を絡め取って捕縛している。
「くっ!」
「ナイスだぜ、山犬!」
ぶわりと跳躍したノヱルは唸りを上げる神の車輪の頭部に飛び乗ると、その手に新たな銃を創出する。
「“騎銃”――この意味は分かるか?」
「――っ! 貴様、まさかっ!?」
神は【神の眼】からその記録を瞬時に得た。
他の銃とは違い、何かに突出した性能を持つのでは無いその銃は、神滅の一撃すらもただの一度しか放たれたことは無い――イェセロでの“粛聖”への抗戦の時だ。神の沈鬱を軽く吹き飛ばしたあの一撃の時――その時はあろうことか、レヲンが繰り出した三日月状の斬撃に乗り、しかもそれを弾丸として放ったのだ。
そう。騎銃とは、騎乗している乗り物こそを弾丸へと変じさせる。
ならば、今この機でそれを取り出した意味とは――――
「“神亡き世界の呱呱の聲”!」
撃ち出された弾丸は空中を翻り、神の車輪へと撃ち込まれた。
確かに今、ノヱルはその頭部を足場に立っている。乗っていると言えば乗っているのだろう。だがしかし、そんな屁理屈が通用するのか――――神は愕然としながら、黒い光に包まれ白い悪魔の支配に絡め取られていく天獣に舌を打った。
「クソッ!」
「おいおい、言葉が汚ぇってお前の臣下に怒られるぞ?」
神が立ち上がると同時に上空へと跳び上がり、それと同時に後方へと跳躍したノヱル。
その狭間で、空飛ぶ巨大な戦車とも言える神の車輪は漆黒へと染まり、飛び出した神へと向かって特攻する。
もしも神の聖誕が完全な状態で死を迎えていたのなら――意味の無いたらればだが、敢えて論じてみよう。
もしも神の聖誕が完全な状態で死を迎えていたのなら、神の身の内に彼女の遺した“火”は還っただろう。また同時に、神の車輪でさえも完全な状態で起動出来ていただろう。
だがノヱルが彼女に撃ち込んだのは【痺銃】だ。その銃弾は殺傷能力こそ限りなく低いものの、撃ち込まれた対象の霊銀の働きを阻害するという害悪な特性を持つ。
神の車輪が完全な状態であったのならば、ともすれば白い悪魔の凶弾を跳ね除けられたのかもしれない――だがやはり、そのたらればには意味が無い。
「おおおおおおっっ!!」
解き放たれた黒い天獣型の弾丸は、真下から神へと突撃する。
上空にてまるで花火のような盛大な業火が噴き散らかり、黒煙が濛々と白い空に漂う。
それとほぼ同時に着水したノヱルは、しかし険しい表情を崩さない。
「やったか!?」
「お願い……これで、終わって……」
安い希望を口に吐く戦士達とは違い、この程度で神が屠れるとは思っていない。
そしてその予想通り、煙の晴れた空の上、神は福音めいた祝詞を放つ。
「“神は天使を創り給うた”!!」
光が生まれ、劈き、輪郭と色彩とを纏う。
すでに分岐したかつての最終決戦においては数百の軍勢として召喚された天使達も、やはり神の聖誕から火を回収できなかったために都合三体にまで減じられた。
「我が名は“神の罪過”、賜りし位階は熾天使」
「我が名は“神の淘汰”、賜りし位階は熾天使」
「我が名は“神の永劫”、賜りし位階は熾天使」
だが三体の熾天使だ――――ノヱルの帰還によって明るく灯っていた【禁書】の面々の表情にまた暗い影が差し掛かる。
「足り無ぇな――こっち何人いると思ってんだ?」
「はっ――我とこの三柱で十分!」
嘲るノヱルに対し言い放った神――虚勢だ。神は出来れば十全を期したかった。本来であれば数百の神の軍勢を用意したかったのだ。
だが己の内に残る火はそれには不十分だ。
しかし種火なら、この場に幾つもいるでは無いか――――
(先ずはあの“禁書”とか言う人間どもを)
そう。人が死ねば、その命を燃やしている火は神に還る。
また、この場をどうにか遣り過ごして再び地上へと“粛聖”を齎すならば更に人々を殲滅できよう。
そうして己が手に戻った火を素に、再び神の軍勢をこさえればいい――神はそう思っていた。
そしてそれを、レヲンは見事に見抜いていた。
何も、未来の記憶を有したまま現在へと還ったのは“神殺し”だけでは無い。
既に彼女は彼女であった頃の記憶をも取り戻し、神の振る舞いを完全に理解している。
その身の内に、火の循環を繰り返し叫び続ける神の魂を宿し続けて来たのだ。その未来の記憶が知見となって彼女の思考を受胎させるのだ。
だから神がここでそう考えることは、まるで火を見るよりも明らかにそう判じれたのだ。
「――――“禁書”の全員は全速力で離脱を!!」
「「「「「っ!?!?」」」」」
神は目を見開いた。彼ら以上に。
そして続けざまに山犬を呼んだ彼女の声に、レヲンがこの楽園を閉ざそうとしている真意を読み取り。
「「「させんっ!」」」
神の驚嘆を汲んで舞い降りる熾天使達。殆ど墜落に近い急降下で【禁書】へと肉薄する彼らを、しかし三基の“神殺し”が割り入って阻む。
「“自決廻廊”!」
「――――!」
「“千尋の兵団”!」
神の罪過に自らの血飛沫を浴びせた冥。
神の淘汰と斬り結ぶ天。
神の永劫を千の兵団で足止めしたレヲン。
「今のうちに! 山犬は! この楽園を!」
「おっけーぃ! やったるぞぉー!!
――――“其の獣は神を穢す数々の名で覆われ”」
ひたりと地面を覆う海水にちゃぷりと両手を突っ込んだ山犬は、更なる変異をこの白い地に齎すために霊銀を注ぎ込み。
神と対峙するは、ノヱル。
「さぁて――終わらせるとしようぜ、エディ!」
「我を、神をその名で呼ぶなぁっ!!」
神の号と共に、最後の戦いの火蓋が切って落とされる。




