神亡き世界の呱呱の聲㉓
◆
時に。
余談ではあるが、今一度“悪魔”について述べておこう。
悪魔は概ね、二つに大別される。
一つは悪魔とされたもの――多くは他宗教の神や土着の信仰対象、英霊や精霊であり、それが聖天教団によって悪魔とされたものだ。
そしてもう一つは、かつて天使だった者。
自らの創造主たる神に背き、離反の果てに純白を漆黒へと変じられ、堕天の憂き目に遭った者。
神の否定とは、そのような堕天使の一人だった。
古く天使は、世界に散らばる人々のひとりひとりに憑き、それを世界にとって、神にとって正しい方向へと導く役目を、守護天使としての役割を担っていた。
しかし人が神から“火”を簒奪し、それを取り返すべく神が人を守護する命を棄却しても尚、人のために導こうとしたのが彼女だった。
導き、誘い、奪った“火”を神へと返還する画策と希望とを持ったまま、神の御許に還らなかった天使が彼女だ。
彼女は神を愛していたし、神に似せて創られた人をも愛していた。
だがその愛ゆえの行動が、彼女の翼を黒く穢したのだ。
役目を失って尚、いつかその希望が報われる筈だと信じ続けた彼女は、守護の対象が死ぬ度に新たな人間へと憑き、その人間の運命を歪ませた。
延々と、報われない歴史を独りで紡ぎながら、それでもいつかまた神と人とが赦し合える日が来ることを夢見、ただただ己が使命感を全うし続けた。
そんな彼女はやがて、ある一人の技術者であり魔術士である人物に憑依する。
その者の名は、クルード・ソルニフォラス――――やがて神を殺そうと画策する男だ。
神の否定は彼の展望を知って激怒した。自分に出来得る力の全てを使って、彼の運命を頻りに歪ませ続けた。
もしも彼に彼女が憑いていなかったのなら、彼の作品は世界に広まり、世界は魔導で編まれた機械人形で溢れたことだろう。だから彼女の暗躍は正解と言えたかもしれない。
一度、彼は諦めた。収監されている中で長く続いた戦乱が終局を迎えたからだ。
人型戦略支援躯体が戦争に用いられる時代は緩やかに終わりを飲み込んだ。彼が兆しを与えたそれらは、人型自律代働躯体へと名と役割を変えられ、社会に溶け込むようになった。
そうなって漸く恩赦を頂戴できたクルードは、しかし一度抱いた諦観をかなぐり捨てた。
孤児院を経営する仕事を与えられた彼は、その裏で密かに研究を続けて来たのだ。だがそれも、神の否定が捻じ曲げた運命の中で徐々に消えて行くことになる。
孤児たちが、可愛かった。ただそれだけのことで、“神を殺せる程の凄いヒトガタを創ろう”という夢は、波が寄せた砂浜の疵のように削られ消えてしまったのだ。
だが、神は人を滅ぼし始めた。“粛聖”によって空から天使・天獣とともに降った火はあらゆるものを焼き尽くし、孤児院も、それを守る三基のヒトガタも失われた。
神の否定はクルードに憑いていた。だからその日、女王国を襲った悲劇・惨劇に立ち会うことは出来なかった。
神の否定は遥か昔に堕天していた。だからその日、女王国に“粛聖”が起こるなど知ることが出来なかった。
そしてクルードは復讐に駆られた狂人となり、焼け焦げた三基を見事に創り変える。
魔術士としての才能にも溢れた彼だ、時空を超越して異世界より神を滅ぼすことの出来る者の魂を、完全にでは無いが召喚することに成功する。
だが二つだけだった。
やがて山犬となる魔王の魂、やがて天牛となる牛×××の魂――ひとつ、足りない。
ならば自ら、悪魔となろう――――クルードは狂気の果てに、起き上がったレヲンに自らを撃つことを命じる。
『儂に打ち勝ち、神を討つ弾丸で儂を葬れ。それが出来なければお前は失敗作と言うしか無い』
彼女は、ただ悲しかった。
レヲンが彼を、そうとは知らずとも愛していたことなどずっと見て来たから知っている。
逆も然りだ。レヲンは、クルードにとって特別だった。彼が自ら手がけた作品なのだから。
『撃て、レヲン! 儂を撃てぬお前に、どうして神が討てようか!』
号哭の末、レヲンは命じられた通りにクルードを撃った。撃って、討った。
そうして神性を穿つ弾丸で葬られた彼の魂は、限界を超えたことで休眠に就いたレヲンの躯体に溶け込み、ふたつはひとつになった――――筈だった。
結論を言えば、それは失敗だった。
その時点で、レヲンの魂はバラバラに壊れてしまったのだ。
もはや眠りに就いた時点で、その躯体に魂幹は存在していなかった。
だから神の否定は、決意した。
――神を否定することが命題なのなら。
――私こそが、神を討つ弾丸となろう。
天使の施しによって歪み、結合する。
十人の孤児の魂と、一人の狂人の魂。
そして、神を否定したために悪魔となってしまった天使の魂。
その躯体には、ジュウニの魂が宿っている。
ならば――――神を撃ち、神を討つだろう。
その躯体の内に響く命題の音が、山犬や天とは違っていたのもそのためだ。
“ノヱル、神を否定しろ”
本来ならばそれは、
“ノヱル、神を撃ち殺せ”
だった。
そして今も撃鉄は落ち続ける。
彼女が今も堕ち続けるように。
希望は、ジュウの形をしている。
絶望は、ジュウニだ。
◆
「主よ、このような慌ただしい帰還、申し訳ございません」
まるで作り物のような世界だった。空は白い天蓋に覆われ、地面もまた白く。
中心に僅かな高度を持った台座の上に、柱で構成された簡素な白亜の神殿があるだけ。
その神殿も、中央に玉座と思われる簡素な物体オブジェがあるに過ぎない。
その玉座へと向かい歩む神は、その背に傅いた神の聖誕ヒェニシエルへと向けて、振り返らないままで言葉を掛ける。
「構わない――これからお前が私にしてくれることを思えば、それくらいは些末事だ」
「そう仰っていただき、至極光栄です」
すでに戦士たちは神と最後の天使とを取り囲むように配置をしている。
レヲンの召喚した【千尋の兵団】プライドによる黄金の戦闘人形オートマタ達が各々の武器を構え、その中に【禁書】アポクリファの戦士達もまた撃滅の気勢を見せている。
取り囲む輪の後方では指揮を執るレヲンとガークスとが、それぞれに冥、そしてミリアムとアスタシャを侍らせて対岸に位置している。
そんな中、雪崩れ込んだ海に飲まれ流されていた天と山犬とがざばりと立ち上がった。
((これは……どの時点だ!?))
極彩色の逆巻く渦に飲み込まれた直後――まるで起き抜けの知能的演算核で現状の把握に努める。
だが今しがた水没していた状況と、そして白い殺風景な風景が、ここは楽園でありそして神との最終決戦でこの地に無理やり攻め込んだあの瞬間だと判断するも――――
神殿の中央、玉座へと辿り着いた神は、そこにもう腰を下ろしている。
来る――神の聖誕の爆発による強大過ぎる熱波が。
それによって幾人かの戦士と、大勢の戦闘人形が死ぬことは、既に一度知っている彼ら二基だ。
「は」
危険を察したレヲンが号を上げようとした呼気の僅かな擦れ――それよりも迅く飛び出した山犬は、二者を隔てる“隔絶”を斬り捨てる天の“切断”を帯びた【神薙】により、膨張し切った熾天使の肉体が爆ぜるその直前に彼女に抱き着――――こうとして、何者かに後ろへと投げ飛ばされる。
「ゎあっ!?」
「――貴様っ!?」
既に突き付けられた銃口からは、神性を棄却する弾丸が迸っている。
額に吸い込まれた弾丸は、天使の爆ぜようとする肉の内で跳弾を繰り返し、その身の熱を全て奪い尽くした。
「が――――あ――――」
「“痺銃”――“神亡き世界の呱呱の聲”」
そして光に分解された熾天使は消失し、その場には拳よりも大きな焦げ付いた霊銀結晶がカツンと転がった。




