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「ノヱル、神を否定しろ」—Noel, Nie Dieu.—  作者: 長月十伍
Ⅹ;Nothing Needs Dedications.
184/201

神亡き世界の呱呱の聲⑲

 焦れる足が苛立たしそうにやがて駆け上がり。

 はた、と思い止まって、礼節を今一度装って果たしたノックの音は、確かに少女の耳に届いていた。

 しかし少女は、自分自身の不甲斐なさに打ちのめされるばかりで何を返そうともしない。


「……天使殿」


 だが来訪者が彼だと、あの蒼いヒトガタだと知った彼女はドアに向けて振り返り、そして無遠慮に戸を開いて入って来た天の表情に自らのそれを青褪めさせた。


 わなわなと唇が震え、しかし噛み締めた奥歯が立ち上がる気力を身体に漲らせる。

 悲痛は、理由は知らないが唐突に溢れる憤りに飲み込まれた。きっと睨み付ける少女の眼差しを受けて、天はいつものように誰しもを安堵させる微笑みを堪えさせる。


「天さん……あなたは今、魔獣討伐の遠征中の筈じゃ?」

「創造主様が危ういと聞き、馳せ参じた次第です」

「なら私のところじゃなくて、他に行くべきところがあるんじゃ?」

「……それは、貴方も同じでは?」


 ざくりと刺さった言葉が少女をぎくりとさせた。

 剣幕を失った少女に目を伏せた天は、呟くように溜息を漏らした。そんな彼に目を合わせることの出来ない少女は俯き、辛うじて立っているだけの自分の足元を見下ろす。


「……何をしているのですか」

「……でも」

「でも?」

「……私、……何も、」

「何も?」


 大粒の涙をまた溜め始めた双眸は周囲の皮膚を仄かに赤く染め上げる。

 その内の空洞に湿潤をふんだんに帯びた鼻先もまた、小刻みに震える唇もまた。


「何も、出来、ないから……」


 きゅうと締まった喉からそんな言葉を絞り上げて吐き出した少女はまたもその場に崩れた。

 崩れ、自分を抱き締めるように押さえつけ、噛み殺した呻きを漏らすだけのそういった装置になった様だった。


 天の表情はしかし、呆れに程遠かった。

 少女のその様子への諦観よりも、この場においても未だ何も反応を示さない自身の内側への焦燥が勝っていたのだ。


 牛は、天を取り戻したかった。

 切り捨てて尚、失ったものは取り戻せることを彼は知っている。

 少女を前にすれば、それは果たせると思い込んでいた。だからこそそうでは無かった今、天はやはり――――


()()にしか出来ないことはあるだろう」


 変じられた言葉に、少女は慟哭を漏らしながらびくりと輪郭を震わせた。

 失望を灯した表情は醜く歪んでいた。そうあってさえ端正な顔立ちをくるりと振り向かせた天は、入って来た経路を辿って開け放たれたドアに舞い戻る。


 ()を前にした天を装っても、天は何も返してこない。


「……()()がそうなら、()は」


 去り際の迷いが見える背中に少女が戸惑ったと同時に。

 その音は、号は、少女と彼の耳に舞い込んだ。


「っ!?」

「なに?」


 天は部屋から飛び出した。螺旋階段に所々空いた窓孔から身を乗り出して城を見遣れば、何を目論んでいるのか、武装した赤い人族(ヤマイニアン)達が徒党を組んで攻め込むところだった。

 彼らのそんな姿など、少女は見たことが無かった。過去のどんな人種よりも、赤い人族(ヤマイニアン)と言えば穏和で、絆と和とを重要視し、誰かを傷つけることを避けた者たちだったのだから。


 ――だが果たして。少女は彼らの全てを本当に知っていたのだろうか。


「やはり、()()か――」

「あ、あのっ」


 少女は何も解らない、分かってなどいない。その事実が天を更に憤らせた。


「いいですか。今、民が城へと攻め込んでいます」

「え、な、何で?」

「理由や目的など今は些末事。ただ彼らは本気で()()()()()だ」


 あれだけ少女の胸の内を支配していた激情は鳴りを潜めた。泣き喚く幼児がそれよりも大きな衝撃を受けて黙り込んでしまうのと一緒だ。

 呆けたような虚ろな目を真っ直ぐ覗き込んで天は告げる。


「殺されたいですか? ――彼女を」


 はっとなって少女は首をぶんぶんと横に振る。こくりと一つ頷き、天は少女の手を握った。


「なら、行きますよ――――」


 そうしてすらりと鞘から白刃を抜いた彼は虚空を斬り付ける。


「――“切り捨てずには(セイバー)、生きられない”(ワークス)!」


 斬り裂かれた空間は彼我の間に存在する距離を飲み込み、天と少女とは瞬きよりも短い刹那の後に王城の入口に当たる巨大な城門の内に転移した。

 やはり巨大な歯車が噛み合う機構(ギミック)が閉ざしている筈の門はしかし開け放たれ、つい今、各々に武装した民が怒号を上げながら攻め込もうとしている。


「行け!」

「進め進め進めぇ!」

「神を討て!」

「自由を!」

「尊厳を!」

「栄華を!」

「死を!」

「神に死を!」

「世界に死を!」

「再生を!」

「蘇生を!」

「命に終わりを!」

「終焉を!」

「始まりを!」

「聖誕を!」

「呪いを!」

「祈りを!」

「循環を!」

「循環を!」

「世界を!」

「我らに、世界を!」

「「「我らに、世界を!!!」」」


 少女には彼らが何を言っているか、全く理解できなかった。

 ただ辛うじて聞き取れたその言葉、その欲求は、既に神が彼らに与えていた筈のものだと、朧気にそう思った。

 この世界は急速に迎えた終焉と滅びを乗り越えて、芽吹いた命は繁栄を享受し、紡がれた循環が季節すらも取り戻した筈だった。


 ――だが果たして。少女は彼らの全てを本当に知っていたのだろうか。


「おやめなさい! ――――と言ったところで、止まる筈も無し……」


 遂に叛逆の兵団が城門へと雪崩れ込んだ。

 その瞬間を狙って引き抜いたままの刃を翻した天の一閃は、蒼い斬痕を残して城門とそれを支える城壁とを一刀両断した。

 途端に瓦解した石材や鋼材が落ち、兵団は悲鳴を上げてその下敷きとなる。


 だが、所詮は時間稼ぎに過ぎない。

 続く兵達は積み重なった瓦礫を乗り越え、まだ攻め込もうとする士気を帯びている。いや、狂気と言っても差支えなかった。

 正気を携えたままの役人や騎士は果敢に立ち向かうも、同じく赤い狂気に返り討ちに遭っている。

 黒い死病よりも質の悪い、赤い狂気――だが蒼い(もののふ)は立ち塞がる。


「天使殿。賤方(こなた)はここで彼らを食い止めます。貴方は、彼女の下へ」

「――っ!」


 行って何が出来るのだろう――その想いを嚙み殺し、少女は踵を返して駆け出した。

 それを横目で見送った天は、再度刀を一つ振り――――両の蟀谷(こめかみ)からは拗くれた双角を生やし、その白い肌を珊瑚色(コーラルピンク)へと上気させる。


輪郭(かたち)は違えど、今しがた、本来の()へと立ち返らせて貰います……嗚呼、人型、人型だ。こんなにも、こんなにも沢山の人型……何て、斬り応えがあるのでしょう」


 “神殺し”である筈の天牛は、しかし天を欠いているために。

 “人殺し”であった牛の本質を体現する装置に成り代わった。


 その圧に中てられ進軍(あゆみ)を止めざるを得ない赤い兵団。

 しかし彼らの奥から滲むように前に出た、彼らよりも遥かに赤い()()()


「……へぇ」



 まるで血溜まりに臓物を浸したような色彩だった。

 瑞々しい柘榴(ざくろ)の果肉を盛大にぶち撒けたような陰鬱だが鮮烈な緋色の髪。薔薇色の虹彩には斜めに入った十字の切れ込みのような瞳孔が彼女の異常性を強調している。


 その少女は可憐だと言えた。しかしどこか人間離れした神秘性を有しており――――天、いや牛はべろりと舌舐めずりをした。


 嘲るような視線を突き刺して。

 その(あか)い少女――――山犬は、かつての同胞を廃棄物(スクラップ)へと変えた。

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