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「ノヱル、神を否定しろ」—Noel, Nie Dieu.—  作者: 長月十伍
Ⅹ;Nothing Needs Dedications.
180/201

神亡き世界の呱呱の聲⑮

   ◆




 少女が息を切らして走ったのは、死に向かうこの世界に絶えたと思っていた命を見付けた喜びを一早く共有したかったからだ。

 もしも少女の背に本来天使が有している筈の翼がちゃんと備わっていたのなら、もっと早く駆け付けられた筈だった。

 それがどうにももどかしく、必死で両脚を掻いて罅割れた地を蹴り進むも、少女の身体性能は平均的な人間にもやや劣る――更に少女は赤い仔犬を抱きかかえているのだ。そのために両手を前後に振ることも出来ず、それが更に少女の走破速度を緩めていた。


創造主様(マスター)!」

「どうしたの――――それ」


 彼女は余りにも大仰な少女の駆け込みに振り向きざまに笑みを零したが、直ぐに少女が抱きかかえているそれに気付いて表情を凍り付かせた。

 彼女自身、自分と少女以外に命が存在していたことなど全く想像だにしていなかったのだ。何せ世界は殆ど死んでいるのだから。


「裏の山で、出逢ったのです」

「そう……」


 だが彼女にはそれが普通の命では無いことは直ぐに理解できた。

 何せ、その仔犬は赤い。まるで引き摺り出された臓物のように濡れた赤色をしているのだ。

 彼女はその色を眺め、懐かしい何かを思い返すように目を伏せた。

 少女は彼女のその表情が――何処か悔むような焦点のぼかし方が、自分がしてはいけないことをしたのでは無いかと不安でならなかった。

 しかし彼女は直ぐにまたにこりと笑み、少女が抱く仔犬に向けて両腕を伸ばす。


「私にも、抱き締めさせて?」

「……、はい」


 その声に呼応するように仔犬は彼女へと振り向き、「きゃんっ」と一つ鳴いた。

 目を丸く綻ばせた彼女の笑みは深まり、優しく抱き上げられた仔犬はぺろりと彼女の頬を舐めた。


 二人だけの世界に、一匹が増えた。

 そしてそれを皮切りに、死んでいく世界に赤い色彩がどんどんと灯っていく。

 まるでその代償とでも言うように、波打つあの赤い膿は減っていき、気が付けば覆っていた膿は海に戻った。




   ◆




 漸く――――漸く、だった。

 漸く、その蒼い影はその地に辿り着いた。

 その道程は長く、そして永いものだった。

 何せ蒼い影は遠い道のりを旅し続けていたのだから。

 彼らに破滅が降り注いだあの日――――影と形とが切り離され、影はただ自らの躯体(かたち)を取り戻すべく闇に紛れて自らを探し続けた。


 ぼろぼろのガラクタに成り果てた躯体(からだ)を取り戻しても、ガラクタであるが故、そして本来のその躯体(からだ)を動かす機能(いのち)は潰えてしまっていたため――再び一つになっても、満足に動かすことは出来なかった。

 だからこそ“影が先んじて動き、それに躯体(からだ)を合わせる”なんていう芸当を成し遂げたのだが、本来在り得ないその動きは動かない筈の躯体(からだ)を動かすのに酷く骨が折れる所業だった。


 自らの依り代である()|を取り戻してからは、それが本来のそれに合致するようになった。

 その蒼い躯体(からだ)憑依魔術(ポゼストマンシー)の回路を有している。これまでは外部から無理やりに動かしていたものを、刀に戻ってからはそれまでそう出来ていたように動かせる。


 そうして失ったひとつひとつを取り戻していく旅路は、まるで果ての無いように思えた。

 だが、彼は遂に辿り着いたのだ。

 まだ、全てには程遠い。だが、確かに一つずつを取り戻していった。


 躯体(からだ)

 依り代(かたな)

 性能(うごき)機能(わざ)

 後は――――(さだめ)


 ――ザリ。


(-・・-・ ・・- ---・- ・・・- ・・ -・ ・・)


 それが何処にいるかは、既に知っている。

 それと戦う術ならばもう既に取り戻している。


 失ったものが、切り捨てたものが。

 二度と手に入らないことは無いと、影はそれを知っている。




   ◆




創造主様(マスター)、見て下さい」


 バルコニーで佇む彼女の前に少女が躍り出る。

 彼女はその声に振り返り、朧げで虚ろな視線で少女の胸に抱える様々な農作物を見た。

 それらはもう殆ど本来の姿を取り戻した裏山で採れたものだ。

 色は赤ばかりだが、少女の脳に記録されているかつてこの世界に流通していた野菜たちと味や栄養価は殆ど変わりない。


「ここ最近は日差しも良く、お野菜たちも丸々肥えてます。豊作です」


 彼女は少女がはきはきと笑顔で話すのを見て自らもにこりと微笑んだ。

 だが、言葉は無かった。

 彼女の傍に付き従う赤髪の側近たちは彼女の意思を汲んで両脇に歩むと、彼女の身体を支えながら起き上がらせた。


「天使様、創造主様は部屋へ戻られます」

「……わかりました。それでは私は、昼食の準備に取り掛かります」

「お願いします」


 くるりと踵を返した少女はそのまま調理場へと向かった。息を切らせながら、胸を弾ませながら。

 折れた廊下を曲がる先で城勤めの役人とぶつかりそうになった少女は慌てて床を蹴っては鋭く進路を変え、「ごめんなさいっ」と慌ただしくその役人に告げる。

 彼もまた、赤い髪をしていた。血溜まりに浸したような鮮烈の赤だ。


 赤髪の人間(ヤマイニアン)も他の生物と同時期に何処からともなく現れ、少女が彼女とともに取り戻そうとしたこの国に棲みついた。

 街は当時、まだ半ば瓦礫に埋もれていたが彼らは彼女や少女に倣って寡黙にそれらを片付けた。その中で、襲い掛かって来る獣もいれば歯牙にかけられ命を落とす者もいた。


 彼らのために祈りを捧げるという文化が取り戻され。

 悲しみを遠ざけるため戦いという文明が取り戻され。

 農耕も、狩猟も、畜産も、全てが次々に取り戻され。


 国は国の様相を取り戻していった。

 赤々と、まるで熟れた果実のように――或いは、命が赤子として生まれ落ちるように。


「天使様、今日は何を作るんですか?」


 調理場には城勤めの調理師(コック)がちゃんといる。彼らの料理の技術ははっきり言って少女に比べれば遥かに卓越していると言える。

 だが少女がこうして調理場に立てるのは、それが少女だからだ。


「煮込みハンバーグ、がいいな」


 まだ赤い人族(ヤマイニアン)が調理技術を修得する前、料理は彼女が少女に教えたものだった。

 かつて大切な人に振舞ったことがあると教わったその料理は少女の初めてであり、そして少女が作るそれを彼女はとても喜んだ。


 そうだからこそ、もう後輩たちに追い抜かれてしまった腕前にも関わらず少女はこの場に立つことが許されている。

 赤髪の調理師たちも、溌剌と料理を楽しむ少女の姿に誰もが微笑みを表情に灯し、そんな風に食べる人のことを確りと考え・想像する少女に初心を思い出した。


「天使様、肉はこちらがよろしいのでは?」

「ありがとう」


 赤髪の料理人が取り出したのは、つい先日少女が自ら解体した(ブロック)だ。

 料理同様に、食肉の解体もまた彼女が少女に手解きした技術の一つだ。これに関しては、少女は今でもこの国の誰よりも巧く解体をすることが出来る。

 その理由は定かでは無いけれども、しかし少女はその作業が好きだった。

 吊るした肉に刃を入れていると、どこか懐かしさに襲われ、言いようのない感情が胸の内に溢れていくのだ。

 特にそれを、赤い人族(ヤマイニアン)の子供たちに配給として振舞うことを想像すると、幸せだか喜びだかと呼んでいい気持ちがぶわりと湧き上がるのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  あれ、まさか裏山にいたその犬はヤマ──  そして青いかれもまた舞台に上がるのか!?  ますます続きが気になります!
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