神亡き世界の呱呱の聲⑪
城の中は外観同様にやはり朽ちていた。
塔を中心に据える中庭へと至る門も崩れ、吹き抜けとなってしまった城内を歩く二つの足音は伽藍とした空間に何度も反響する。
腐蝕した針の断片を抱えたまま少女は彼女の背に続く。やがて何度も折れる階段を下り、やはり吹き抜けた広大な空間に散乱した瓦礫の前で彼女が足を止めた時。
少女は漸く、ここに何があるのか、そして何をするのかを訊ねた。
「……もう一度、住める環境を取り戻したいの」
「住める?」
少女は戸惑った。彼女と自分には、そもそもそんなことよりも重要視すべき事柄があるような気がしていたからだ。
だが彼女はそんな少女にやはり柔らかく微笑んだ。そして少女の感情を解決しないままに足元の瓦礫を拾い上げ、そして空間の一部へと集めて積む。
少女に彼女の思惑は理解できない。だがそれを求められている以上、少女はそれを手伝うことしか出来なかった。いや、それ以外にやるべきこと、出来ることを思い浮かべられなかった。
時折この国の歴史を紐解きながら淡々と作業は続いた。
その間にも少女は、彼女がこの城内に拘ることの是非について思考を巡らせていた。
“火”から創られた天使である自分、そしてそれを創造した彼女。
その関係は天使と神であり、少女にとって自分たちはそれ以外の関係に無い筈だという確信があった。
ならば何故、神は楽園を放棄しているのか。
天使と神であるなら、住まうべき場所として楽園を置いて他に無い。だがここは天上、雲の上に広がる楽園では無い。
滅び果てた大地だ。そこに情けなく形残す亡国だ。
遺物ばかりで構成された今や名も無き死都だ。城跡だ。
そこを綺麗に片付けたとて、それで何になると言うのだ――だが少女は彼女にそんな疑問は伝えず、ただただ彼女の望むがままに瓦礫の撤去を続けた。
三日三晩、不眠不休の作業によりその空間の床は平らになったものの、今度は違う区画を始めると彼女が言った時。
少女は、途端に両肩を落としてしまいたい気持ちに駆られた。
「創造主様」
目覚めから五日が過ぎた辺りで、少女は彼女に訊いた。
二つ目の空間に堆積した瓦礫の撤去を進めている最中だった。
「どうしたの?」
彼女はまた、相変わらず柔らかな笑みを湛えた表情で振り向く。それは少女にとって、彼女の邪魔をしているのだと、それでいて尚自分を気遣っているのだという証左に思えて途端に心が苦しくなるものだった。
「どうしたの、ってば」
「あ、いえ……そう言えば、という程度のことで申し訳ないのですが」
「何だっていいのよ。訊きたいことが出来たなら」
「はい……」
少女は一つ深呼吸をし、ほんの僅かに口腔内に溜まった唾液を嚥下した後に意を決した。
だが少女が脳裏から引き出した疑問を投げかけようとしたその直前。
積まれた瓦礫ががらりと音を立てたかと思えば、崩れた断片の狭間から黒い煙のような帯が這い出たのだ。
「危ないっ!」
咄嗟に彼女は少女に駆け寄っては手を掴み引き寄せる。その拍子に少女が持っていた瓦礫は落ち、床にばかんと割れて転がった。
「創造主様、これは?」
手を引かれて距離を取った少女が振り向きながら見たそれは、身を燻らせながらまるで蛇のように緩慢に伸び、渦巻いた。
だがそれを追ってか、今度は赤いどろどろとしたあの膿のような何かが滲み出ては、その黒い煙めいた帯を取り囲み、纏わりつき、そして飲み込んでいった。
「創造主様、一体……?」
「静かにっ――――」
赤い膿は粘菌めいた蠢きを見せた後で、そそくさと逃げ込むようにまた瓦礫の隙間へと戻っていく。
しかし完全に姿を晦ますその刹那、もう一度だけ振り向くようにどろどろの身体を持ち上げた膿は、瞬きに似た僅かばかりの静止を見せた。
まるでそれは、彼女と少女とを眺めているように思えた。
ふと引っ掛かりを覚え、思い出したいような、懐かしみたいような、それでいてやはり振り切るような。
空間に静けさが取り戻されても尚、二人は身を寄せて周囲を伺っていた。
やがてあの黒い煙も、そして赤い膿も完全に何処かへと消え去ったようだと胸を撫で下ろした少女が彼女を見た時。
しかし彼女は、そうでは無かった。
悔やむように細めた双眸で奥歯を噛み、抱き寄せた少女の身体を留める両腕には一層の力が込められた。
その痛いほどの温もりに面食らった少女だったが、だが彼女のように細めた目で歯を噛み合わせると、息を呑んで再び彼女を真っ直ぐに見詰める。
「創造主様――質問があります」
「……そうでしょうね。そしてきっと、私にはその問いに答えなければならない義務があるのでしょうね」
ゆっくりと放した少女と共に立ち上がった彼女は、少女の手を引いて地下空間から地上へと向かう。
淡々とした足取りでそうしながら、訥々とした口調で彼女は物語った。
この世界の終焉を。
◆
ギチギチと、まるで錆び付いた蝶番が軋むように動く、一つの何かがあった。
円筒を半ば潰したような平たい胴に、細長い手足がそれぞれ左右対称に二本ずつ繋がっている、そして胴の頂点には球を垂直方向にやや引き延ばしたような頭を冠す――――いわゆる、人型の何かだった。
ギギギギと、まるで油を差さぬまま凝り固まった機械人形が呻くように動くその人型は、ゆっくりとゆっくりと、しかし確りと一歩ずつ前進した。
時折立ち止まっては非常に緩慢に頭部を左右に振り、まるでそれは何かを探しているよう。
いや――その実、その人型は確かに何かを探していた。
空を覆い尽くす暗い雲の隙間から零れる宵明りが作るその影はどうしてだか蒼く。
そこに彼を観測する誰かがいたのならその歪な在り方に目を丸くし、ごしごしと擦ったあとで再度彼を凝視しただろう。
影は普通、追従するものだ。物体が光を遮った結果出来るのが影だからだ。
だがその人型はまるで逆だった。
蒼く薄っすらと発色するその影こそがその輪郭を移ろわせ、それを追いかけて人型が軋みを上げて微細に揺れながら動くのだ。
だが影も、自身の動作の追従を人型が完遂させなければ次の動作に移れない。
故に、影はとても焦れていた――――緩慢を超えてほぼ停滞と変わらないその人型の歩みをこれまでどれだけの期間続けて来たのか。最早年単位では無く、世紀だ。
しかし確実に着実に、目的地に近付いているという確信があった。だからこそ影は更に焦れるのだ。
こうして、黒い煙がまたも舞い上がって襲い掛かって来るのだから。
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荒野の大地に咲いた罅割れから滲み、浮かび上がった黒い煙めいた帯は、しゅるりと空中で一度翻ると集合して大きな塊になった。
それがぎゅるりと乱転しながら人型の頭と同じ程度にまで凝縮されると、まるで散弾を発したかのように爆裂し、細やかな礫の一つ一つが人型を目がけて強襲し――――命中の直前で全てが斬り落とされた。
慣性すら失い、途端に地面へと落ちながらその最中で霧散し消失していく黒。
無手の筈の人型は、しかしこれまでの緩慢さが嘘だったかのように空を握りそして振り抜いていた。
その形が光を遮って出来る筈の影は、どうしてだか刀めいた輪郭を持っていた。そしてやはり、蒼く仄かに発色していたのだ。
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蒼い影が刀めいた輪郭を失うと、人型は元の錆び付いて軋む緩慢すぎる動きを取り戻してしまい、またこの世の何よりも遅いと言わしめる一歩ずつを繰り返す。
そんな人型と蒼い影を――――散った黒を飲み込みながら、赤い膿はじとりと凝視していた。
だが興味を失うようにそっぽを向いた後で、黒い煙が湧き起こった大地の罅割れの奥を目指してうぞりと潜っていく。
そんなことに気付かぬまま、蒼い影はギチついた人型を引き連れ。
その22時間後に漸く、目的地へと辿り着いた。
雪のように白く積もった瓦礫の上に墓標のように突き立つ、一振りの鈍色のもとに。
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その、毀れた刃と欠けた刃ともう斬れない刃とをしか持たない刀の柄を握った時。
影の蒼は人型に吸い込まれ――――そこには、蒼いヒトガタがただ静かに佇んでいた。




