神亡き世界の呱呱の聲⑨
レヲンの最早折れた意思とは裏腹に、黄金色を纏う戦闘人形達は果敢に神の軍勢へと立ち向かった。
彼女を守るために最後列に位置していた父型と母型とそして師役は両膝を床に着き未だ呆然としているレヲンを一瞥するために振り返ると、まるで何かを伝えようとしたかのように身動ぎ、それから他の戦闘人形達に交ざって攻撃を加えていく。
「……あたしはここにいるよ」
冥はそっと金色の髪を撫でた。彼女にとって、この世界にはレヲンだけが必要だった。
その理由はよくは解らない。ただ、彼女がいるのだからこんな世界でも戦えた。
彼女のためだと断じれば、命を奪う行為も認められた。
彼女の幸せを思えば、自分が傷つくことも厭わなかった。
きっと自分は、彼女に出逢わなければとてもこの世界にいられなかっただろう――だから冥の行動原理はレヲンにしか無い。
レヲンがもう立ち上がれないと継戦を放棄するなら冥は彼女を担いででもこの楽園から逃げ出したし。
レヲンがそれでも立ち上がり神の討伐を目論むならば、その時こそは彼女の盾となり刃となろうと誓った。
だがレヲンは今、そのどちらをも選べていない。
バネットが、サリードが、ニスマがそこにはもういない。あまりにも呆気無い退場は、彼女の気骨を折るには十分な衝撃だった。
そしてそれはミリアムやアスタシャにも同様に届いていた。
流石にガークスは悲観しない。そこで立ち止まり神を討てなくなることが、ここにすら来れなかった無数の同胞達の遺志を裏切ることになると知っているからだ。
だから一抹の悲哀と感傷に浸った後で、ミリアムもアスタシャも、ぎりりと奥歯を噛み食いしばって立ち上がる。
彼女たちは戦士だ。
無論、【禁書】は戦士の集まりだ。
ここに来るまでに、幾つもの屍を踏み付けて歩んで来た。
無念を引き受け、受け継ぎ、漸くここに辿り着いたのだ。
神と対峙する、最期の戦場に辿り着いたのだ。
「サリード……バネット……待ってて。すぐ行くから」
「ニスマさん……私に、力を貸して下さいね」
折れた骨は、それまでよりも強く接合する――そのための栄養が確かに貯蔵されていたのなら。
断たれた筋繊維は、より太く、しなやかに――そのための栄養が確かに貯蔵されていたのなら。
傷ついた命は、確かに強くなってより生きる。
「ガークス支部長――」
「――指示、お願いしますっ!」
そして弾丸のように飛び出した二人は、水飛沫と氷雪とを巻き上げながら天使達を、そして神を攻撃する。
矢継ぎ早に繰り出す魔術。白と青の競演――豪雪の嵐が熱波を掻き消しては吹き荒び、水泡の爆発が天使達を次々と四散させていく。
「がぁっ!」
「ごぉっ!」
勢いはある。それは確かだ。
喰い付かれ、噛み千切られて果てた天使。
斬り裂かれ、断ち屠られた天使。
貫かれ、穿たれ、両断され、吹き飛ばされ、砕かれ。
凍り付かされ、波に飲まれ、渦の水圧に圧し潰され。
何しろ天使達の攻撃は全て、戦場の中心に陣取る【饕餮】を行使した黒い山犬が吸い込み引き受けている。
そしてその全ては彼女の黒く染まった外皮で消化されては動力となって貯蔵される。
それを使い潰しながら【神殺す獣】を三体に増やした山犬は、天使達に喰らい付く微分子機械の自己をさらに増殖させ蔓延させる。
天もまたただただ蒼く輝く刃を全く出鱈目な軌道で振り頻る。
最早その斬撃に【神薙】と【神緯】と【神螫】との区別は無い――全てを注ぎ込んだ“切断”で以て神の軍勢を根絶やしにせんと斬り頻るのだ。
その度に天は何かを無くしていく。
神の軍勢を斬る度に天は何かを喪失していく。
その喪失した何かが何だったかはもう彼には分からないし思い出せない。そもそももう、“思い出す”という機能すら“切断”のために差し出した。
誰もが必死に、今しか無いと号を発し、技を繰り、刃を交え、魔を唱えた。
徐々に黄金の戦闘人形達は減じていく。
だが父型の放つ【月吼】は座天使を討ち、母型の【魔弾】は中位の天使達の一掃に一役を買った。
また師型の魔術はミリアムの放つ流水やアスタシャの放つ吹雪を遥かに凌駕し、天使の総数を一割にまで減じさせる猛威を振るった。
それでも、まだ。
熾天使の三体は、その頭上に浮かび上がった神は、健在だ。
必死の猛攻も、決死の特攻も。
その何もかもの全てが、神には一つも届かずに――――
「|“空に咲き、灰と散る”《ファイアワークス》――」
空高く翳した剣身に宿る焔は噴き上がり、また翼を拡げた熾天使たちはぐるぐると円を描いて旋回する。
翼から漏れ出た火の粉のような輝きはやがて魔術円の軌跡を描き、立ち込める熱が色と意味とをそれに宿した。
「――“転輪する剣の焔”!」
神が【神の車輪】の上から楽園の大地に向けて放ったその焔は、熾天使達が空中に描いた巨大な魔術円によって劇的に強化され。
だが【饕餮】に吸収されるために集束し一条の熱線となって黒い山犬を白く焼いた。
無限とほぼ等しい山犬の固有座標域に溢れる、変換された動力は過剰な増加量によって内側から山犬を焼き尽くし、今度こそ【饕餮】を破り去った。
そして焦げた彼女から漏れだした熱は、再び楽園を白く染める。
数百の黄金色した戦闘人形も。
七体にまで増えた神殺す巨獣も。
残り僅かな蒼い悪魔も。
指揮を執る老いた戦士も。
果敢に戦った二人の魔術士も。
そして。
何も出来なかった、そしてしなかったレヲンと冥も。
誰もが何もが等しく白く染まり上がり――――
◆
「――起きて」
呼ばれ、瞼を開いた。
目の前には、穏やかな顔があった。少女は起き上がり、彼女は少女がそうすると同時に自らも屈んだ身体を伸ばし直立する。
少女は少女であり、彼女は大人の女性のように思えたが、しかし二人の背丈はそこまで大きな差は無い。
交差する真っ直ぐな二つの視線。その片方に、やがてはっきりとした意思が宿る。
「おはようございます、創造主様」
「目覚めはどう? 何処か、具合の悪い所はある?」
問われ、少女は自分の全身に意識を行き渡らせた。
「――背中に違和感があります」
「背中、ね……」
告げると途端に顔を曇らせた彼女に少女は不安を覚えた。
「もう数世代前から、あなた達“天使”の翼は生え揃わなくなってしまったの」
「そうなのですか」
少女は“天使”であり、そして彼女は少女を創った“創造主”だった。
しかし世界も終末期へと移行し、“火”――つまり霊銀の欠乏から創られる天使の性能も酷く劣化するばかりだった。
生まれたばかりだと言うのに少女にはその記憶があった。だから彼女の告げたそれが嘘偽りの無い真実であると断定でき、しかし何度か背中に意識を送ってどうにか翼を伸ばし拡げてみようとした。無論、それは成功に結び付かなかった。
「ごめんなさい、私にもっと力があれば……」
「そんな顔をしないで下さい、創造主様。私はあなたがそんな顔をすると、とても悲しくなるのです」
くしゃりと髪を撫でられた少女。彼女は次いで彼女を抱き締め、その行為は少女に温かい安堵と薄ら寒い不安とを同時に齎した。
「創造主様、私は何をすればいいのですか?」
だからそう問い質した少女に、彼女は告げる。
「先ずは、世界を見に行きましょう」
「世界を?」
躊躇いがちに言葉を選ぶ姿に創造主は眉根を寄せながら困ったように笑む。
「あなたの記憶にある世界の姿とは、何もかもが違うと思うけれど」
「違、う?」
「ええ――――だから、行きましょう」
差し出された手。恐る恐る伸ばした自らの手でそれを握ると、少女は彼女の微笑みを伏し目がちに伺う。
それでも。
誰かの手を握っているという事実は、何故かひどく、何処か遠く、懐かしいような気がしたのだ。




