神亡き世界の呱呱の聲⑧
「――――ああ」
白い光が収まり、事態を彼女が把握した時。
レヲンは、声を漏らしてその場に両膝を着いた。
辛うじて崩れてはいない、だがただそれだけだ。
漏らした声に込められていた感情は、何もかもが綯い交ぜで。
ただただ、言語化できない心が零れ落ちたのだ。
「神の聖誕――大儀であった」
神はその場にいた。いや、正確に言うのであれば浮き上がっていた。
そしてそれを取り囲む【千尋の兵団】の万の軍勢は、すでに千を切っていた。
白く爆発を起こした神の聖誕の放つ膨大な熱が、円陣に列ぶ九千の戦闘人形を溶かし切ったのだ。
そしてその中には、バネットとサリード、そしてニスマもいた。
後方支援に徹するつもりだったガークスと彼を守る布陣を敷いていたミリアムとアスタシャは円陣の外にいたために無事だった。
そしてそれはレヲンも一緒だ。【千尋の兵団】を指揮する彼女はガークス達の対岸の大外。冥もまたレヲンの隣にいる。
「……まだ、いたのか」
周囲を一瞥した神はそう呟き、嘆息した。
相変わらず玉座に腰を落ち着けながら空へと浮かぶ彼の足元には、巨大な戦車めいたナニカが在る。
――【神の車輪】。天使を創造する、という役割を持つ神の聖誕が己の残量の全てを注ぎ込んで創り上げた最期の天獣。
神を乗せて世界を飛び回るという命題を持ち、それそのものが人類を滅ぼす兵器でもあるそれに跨る神は、改めて空間から【楽園を護る剣】を取り出し右手に握る。勿論左手は【神の車輪】から伸びる手綱を握っているのだ。
だがそれだけでは終わらない。
「“我は天使を創り給うた”」
天使は全て、神から分け与えられた“火”で出来ている。
天使の死は、その天使の“火”を神へと還す行為でもある。
つまり神は、神の聖誕が持ち合わせていた天使を創造する役割をも取り戻したのだ。
そして神の力により、拡がる熱が集束して形作られる影に、命と意思とが宿る。
それは輪郭を、次いで色彩を、性質と量感とを孕んでは瞬時に天使として成る。
「我が名は“神の罪過”、賜りし位階は熾天使」
「我が名は“神の淘汰”、賜りし位階は熾天使」
「我が名は“神の永劫”、賜りし位階は熾天使」
先ず空中で翼を拡げた三体の天使――そのどれもが、神の終焉や神の聖誕と同じ最高位の天使だった。
そして次々と、下位の天使たちが徐々に生まれては翼を拡げて名乗りを上げる。
熾天使が三体、智天使が五体、座天使が十体、主天使が十二体、力天使が三十体、能天使が五十四体、権天使が八十八体、大天使が百二十二体、天使が三百二十体、そして個別の名を持たぬ天獣たちが六百八十体。
数だけで言えば互角かも知れないが、しかし戦力差は歴然だった。
神の終焉を撃破した山犬がいるとは言え、同じ神殺しでも天は単騎では互角にすら戦えず、また度重なる“切断”の行使で動きの精細さすら欠いてしまっている。
彼ら以外で、個体としての戦闘性能で渡り合える戦士はここにはいない。いるとすればレヲンと冥だが、兵団の殆どが焼失してしまったこと、そしてその輪の中に【禁書】の二人と協力者がいたこと――今はもういないことに打ちのめされ、とてもじゃないが戦えなくなってしまっているレヲンのために冥もまた戦闘を継続するか、それとも一度離脱した方がいいのかを迷ってしまっている。
戦闘能力では無く殲滅性能という意味では、寧ろ冥こそがあの瞬間に飛び出すべきだった。
彼女は大元である森瀬芽異が有する特異の魔術を継承している。
その魔術の名は【我が死を、彼らに】――自身に死が齎された際に、死を齎した者を対象として生死の因果を逆転する。結果、自身が対象に死を齎した、という結果へと事実を創り変えるのだ。
そしてもう一つ――|【彼らへの死は、我がもの】《モリ・セ・メイ》という魔術をも、彼女は有してしまっている。これは彼女の有する霊基配列の誤作動のような挙動でこそ発揮される魔術だが、指定した他者に及ぶ・及んだ死の対象を自らに書き換える、というものだ。
つまり|【彼らへの死は、我がもの】《モリ・セ・メイ》を行使した結果、指定した対象では無く自身が死ぬ。そしてその時、【我が死を、彼らに】が発動されその死はその死を齎した者に付与される。
だから冥は、神の聖誕が自爆し九千以上の死が蔓延したその瞬間に、|【彼らへの死は、我がもの】《モリ・セ・メイ》を行使するべきだった。
“火”が神へと還るのなら、神の聖誕の齎した死もまた、神に還るべきだったからだ。
だがもう遅い――神に届き得る一撃を、冥は突き出すことが出来なかった。その絶好の機はもう来ないだろう。
いや、来たとしても――――それでも冥は、きっと【我が死を、彼らに】も|【彼らへの死は、我がもの】《モリ・セ・メイ》も、そのどちらをも行使しないだろう。
彼女にとって“それを行使してしまう自分”は、もう赦せないものなのだから。
自分を殺し続けた結果強くなった森瀬芽衣の、棄却されるべくして棄却された半心としての森瀬芽異。
それを大元とする神殺しである冥は、自分を殺さずして強くなりたいと願っている。
その信念とも言える気概は、この場においては重い足枷だった。
もしも。
もしも冥が、その信念を放り出して九千を超える死を自らに引き受け、そして己に宿命づけられた特異で以てそれらを神へと繰り出したなら。
果たして、神は死んだのだろうか。
それでも、神は在ったのだろうか。
「うっわ、たっくさぁ~ん♪」
しかしその是非を問うよりも早く――魔王はその殆どを喰らった。
即座に空中に散布した微細な自らで以て、天獣と下位の天使たちを喰らい尽くした山犬はべろりと自らの唇を舐めずる。
「美味しすぎてゲロ吐きそ~」
そして自らを散布しながらも、自らもまた白い大地を踏み締めて跳び上がり、ありとあらゆるを喰らう【神殺す獣】へと転じ、微分子機械では喰らえない中位と高位の天使を噛み砕いていく。
だが同時に、黒く肌を塗り潰された山犬もまた軍勢の足元に立っていた。
全ての攻撃は巨獣では無く黒い山犬に吸い込まれ、愕然とする天使たちは一人また一人と噛み殺されていく。
「おのれ、獣っ――――ぁ」
焔を手繰ろうとした神の祝福はしかし、そうする前に縦に両断された。空中に立つ天が蒼い刃で以て斬り伏せたのだ。
「……」
もはや言葉すら切り捨てた。ただ神の軍勢を斬り屠る神殺しとしてのみそこに在る天は、何も言わず、何も思わず、ただただ刃を振るう。
「ぎゃっ」
「ぐぉっ」
「びぃっ」
「わぶっ」
「げひぃ」
「にゅぶ」
「ればぁ」




