神亡き世界の呱呱の聲⑦
「あらあら……日焼け止めは塗っていなかったのでしょうか?」
黒く焦げ付いた少女型の塊が空から地へと落ちて逝く様を、最後の天使はやはり微笑んだまま見詰めていた。
「――――、――――」
黒い焦げの塊は、落下の最中何かを呟き、そして辛うじて両手の指を蠢かせ――天使に、中指を突き立てて見せた。
それこそが“機”だった。
「総員、出撃ぃぃぃっっっ!!!」
ガークスの号が焦げた大気を押し退けて波濤する。
その声を聞かずとも、繋がれた霊銀の弦によってその指示を受けた全員が跳躍し、次々と創り変えられていく世界の様相に乗って空を目指して進軍した。
「“此の楽園を、赦さない”――」
何事かと事態を静観する神の聖誕の耳元に、囁きかけるような声。
振り向けばそこに、今しがた黒く焦げた炭素の塊へと燃やし尽くした筈の山犬が、妖艶な笑みを浮かべて自らの下唇を舐めている。
「――“其の獣は神を穢す数々の名で覆われ”」
世界を創り変えるは変身魔術の秘奥。自らに留まらず世界のありとあらゆるを変異せしめる、究極の“我儘”だ。
「おやまぁ……やはり女性というモノは、嘯く存在なのですねぇ」
「主語がデカいって――そもそもあんたも女じゃんか」
「天使とはそのような概念を超越した存在。見てくれで決めつけないで頂けますか?」
「見てくれよりも中身だって言う奴に限ってクソみたいな本質してるじゃんか。中身が崇高な奴はそもそもそんなこと言わないんじゃ無いかなぁ?」
にこにこと睨み合う山犬と神の聖誕――天使にして見れば、そんな表情を見せてはいるものの腸が煮えくり返るような思いだった。
いくら自分たちに似た再生・復元能力を有していようとも、あの神の一撃を真正面から喰らって生き延びているのだ。
理屈は解る――しかしこれまでに得た【神の眼】の情報から推察できる事実に明らかに反している。
山犬という神殺しは、神の軍勢のようにその再生能力は有限だった筈だ。
軍勢が神から賜った“火”を源とするように、この少女もまた自らが喰らったものをその源とする。
また、山犬は【饕餮】を行使した後は弱体化し動けなくなる筈だ。
過去に二度しか例を見ないが、この時のためにその二度を棒に振ったとは考えられない――あの弱体化は、真実だった筈だ。
ノヱルや天ならば、自身の半身とも言える神の終焉によって遥か遠くへと追い遣られた。彼らはその時に身に着けた何らかの新しい能力によって機能向上を果たした、それは解っている。
だが山犬は違う。彼女は、弱体化して戦闘継続出来なかった故に神の終焉による強制転移を免れている。
山犬は以前から何も変わっていない筈だ――神の聖誕は微笑みの裏でそう苦悶に奥歯を噛み締めると、解せない相手を強く見詰めた。
だが眼下には創り変えられていく世界が【禁書】達とそしてレヲンが召喚した万の軍勢――【千尋の兵団】の黄金の戦士達を急速に押し上げている。
しかしギョッとしたのは更にその下――――力強い泳ぎを見せるニスマと共に迫る海面だ。
「――っ!?」
津波のように押し寄せる海水が、白く泡を噴いて激しく上昇していた。噴泉どころでは無い、瀑布の逆映しだ。
「あっれー、もしかして泳げないクチ? せっかく一緒に海水浴愉しもうと思ってたのにさぁ~。わたしので良ければ水着貸すけど? 要らない?」
もはや微笑みは絶え、激昂を天使はその美貌に灯した。
そしてすぐさま自らの内に燃える“火”を轟々と燃え上がらせると、押し寄せる海面へと向けて小さな火の粉を幾つも投げ放つ。
「“神は天使を創り給うた”!!」
火の粉は戦士たちの頬を掠めるように飛び交い、しかし波に飲まれ小さな音を漏らして消えたかに思えた。
しかしその直後、ニスマは後方に神の軍勢の気配を感知し身体を旋回させて振り向く。
「我が名は神の溜飲、賜りし位階は――がぁっ!」
「煩ぇよ!」
轟く海面から飛び出た水の天使を屠る戦士達。
神の聖誕が新たに誕生させた天使は十体程いたが、そのどれもが下位の天使達だ。そしてこの戦場にいる戦士たちならばその程度の戦力は加勢とは言えなかった。
「くっ――」
神の聖誕が遂に苦悶をその表情に宿す。眉間に寄った皺の深さは彼女の焦燥を如実に表していた。
「おいおい、これで終わりかよ天使さんよぉ!」
海面と共に上昇する瓦礫片に乗るサリードが矢を放つ。
連射機能の備わった十字弓型の大型の魔器は十数本の矢を射出し、そのうちの数本は微笑みを忘れた神の聖誕の身体を貫いたものの、しかし食い込んだ身の内側で燃やされ消え失せた。
「っくそが、特注品だぞ!?」
ガシャコ、と音が鳴って十字弓の矢倉が引き抜かれた。それを放り投げたサリードは腰のバッグから新たな矢倉を取り出し、十字弓に装填する。
「こっちも負けてらんねっすよぉ!!」
出鱈目に押し寄せる波間から現れたバネットは、魔術の付与された曲刀を振り被る。
それは天の一閃に比べれば他愛ないと言える一撃ではあったものの、後方からアスタシャとミリアムとが息を合わせて繰り出した凍てつく吹雪の散弾が、神の聖誕の注意を逸らしたところを強襲する。
「――っ、」
それもまた凍結を宿す刃だった。
肩口をすっぱりと裂かれた神の聖誕は凍り付いたことで再生しない自らの右肩に視線を落としてはぱくぱくと何かを口にした。
しかし雹の散弾を撒き散らす豪風雪の嵐に掻き消され、その声は響かない。
「――――っ」
そして氷雪とともに溯る津波は遂に天使と神とを神殺し諸共飲み込んでは上昇を続け、そして地上と楽園との堺である渦巻く極彩を貫いたかと思えば、戦士たちをも運びながらその向こう側へと雪崩れ込んだ。
突き抜けた衝撃は静かに大気を震わせると、押し流す海流は広い空間を埋め尽くし、しかし踝の高さにも満たない浅瀬へと成り下がる。
つまりはそれだけの広さを持つ空間へと躍り出た、ということだ。
「主よ、このような慌ただしい帰還、申し訳ございません」
まるで作り物のような世界だった。空は白い天蓋に覆われ、地面もまた白く。
中心に僅かな高度を持った台座の上に、柱で構成された簡素な白亜の神殿があるだけ。
その神殿も、中央に玉座と思われる簡素な物体があるに過ぎない。
その玉座へと向かい歩む神は、その背に傅いた神の聖誕へと向けて、振り返らないままで言葉を掛ける。
「構わない――これからお前が私にしてくれることを思えば、それくらいは些末事だ」
「そう仰っていただき、至極光栄です」
すでに戦士たちは神と最後の天使とを取り囲むように配置をしている。
レヲンの召喚した【千尋の兵団】による黄金の戦闘人形達が各々の武器を構え、その中に【禁書】の戦士達もまた撃滅の気勢を見せている。
取り囲む輪の後方では指揮を執るレヲンとガークスとが、それぞれに冥、そしてミリアムとアスタシャを侍らせて対岸に位置している。
そんな中、雪崩れ込んだ海に飲まれ流されていた天と山犬とがざばりと立ち上がった。
彼らの位置は最も遠く、レヲンやガークスの位置する円周のさらに外側。
滴りを拭って前を見る二基は目を細めて睨み付ける。
神殿の中央、玉座へと辿り着いた神は、徐にそこに腰を下ろした。
それは異様な光景だったろう――――だがその危険性を、神殺しの二基とそしてレヲン、冥だけが感じ取った。
「離れ――」
レヲンの叫びすらも間に合わず――――神の聖誕が爆散した熱は、輪の中心で白く世界を染め上げていた。




