真性にして神聖なる辰星の新生⑫
「――ふふ、ぅふふふふ」
「とち狂ったか、神殺し」
十二の炎剣を背に戻した熾天使は、掴み上げる腕により一層の力を込める。
だが山犬から笑い声は漏れ続けている。その理由を神の終焉は探せなかった。探せないまま、何かがおかしいとは感じていながら、だがしかしもはや脅威を感じてはいなかった。
「ふふ、ふふふふふふふふ――――」
「何を嗤っている」
神の終焉は確かに誤認していた。
この少女型の固有座標域内に蓄えられていたエネルギーは底を突き、先程自らが放った範囲殲滅の業火によりノヱルと天の二基をも葬り去ったと。
だからこそこの少女は胴を分断されても再生できなければ、はたまた自らを棄却し周囲に満ちる微分子機械を集合させて複製した自己を新たな本体として蘇ることすら出来ないのだと――――そこで、はたと気付く。
激しく揺らいでいた霊銀は徐々に落ち着きつつある。そしてそれを検めれば、大気中に、外界に満ちる山犬の気配が一切消えていないのだ。
エネルギーが枯渇していたならば、こんなにも彼女が漂っているのはおかしい筈だ。
そうと気付いて目を見開いたまま呆然とする熾天使を前に、首を掴み上げられた上半身だけの少女は激しく嗤う。
「ぁは、ぁはははははははは――――っ♡」
「な――っ!?」
自らの首を掴む熾天使の剛腕を掴んだ山犬の両手がその腕を握り潰し、あろうことか拉げ折り砕いた。
そのまま左右に引き千切った山犬は、驚愕に目を見開く神の終焉を悪魔めいた破顔で思い切り蹴り上げ――しかし吹き飛ぶように瞬時に炎へと散った熾天使は僅かな距離を開いて後退した。
上半身だけだった少女型の神殺しは、下半身を復元させた。
だがこれまでは見ることの無かった異変が、そこには一つだけある。
臍の周囲と、そして鼠径部へと向けて刻まれた模様――妖しく光を仄放つそれは、これまでの彼女の表皮には無かったものだ。
そしてその模様のパターンと。
それが帯びる劇的なまでの霊銀の揺らぎ。
その二つの事実は、熾天使の脳裏に一つの回答を導き出した。
“異痕”――――それは、魔王の証たる印。
世界を想像し創造させるに至った者を“魔女”と称ぶ。
それは一種の現実逃避であり、己が理想を世界の外に創り出す行為だ。
だがある者は我慢ならない現状を変えるために、世界を無理やり変質させる。
変異をばら撒き、世界そのものを自らの理想郷へと創り変えてしまうのだ。
その存在をこそ、“魔王”と称び。
ルピの魂と結びついて山犬を成した魂こそ、その魔王の一人だ。
そしてその魔王の魂は今、長い微睡みから漸く醒め、熾天使の眼前に顕現した。
それを察した神の終焉は、だからこそ先程咄嗟に飛び退いて距離を取ったのだと――散った傍から反撃を喰らわせるのではなく――気付いてしまった。
己が打ちに湧き上がった恐怖に、戦慄に、気付いてしまったのだった。
「全っ然きもちよくない首の絞め方しちゃってさぁ……」
両手を天に向けて伸びをしながら侮蔑を吐く魔王を前に、神の終焉は驚愕と同時にもう一つの事実にも気付いた。
満ちる魔王の気配の中に、ノヱルと天の気配は無い。
あの倒れ伏した二つの影のどちらからも、それは感じられないのだ。
確かに屠ったその時には、その気配は確かに存在していた。
神殺しは魔術と技術とが融合して生まれた存在だ。死して尚、人間よりも遥かに高濃度の霊銀を含有するが故に気配――霊銀の揺らぎはなかなか消えない。
つまり――――その二つのガラクタは、眼前の彼女がこさえた全くの偽物だったということ。
「貴様っ、奴らは――がぁっ!?」
腹部を強襲する蹴り足の重みが、巨漢と称していいその体躯を今度こそ後方へと吹き飛ばす。
感情的になるあまり、攻撃に対して自らを炎へと散らして復元するという回避を神の終焉は選べなかった。だが本当に、それは感情的になっていたからだろうか。
「女の子目の前にして他の奴の話とか――童貞かよ」
それよりも彼にとって解せないのは、その蹴りによって破壊された肉が復元しないことだった。
その身の殆どを純然たる火により創られた熾天使たる神の終焉は、完全な状態の山犬と同等の再生能力を有する。
それが、どういうわけだか発揮されない。
燃え盛っている筈の内側の霊銀の動きが阻害されているのだ。蹴りを喰らったその箇所だけが。
「あー、でも大丈夫大丈夫。筆卸しもちゃぁーんと経験あるから」
困惑に混乱を重ね恐怖に戦慄を累ねる神の終焉を嘲る魔王の首筋に、一筋の線状痕が刻まれていく。
異痕のように薄っすらと妖しく発光するそれは段々と拡がっていき――やがて、まるで両手で扼殺されたかのような、巨きな蝶の影が焼きついたような模様へと変わっていく。
「ねぇ、きもちわるいことしてあげる。エロくなければエモくもない、ただただ只管にエゲつなぁいだけの――――」
べろりと、少女の悪魔が舌舐めずりをした。
◆
ぶわん――――裂かれた空間に覗く極彩色の渦から歩み出た二基は、焦げた石畳の床に靴音を響かせては辺りを見渡した。
「ここは?」
「さぁて、何処だろうな」
がしがしと右の側頭部を掻く、三つの歯車がそれぞれ異なる軸で立体的に組み合わさった異形の銃を展開する男――ノヱルは嘆息交じりにそう返した。
その返答に眉を顰めながらも悪態を吐かないのは天だ。彼としてはノヱルの返答に何も思うことは無いのだが、どうしてだか躯体の方が勝手にそういう表情を取ってしまう。
だがそれを、何処か懐かしいような、恥ずかしいような、むず痒い気持ちになってしまうのが少しばかり面白いと天は感じていた。
「何処だか判らない場所に賤方は飛ばされたんですか?」
この場所に転移したのはノヱルの仕業だった。【無窮の熕型】に反転させた【魔銃】を装填して放つことで、空間を跳躍する効力を自身と天とに付与したのだ。
だがそれを指示したのは彼らでは無く山犬だった。空中にふよふよと漂う無数の微分子機械を通じて、霊銀通信のように彼らに同時にメッセージを伝えたのだ。
「これなら賤方が飛んだ方がマシだったじゃ無いですか」
その意思を汲んだ二基はこうして、エディによって黒く焦げ付いた大聖堂の一階部分、礼拝堂へと足を運んだのだが、どうしてここに来てしまったのかをよくは分かっていなかった。
「己れだってここに来たくて来たわけじゃない。本当なら山犬の言っていた霊銀を追って、もっと地下深くに潜っていた筈だ」
「ならばどうして――と訊くのは野暮ですね。いいです、賤方も解っています」
やり方は違うが、天もまた時空を超越する者。
礼拝堂の奥、倒れた聖像の床に空いた穴から漏れ出る霊銀を視ればノヱルがしくじった理由も直ぐに解った。
「悍ましいにも程がありますよ」
睨み付ける先――隠し階段から昇り立つ霊銀は夥しい“死”の予兆を孕んでいる。
それが直接ノヱルの術式を阻害したのか、それともそれを知覚したノヱルが無意識的に座標をずらしたのか。それは定かではないが、例え後者であったとしても天は彼を嘲らなかっただろう。
だが、ノヱルでは無く天が転移を施したのなら。
すでに多く自身を削りながら“切断”を幾度と無く繰り出した天だからこそ、目指すべきその場所に着地していた筈だ。
しかしノヱルはそれを善しとしなかった。その理由も、天は心得ていた。
「……本当に貴方は、賤方にさえ気を遣いすぎる」
「はぁ?」
「いいですか、ノヱル」
「……あ?」
途端に何を言い出すかと思えば――眼前の優男が見詰める真摯な眼差しにまたもぼりぼりと右側頭部を掻き毟るノヱル。
探知されることを避けるために既に二基の姿は悪魔では無い。撫子髪をしたただの軍人めいた神殺しと向き合うのは、同様に海のような髪のただの浪人めいた神殺しだ。
「賤方はもう、貴方が託してくれた“賤方の斬撃が必要だ”という言葉だけでいいのです」
「お前何言ってんだよ」
「賤方には、それだけがあればもういいのです」
「馬鹿かよ」
ノヱルとて薄々気付いていた――天が、かつての彼ではもう無いことを。
その内に犇めいていた自負や自尊が抜け落ちたその輪郭はまるで伽藍洞だ。だと言うのに、彼の知る天よりも遥かに強く、遥かに危うい。
その在り方に、ノヱルはいつか共に戦った女戦士が豪快に言い放った言葉を思い出していた。
『強くなりたいんなら、執着を棄てな』




