真性にして神聖なる辰星の新生⑨
(……匂う)
冥は、多くの魔術士が視覚で以て霊性を知覚するのとは異なり、それを嗅覚で以て成していた。
彼女の鼻腔に流れ込んできた外気が帯びる“死”を彼女は嗅ぎ取っているのだ。
そして数多の天使や天獣が自壊していく中で、それらから発せられる夥しい“死の匂い”に混じった仄かな“違う死の匂い”を彼女は嗅ぎ分けた。
それは微量ではあったが、軍勢の放つ“死”よりも遥かに濃く、闇深い匂いだった。
(行かなきゃ)
形態を【トーテンタンツ】から【スケアクロウ】へと変じさせた冥は未だ所々上がる黒煙に身を潜ませながら匂いの発生源を目指して駆ける。
そして辿り着いたのは自らの色彩同様に黒く焦げた大聖堂跡。
伽藍と開いた門から“死”の充満する屋内へと足を踏み入れた冥は、その奥で今まさに隠された地下へと続く階段を降りて行く影を視認する。
(――エディ!?)
暗がりなど、機能として双眸に付与された【暗視】の瞳術が無条件で暴く。
でもどうして――その後ろ姿に、冥の脳裏にそんな疑問は湧き上がった。
彼は、【禁書】の元に搬送された筈なのに。
あんな風に、自分の足で立って歩けるような状態じゃなかった筈なのに。
だから冥は、何者かが自分をおびき寄せているのかも知れないと疑った後で、しかしそうすることの理由を見出せず、故にエディがどういう理由かは知れないがその足でこの場所に舞い戻ったのだと納得することにした。
そして自分自身も、彼の背中を追って地下へと続く隠し階段へと歩を進める。
思考の片隅には親友の顔があった。
きっとレヲンは、エディを喪ったら悲しむ――――だから、あの後ろ姿がエディだとするのなら、自分こそが彼を取り戻さなければならないと。
冥は、咽ぶほどに鼻を衝く“死”が舞い上がる地下へと、降りて行った。
◆
遥か遥か、大昔。太古よりも更に遠き過去。
世界は始まり、やがて滅びた。
世界はいつだって、魔女が創る。
そこでしか生きられなかった魔女が、自分にとって都合のいい環境を夢想し、それが霊銀によって現実に形作られ、世界となる。
だが魔女とて命だ。須らく命には終わりが来る。
魔女を喪った世界の核は、次なる者を探した。
多くの世界はそうなってしまうと閉じていくものだが、幸か不幸か、その世界は閉じるには大きく、そして重くなりすぎていた。
やがて創造と支配の権利を与えられた男は、魔女ではなく“神”と呼ばれた。
神は活性化し炎のように荒れ狂う霊銀から自らの僕たる“天使”を創り上げ、広くなりすぎた世界の管理を手伝わせた。
それは順調に歴史を刻んでいったが、だが物事には必ずと言って良いほど、誤算が起こる。
ある日、人間の一人が神の“火”を奪ってやろうと考えた。
魔女の死後、世界の支配者が神に代わってからと言うもの、人々には発展が与えられなかった。
凍る程寒く、それ故に痩せた土地で細々と暮らすのが精一杯であり、産めども産めども潰える命で総量は変わらなかった。
それは、かつて魔女が“人間は増えすぎると害となる”という考えを持っていたことによる弊害だった。その世界は人間が増えすぎないように調整された世界だった。
それに比べて神の住まう地は、明るく、暖かく、何もかもが豊かだった。
だから男はその根源である“火”を奪おうと画策し、あろうことかそれを成し遂げてしまった。
“火”とは燃え盛る霊銀の発生源であり、そしてその世界の核だった。
世界の核を喪った神は狼狽え、天使たちに世界を隈なく探させたが“火”はいつまで経っても見つからなかった。
だと言うのに、時を経るごとに人間たちは豊かになっていった。
季節に春と夏と秋が追加され、それらは順番に巡るようになった。
氷の融けた海や川は大地を潤いで満たし、肥沃を与えられた土壌は沢山の作物を実らせた。
齎された熱は命を育み、齎された光は発展の礎となった。
文明が生まれ、文化が生まれた。
鉱物資源が採掘されると、石器よりも遥かに優れた金属器が生産されるようになり。
物資が潤沢になると流通が生まれ、価値基準となる貨幣もが作られる。
格差が生まれ、貧困が生まれ、そして戦争が繰り返され、文明も文化もその度に天へと昇り詰めていく。
それでも尚、神は“火”を取り戻せなかった。見つけられなかったのだ。
だがそれは当然だった。男は、自らの身体の内に“火”を隠し、そして行方を晦ませ、地下の奥深くにじっと潜んでいたからだ。
男は知っていた。神は、天使は、空の上から大地を見張る。だから土の真下までは視通せないのだと。
やがて男の下に、幾人もの人間が訪れた。
彼らは世界を拡げようとする“王の器”だった。口々に、男の持っている“火”を分けてくれと切願した。
“火”はもはや繫栄に無くてはならない資源で、そして神の独裁を忌み嫌っていた男は彼らに“火”を分け与えた。
それらは“種火”と呼ばれ、新たなる土地へと安置されるとその土地を豊かにした。
時にはそこに興った国ごと焼き尽くす“災”もあったが、それでも人々が増え、新たな土地を求めて旅し、その度に世界は“火”によって拡がっていった。
“火”には、名前が付けられるようになった。
原初の“火”には、それを神から盗み出した男の名が付けられ、“プロメテウスの火”と呼ばれた。
国とともに育った“種火”はそれぞれ、“ブリギッドの火”、“インガインの火”、“セントエルモの火”、“サピエントの火”、“エセルの火”と呼ばれ、その“火”の名がそのままその国の名となり、“火”を擁さない小国も幾つか現れる中で原初の国とその五国は“六大国”と呼ばれるようになった。
大小合わせて五十ほどの国が生まれた頃――逆に神の国は瘦せ衰えていた。
自らの死期すら悟った神は遂に、残り僅かな自らに宿る“火”を土に込めて、一人の人間を作った。
そして天使たちにその人間を大地まで運ばせると、その人間に原初の国を目指すよう命じた。
他にも色んなことを命じられたその人間は、命じられた通りに原初の国へと辿り着くと、そこで一人の人間と出逢う。
作られた人間は女で、名を“パンドラ”と言った。
出逢った人間は男で、名を“エピメテウス”と言った。
それは巧妙に仕組まれた遭遇、邂逅だった。その運命を創り上げるために、幾人もの天使が己に宿る“火”を使い果たして燃えカスへと消えた。
だがその運命は、目論みに違わずパンドラとエピメテウスの双方を互いに恋に陥れた。
やがて四年後、二人は結ばれ、そしてエピメテウスは自らの兄の下に、自らの花嫁を見せに訪れる。
最も最後に下された命は、“プロメテウスの目前で門を開け”というものだった。
パンドラは、その身に神の国と通じる転移門を内蔵された神造人間だったのだ。
プロメテウスは目を見開き、エピメテウスは呆然と立ち尽くした。
だがパンドラは、門を開かなかった。自らの愛する夫の兄の前で自らに下された最後の命を思い出した彼女は、それを拒んだのだ。
そして真実を全て話し、逃げるようにその場を去った。
四年と言う月日は、彼女をただの人間に作り変えるのに十分な時間だった。
彼女はエピメテウスだけではなく人間そのものをすでに愛していた。
だから神命に背き、都市から離れた山の裾野で、自身の限界を悟った。
神は、彼女が万が一人間に染まり、自分の命を果たさなかった時のことも考えていた。
また、彼女が命題を果たせずに命を潰えさせてしまう結末をも想定していたのだ。
だから彼女は、その身が開く絶望的な力に耐えきれず、金切り声を上げながらその生涯を終えた。
それと同時に開く神の門からは、プロメテウスを討ち“火”を取り戻さんと躍起になる神の軍勢が押し寄せる。
そこに、エピメテウスはいた。
神と言う絶大な存在に対して自らを露見させずに世界の核である“火”を奪うという大業を成し遂げたプロメテウスの弟である彼もまた、人間と言う規格から並外れた力を持つ英雄だった。
ただ兄に比べると俗に近しい欲をしか持っていなかった彼は自らの国を持とうなどとは考えていなかったのだ。
行方を晦まさなければいけない兄を支援し、そして出逢ったパンドラと睦まじい仲を育むことだけで彼は満たされていたのだ。
それを、奪われた。
その片方を、彼は奪われたのだ。




