真性にして神聖なる辰星の新生⑥
「はぁ」
端的な嘆息は熱を帯びた風に溶けていく。
すっくと立ち上がった山犬は空を睨み上げ、そこから雪のように未だ降りやまない天使や天獣の群れを視認した。
それらの一部は、この地では最も空に近しい大聖堂の屋上にいる山犬を標的として見定め襲撃を仕掛けるも、ついぞやる気になった彼女の餌に瞬時に成り下がる。
「んじゃ結局、直ぐに蹴っ散らかして加勢に向かうってことで――」
そして山犬は自らの躯体の内に秘められた人造霊脊を回転させた。魔術を行使するためだ。
神殺しはそれぞれに異なる系統の魔術を込められている。
ノヱルであれば創弾魔術、天ならば憑依魔術。追加機能として授けられた追加の魔術もありはするし、此度の冒険の旅でそれぞれはそれぞれとして更なる力、魔術を修得して舞い戻った。
だが山犬はそうで無い。だからと言って現状、山犬という神殺しが彼ら二基に劣るかと言うと、やはりそうでは無い。
そもそも――山犬という躯体はクルード・ソルニフォラスが手がけた最高傑作だ。
人間の肉眼では視認することの出来ない微細な機械細胞の集合体である彼女は、その稼働が始まった時点で現在のノヱルや天よりも遥かに高性能だと言えた。
本来ならば望む限り自在に形を変える輪郭、そこに加え限りなく無尽蔵に近しいエネルギーの貯蔵量。そしてエネルギーが許す限り、輪郭同様に際限無く質量すらも増大させることが出来るのだ。
弱点があるとすれば、高度過ぎてそれ以上の改良が見込めないこと――だが彼女は既にその欠点すら克服している。
自分の欠点を埋める必要があれば、自分の血肉をその欠点を埋めることが出来るカタチを自ら創り出せばいい。これまではその必要が無かっただけで、彼女ほど状況への対応力を持った神殺しは他にはいない。
だがこれほどまでに多彩な筈の能力を持った躯体を、事実クルードは創り出すことが出来なかった。
確かに山犬は彼の最高傑作だ。
ヒトという輪郭からエネルギーを消費して山犬という巨獣へと変身することの出来る魔術機構。それに伴い、対象を喰らうことでエネルギーへと変換し蓄える機能。
だが彼が手がけたのはそれだけだ。
彼が創った彼女は微分子機械の集合体では決して無かったし、彼女が有するエネルギーの貯蔵庫としての固有座標域もまた無限とほぼ同一では決して無かった。
山犬は、山犬を構成するルピという人型汎用代働躯体の魂に結びついた悪魔の魂こそが創り変えたのだ。
そしてその魂は、生前“魔王”という称号を持って呼ばれ、とある“勇者”に討たれた娘の魂だった。
機能向上などもう必要ない。彼女の根底にある魂に結びついた魔王の魂が彼女自身を創り変えたことで、すでに山犬は至上の躯体へと成っていたのだ。
だからこそ山犬は目を瞑った。
それから、自身の躯体の隅々に意識を通し、自身を構成する一粒一粒の微分子機械の総ての人造霊脊を円転させた。
普段の彼女であれば、円転すとは彼女の人造霊脊を構成する微分子機械群のことであり、それは彼女の咽頭部に円環状に存在している。
だが違う。微分子機械はその一粒一粒にそれぞれ人造霊脊を有しており、それらを等しく円転させたのだ。
途端に山犬という少女の輪郭は崩れ、まるで異獣や異骸が死に絶えた際のように灰に似た粒子となって風に溶けていく。
当然だが、死滅したのではない。寧ろ逆だ。
聖都全体に蔓延り、今も尚増援を繰り返す神の軍勢を根絶やしにするために、彼女自身もまた聖都全体を攻撃するための範囲殲滅形態へと転じたのだ。
「じゃ、きもちいいこと始めよっか。エロくて、エモくて、とっっっっっても――――エグいこと」
言い終わる前に自身の躯体を全て分解し終えた山犬だったが、その微分子機械の総ては須らく彼女自身の固有座標域と接続されている。
そして風に浚われて聖都全体に降り注ぐ中、分裂を繰り返しては億や兆を超えて京や垓に膨れ上がった。
それらが明確な殺意を抱き、神の軍勢に牙を向ける――――途端に、天使や天獣たちは理由も分からないまま喰いつくされて消滅した。
炎すら残らない、全てを喰いつくされて無へと転じたのだ。
それは“無限の質量を以て凡てを無へと帰す”という、無常で無慈悲で無惨なだけの魔術だった。
魔王はかつてその魔術で以て勇者を苦しめに苦しめた、だが結局、彼の命には届くことは無く、だからこそ魔王は勇者に討たれ、この世界でクルードに召喚されて山犬の礎となった。
無論その魔術にも欠点はある――攻撃範囲こそ莫大に広いが、一撃の殺傷力は蟻や壁蝨にも劣ることだ。
当然だ、拡大して見てみれば解る。現在神の軍勢を蹂躙する微分子機械の一つ一つがその大きさのままで噛みついているのだ。
咬合力は【神殺す獣】と同等だとしても、口の大きさが全然違う。だからこそ微分子機械は群がって蹂躙する。その様は一瞬に凝縮された風化や浸食のようだった。
「これは……っ?」
「何だ、敵がいなくなっていく!?」
聖都の各地で天使や天獣と相対していた騎士団や【禁書】の面々はその異常な状況に戸惑い、しかし味方側に被害が出ていないことから、怯まず軍勢を圧していく。
軍勢の増援は今も極彩色に渦巻く空から降り続けるが、それらすらも大地に降り立つ前に霧消した。
「ぁぁぁああああああっっっ!」
戦輪を投げ放つ冥も。
「戦況の利は我らに有り! 全軍、進撃の勢いを止めるなっっっ!」
号を放って戦闘人形たちを鼓舞するレヲンも。
誰もが神の軍勢の消失という不可解な現象に後押しされ、蹂躙を蹂躙で返していく。
だが力ある高位の天使たちは霧散しない。
山犬の範囲殲滅形態は、微分子機械だからこそ攻撃に弱く、天使たちの振るう炎で焼かれれば途端に消滅する程だ。
それは天使を相手にするには脆弱で矮小すぎる――だからこそ無尽蔵に膨れ上がり、無数ほどに増殖する。
何せ喰らった相手を分解してエネルギーにする、という流れは同一だ。それこそが山犬の真骨頂。
非常に防衛的な【饕餮】とは違い、講じても自身に弱体化がかかるわけでも無く――――そしてこの形態・魔術の最たる利点は、本体を稼働させていても尚、並行して行使可能なところにある。
だから山犬は自らの総てを分解した後で自身の本体を天の内側で彼の血肉としてそれを再現する微分子機械に移すと、全く暇ない速度で繰り広げられる絶戦にある彼の中でうぞうぞと蠢いた――その違和感を、あろうことか神の終焉は見逃さなかった。




