真性にして神聖なる辰星の新生③
聖都は悲惨を超えて凄惨な状況にあると言えた。
エディが放った黒い焔は勢いを弱めず逆に建物や命を飲み込む度に強く燃え上がり、そしてその黒い焔に飲まれ焼け焦げた命は絶命を越えて立ち上がる。
“業火の骸”――未だ焼ける死骸が異骸化したものだ。しかしこの聖都に発生した業火の骸は皆、自らを焼いた黒い焔を纏っている。
“怨みの灰”――焼け落ち、灰となった遺体のその灰が異骸化したものだ。人の形を取りはするものの、憎しい命を奪うために定形を忘れ様々な禍々しい輪郭を宿す。
“鬼火”――灰すら風に掻き飛ばされ、焼け付いた影に未だ宿る熾火が異骸化したものだ。彼らは焔そのものであり、揺らめきながら聖徒を彷徨っては出遭う命を悉く焼いていく。
聖都の守護者たる聖天騎士団すらもが駆り出され、聖都民の避難と異骸たちの掃討が忙しく行われる中、更には“神の軍勢”までお出ましだ。
初の“粛聖”以降、法皇によってこの地にはそれは及ばないのだと説得され続けて来た聖都民たちはこぞって混乱した。
それは教団側も変わらなかった。
「天獣!?」
「天使もいるぞ!?」
「どうなってやがるっ!?」
「この国もおしまいなのか!?」
「神は俺たちを守ってくれるんじゃなかったのか!?」
軍勢に立ち向かう騎士達ですらこの有様だ。
と、なれば――――自分達が使う、教団が独自に磨き上げてきた魔術【聖蹟】すらも、神から賜った、というだけでどうしてだか使うことが出来なくなってくる。
使えば、災厄に見舞われるのでは無いか。
使えば、不可避の死を招き寄せるのでは。
――そんな思いに駆られ、本来はただの魔術でしか無い【聖蹟】を封じるしか無かった。
そしてその選択は、軍勢に対する撃破力、抑止力を大きく削ぐ。
聖天騎士団は彼らの大きな強みを欠いたまま、刻一刻とその数を減じていく。
だが正しく火に油を注ぐが如く、そんな最悪な状況は更に下落する。
「がっ、か、っぁぁぁあああ!!」
「どうした!? ――っああああ!!」
迫り来る【禁書】の襲撃に備え聖都各地に展開されていた【闇の落胤】達は、その前に襲来した謎の黒い焔及びその後の神の軍勢に対抗していたが、ここに来て彼らの体内に宿る“天使の力”が大きく暴走し始めたのだ。
無論、【闇の落胤】はその構成員の全員が“天使の力”を有しているわけでは無い。
忠誠と功績を認められ幹部候補生以上に成り上がらなければ、それを与えられない。
しかし逆に言えば、幹部候補生以上の役職を持つ全員がここに来て半ば異形と化し、|“粛聖”に迎合するかのように聖都民を襲い始めたのだ。そしてそんな彼らの一番の犠牲者になるのは最も近くにいた他の構成員。
彼らの力が一体どの筋から流入したものかを彼らは知らない。だがそれは紛れもなく――それこそ“聖蹟”などよりも遥かに――神により与えられし力だ。
だからこそそれは神の意志を汲み、人間を滅ぼすために猛威を振るう。
どうしてだろうか。
それは、罰のように見えて仕方が無い。
「ご、ぉえ、……ぐぶ、っぽ……ろ、ごぱ……っ……げ」
肥大した背から生えたのは堕天使の象徴たる黒い翼ではなく、蛸を思わせるような太い触腕だ。それが六本、うねりながら伸びては周囲の構成員たちを掴み、捻り上げていく。
そして頭上に掲げ、握り潰しては溢れ飛び出た赤々とした血を浴びるのだ――――【闇の落胤】幹部の一人、リシュウは既に化け物へと変じていた。
組織の詰所をのそりと出ては壁をぶち抜きながら表通りへと飛び降り、着地する頃には背の触腕は九本に増え、肉体の変異もまた人体の常軌を逸していく。
リシュウに既に当人の意識はもう無い。神から賜った力が膨れ上がった際に彼の魂をすら嚙み砕き、人だったという事実を有するだけの怪物に成り果てた。
「ゴポォ、グルドゥブ……グォルプロォ……」
何か言葉めいたものを溢しているが、それに意思や意味が宿ってはいるとは思えない音だった。
降り立った化け物を目の当たりにした逃げ惑う人々も、彼の背から伸びる暗褐色の触腕に縊り潰され、或いは捩り殺され。
その血を再び浴びた血塗れのリシュウだった化け物はより多くの人間の命を求めて闊歩する。
肥大しすぎた上半身に比べそこまで変わらない下半身のためその進行速度は緩慢だったが、獲物を認めるや否や身長よりも長大となった両腕で以て舗装路面を叩き、その反動を用いて鋭い跳躍を見せた。
そして空中で背の触腕をぎゅびゅるりと伸ばし、九人の命を奪い去ってはまたそれを掲げて血を浴びる。
その神々しくもグロテスクな光景に絶叫や絶句する聖都民の前に躍り出、彼らを守るために立ちはだかったのが山犬だった。
「……食べるとか啜るのも勿論アリだけど、浴びるってのもかなりエログロだねぇ」
うっとりと頬を紅潮させて目を細めた山犬は、しかし自身を無視して彼なりの捕食を強行しようと伸ばしたリシュウの触腕を、強かに踏み締めたことで崩れた路面を蹴り上げた礫によって打ち払い、未だ後方で呆けている聖都民に「逃げて!」と吼えながら肉薄する。
だがその突進は鞭のように振り払われる触腕の一撃に阻まれた。真横から急迫した肉の柱は柘榴色の髪をした少女の肉感に富みつつも華奢な躯体をいとも容易く弾き飛ばし――たかに思えたが、しかし大地をしかと踏み締める山犬はびくりともしない。それどころか、その凶悪な触腕を左手一本で把持しているのだ。
「うっわぁ――こんなにぶっといとか、やらしくなぁい?」
にへらと嗤いながらべるりと舌舐めずる山犬は、掴み上げた触腕を思い切り引っ張る――リシュウの身体がぐらりと傾き、だがそこは巨体の怪物。地面に両腕を伸ばして支えては、絶大の握力で以て路面を穿って舗装を掴む。
そうやって耐えながら、同時に残る八本の触腕で山犬の矮躯を強襲する。
「ゴポラァ!!」
「わわわっ、ぶっといのたっくさん♪」
血溜まりの影ような色の双眸を桃色に輝かせる山犬だが、流石にそれらの触腕が全て彼女の躯体を叩いたならば拉げてしまうだろう。
そして山犬はあらゆる攻撃を避けることが出来ない――“喰らう”ことに特化した神殺したる彼女は、それ故に全ての攻撃ですら喰らってしまうのだから。
しかしその制約はあくまで攻撃を避けない・躱さないということであって、今しがた地面を掴んで耐えるリシュウをその舗装路ごと引っこ抜いて投げ飛ばすことで攻撃そのものを無効化する、ということならば可能だ。
ぶわりと空中に放り投げられたリシュウは、化け物なりにそれがどういうことなのかを理解し戦慄しては、しかしだからこそ彼女を屠らなければならないと未だ宙で錐揉み回転を見せながらその勢いに載せて触腕を振り回す。
その無造作で無遠慮な全く見境の無い攻撃は掠った山犬の血肉――実際には彼女自身の機械細胞が擬態しているものだが――をびちびちと散らすも、彼女の絶対的な自己修復能力の前では一切の意味を持たない。
そもそも触腕を引っ張って空へとぶん投げずとも。
例えこれらの触腕に叩き潰されてしまおうが、肉片や血の一滴さえあれば――無論、固有座標域内に蓄えたエネルギーは必須だが――完全に躯体を復元できるのだ。
「うーん、このぶっといのは心行くまで愉しみたかったけど……ごめんね? 山犬ちゃんちょっとお急ぎモードなんだぁ」
そしてあれだけ色々と喰らっていたにも関わらずナニ喰わぬ顔で接近を果たした山犬は、蚊や蝿を駆逐するかのようにリシュウの膨らんだ顔面をばちゅりと両手で叩き潰した。
「あ、決め台詞忘れてた……まいっか、緊急事態だし」
そして山犬はやはり呆けている聖都民たちににこりと微笑んでは次の場面へと急ぐ。邪悪な雰囲気を嗅ぎ取り、避難する聖都民を阻害するそれを払うために。
だが、もしもここにノヱルがいたのなら気付いただろう――彼女が心なしか、そこまでやる気に満ち溢れてはいないことに。
事実、彼女――山犬は、ほんの少しだけ鬱屈とした心持ちだったのだ。




