夢・デマ・他愛・魔性⑲
スティヴァリへの偵察任務遂行の際に天が負った傷を修復するために貸与した山犬の一部は、だがしかし天の躯体を完全には修復できていなかった。
相性――理由を説くならその一言に尽きる。何せ山犬は天を仲間とは認めているものの、山犬の躯体の中に根付くルピの感情が天への献身を認めはしなかった。
故にそれはずっと燻ぶったまま、体裁だけを整えたままで天の躯体の中でふらふらと漂うばかりだった。
だがその後、天は彼自身が最も嫌うノヱルと共闘した。
その時ばかりでなく今回もまた、その時の想いを心に追い、そして殊理という異世界の少女を守るために奮戦しているという状況が、山犬の微分子機械を衝き動かしたのだ。
山犬は幾多もの微分子機械で構成される、本来は不定形のヒトガタだ。定まった輪郭を持たないが故に何にでもなれる――いや、正しく言うのであれば“変身魔術”を行使するためにそういった設計となった。
だから彼女の知能的演算核も、錬成炉も、微分子機械ひとつひとつが持つ微小の機能が連結してそれを成しているのだ。
切り離されていても、微分子機械はひとつひとつが山犬の持つ固有座標域と結び付いており、そこに蓄えられたエネルギーの供給を受けて必要に応じて必要な分だけの増殖を繰り返して躯体を修復する。
だが異世界に強制転移されたことでその繋がりは一度途切れてしまった。エネルギーの供給源を失った微分子機械は休眠状態に移行し、そのために天が牛から受けた傷に対しては機能しなかったのだ。
そして今、天の想いに呼応して劇転する錬成炉から漏れ出たエネルギーを受け、再度稼働状態へと戻った微分子機械は、現在の状況と天の想いを確認し、これまで山犬がそうしてきたように彼女の基準に照らし合わせ修復と自己増殖とを判断した。
寧ろ、山犬との直接的な繋がりを失ったからこそ、微分子機械は天の想いに合致したのかもしれない。
増殖を繰り返し、組み合わさった機械細胞群は天の躯体の失われた機能を補完する。
外部ではなく内部からエネルギーを奪われたことで知能的演算核は不足分を埋めるために更なる円転を錬成炉に強いる。
その結果――天の躯体は、他方でノヱルが自らの錬成炉を【無窮の熕型】へと変成させた際と同じ程の高熱を帯び、紅潮していく。
灼けた肌の培養皮膚繊維には赤味が差して褪せた珊瑚色へと――
それは牛に破顔を取り戻させた。
斬り捨て、断ち別れるつもりの一閃を受けて尚、こうして更なる力を発揮し立ち向かおうとするのだから、それが喜びで無くて何なのだと――凡そそんな心持ちだった。
技に倣い心を習う競技者では無い。
技を磨き命を屠る闘技者だ。
人の形をした命を斬る鬼は、眼前に粋を尽くしてもまだ足りない闘技者が現れたことに舞い上がりそうだった。
まだ、斬れるのだ。
まだ、斬り合え、斬り結べるのだ。
だが対照的に――――天の意識はどうしてか己の闇深くに墜ちて行くのだった。
◆
「――これは?」
眼前には己を斬り裂いた殺戮鬼たる牛がいて、背には守るべき殊理を控えさせていた筈だった。
だが見れば辺りは何もかもが切り取られてしまったかのような真っ暗闇――あの廃墟の空間も夜の帳が落ちて闇に包まれてはいたが、ここまで程では無かった。
この暗闇は最早、何も見えな過ぎて黒なのか白なのかも判別できない。
『どうして?』
そんな暗闇に唐突に響いた声の主が果たして誰なのか、天にはよく判らなかった。
だがきっと女性なのだろう――出来ることなら、その声の主はマリアベルが良かった。
機械とは言え、経年劣化によりヒトガタの記憶もやがて薄れゆく。
そうで無くても、一度創り変えられ、剰えズタボロに斬り伏せられてしまったのだ。その衝撃は躯体を伝わり内部の記録保持領域にまで波濤した。
だからその甘ったるい声がマリアベルのものであるのか、確かめられなかったのだ。
そしてその事実が、マリアベルの声を確信できなくなるほど忘れてしまっているという事実が天をひどく虚しくさせた。
『ねぇ、どうして?』
「……何が、でしょうか」
『どうして、あの子を見て思い出してくれたの?』
期待が高まる。相変わらず判別は難しいが、思い出してくれたという言葉は彼女を想起させた。
ヒトガタは滅多に夢を見ない。彼らにとって休眠とは必要の無いものだからだ。そして夢とは、休眠期間に見る、整理した夢の切れ端だからだ。そして休眠期間は普通に稼働しているヒトガタには訪れることがあまり無い。それこそ機能調整や改造のために移行されることがあるくらいだ。そしてヒトガタの中には、そうした機能調整や改造を必要としないために生涯に一度として休眠しなかった個体も少なくない。
だから夢というものを、ヒトガタは知識でしかよくは知らない。例に漏れず天もそうだ。だからもしもこれが夢だとするのなら、そこに出て来てくれる相手はマリアベルが良かった。
「……きっと、殊理が貴女と同じ、先天的な霊銀汚染に曝されていたからだと思います」
本当にそうなのだろうか――天はこれまで、マリアベルをなるべく思い出さないようにしてきた。
いつか彼女の言った、『思い出すってことは忘れてしまったってことでしょ?』という言葉がずっと引っ掛かっていたのだ。確かに、語義を問われればそうだと言えたのだから、覚え続け、だが思い出すことは無いように努めてきた。
それが、どうして殊理を見た瞬間に彼女の名前を呟いてしまったのか――だがその理由を天が突き止めることは恐らく無いだろう。
そして、その是非すら最早どうでも良かった。
『どうしてあの子を守ろうとしたの?』
「それは……何故でしょう。ですがそもそも、誰かを守ろうとすることに理由が必要でしょうか?」
『シシの時も。君は自由意志に衝き動かされて、ってよく言うけど……でも、出逢った女の子全員をそうしようとはしないでしょ? それって、何でなのかなぁって』
「……」
明確な理由など無い。出来る限り守りたいとは思うし、出来る限り悦ばせたいとも。
そしてそうすることで、その対象である女性がマリアベルでは無いことを、自身がそう出来なかったのはマリアベルだけなのだと思い知りたいのだ。
彼女だけが特別で、彼女以外に彼女はいないのだと、検め、確かめたいのだ。
『そんなにわたしのことが好きだって思いたいんだぁ。可愛いなぁ、カエリくんは』
「――っ!」
くすくすと嘲笑う気配に、天の意識は顔を持ち上げて仰ぎ見た。
真っ白な闇の影に、彼女は遠く佇んでいた。手を伸ばせば触れそうな程の隔たりを超えた先で、呆れながら微笑んでいた。
『でもね、きみはわたしのことを特別に思いたいんじゃない。きみは、わたしを利用してきみ自身が特別だって思いたいだけなんだよ』
「――――そう、かも、知れません」
『かも、じゃなくて、そうなんだよ』
傲り。
天の、そしてカエリの根幹にある罪科。
カエリは創られたその時から、ヒトガタとしての律を超えた自我を抱いていた。
ヒトガタは皆、人間のために、そして人間の代わりに労働を担う。しかしカエリはそんな規定よりも自らを由として生まれる意思を尊重し、優先した。
技術的特異点――――人間が築いた技術を超えた者。だがそれ故、彼は失敗作に過ぎなかった。
それを、男娼型故の美形と、その上技術的特異点を突破した自我を持つという特異性を気に入ったクルードが買い付け、カエリへと創り変えたのだ。
そのことから、カエリは自らを特別なのだと自負するようになった。
『きみは特別じゃない。そもそも、特別な誰かなんていやしないでしょ』
「……そう、なのかも知れません」




