夢・デマ・他愛・魔性⑱
「……隠れん坊は終わりですか? しかしよくよく考えてみれば、鬼は貴様の方ですもんね」
くつくつと嗤う牛――何も、天の言い草がツボに入ったのでは無い、寧ろ彼の軽口など最早牛には聞こえていない。
ただただ、牛は悦んでいた。
斬り結ぶ悦びを、最も近くにいた者が齎してくれる――終わりなど来て欲しくは無かったが、一度始めた以上終わらせなければならない。
だからそれまでの一挙手一投足を、刃同士のぶつかり合う残響を、散る火花を。
その全てを、余すことなく愉しみ切り、そして解き放とうと――ただそれだけを考えていた。
堪ったものではない――天はがぎりと奥歯を軋ませ、背に感じる殊理の気配を案じる。
彼女はもう、死にたいのでは無い。ならば牛に斬らせてなるものか――天は特段、殊理に対し何らかの情があるわけでは無いと認識しているが、しかし彼女の先天性霊銀汚染というマリアベルに通じる障害こそが天に彼女を護らせていた。
殊理の動かない故に断ぜられた下肢に、マリアベルの面影を抱いてしまう程――天は、知らずのうちに揺さぶられていたのだ。
だが揺さぶられたのは牛も同じだ。
殊理の吐いた『殺して』という響きが、過去の罪を想起させ彼の器に殺戮鬼としての本能を呼び起こしたのだ。とても、最悪な形で。
愛するが故に殺すことしか出来なかった鬼と。
恋するが故に殺すことしか出来なかったヒトガタ。
状況や経緯は似ていたとしても、両者は全く異なる。
そして、そのどちらもが、正しかったとは言い切れない。
いや。
彼らのどちらともが、正しくなかったと言うべきだろう。
二人ともが歪んでいた。
歪まされていた、と言い換えてもいいのかもしれない。
だが、歪んでいない直線など自然の何処にも無い。
歪んでいるが故に、それは極々自然の出来事だった。
それに正しいか正しくなかったかと論ずるのは、正しくヒトの所業だ。
「はああああっ!」
「らああああっ!」
がぎゃらりと打ち鳴らされる二つの刃。
反りを持ち、霊性を宿す白刃に対し牛の軍刀は半ばから断たれてしまっている。
無論、断たれているのだから切っ先などは無い。つまり彼が修めた軍刀術が最も得意とする“突き”の技は繰り出せない。
戦力はだがしかし拮抗していた。
天は牛を欠いているのだ――故に、放つ技の全てが本来の形には程遠い。
【神薙】も、【神緯】も、【神螫】も。
そのどれもが、本来の威力に大きく劣り、出の速さもまた緩慢に映った。
戦力は拮抗していた。
だがしかし、やがて段々と傾き始めていく。
「くっ!」
天の剣戟を掻い潜り、牛の放ったスキルがまたもその躯体に傷を付けていく。
牛が四分の一になる前、電脳遊戯の世界で手に入れた数々の技――それらもまた四分の一程度ではあるものの、牛は自らの技術、能力として行使できた。
「《戦型・月華》――――《望月》」
スキルによる斬撃は、それまでの体勢を一切無視して強制的にその技の形を作る。その起こりの不可解さが、天に大きな隙を生むのだ。
跳び上がると同時に前方に回転しながらその勢いを載せて放たれた一太刀を辛うじて白刃で受け止めた天だったが、ぎょっとしたせいで最大限の踏ん張りを見せられずにその衝撃で後方へと弾き飛ばされてしまう。
埃たつ無機質な床面を転がって即座に起き上がった天のすぐ後ろで、殊理は先程から何度目か数え切れない息を此度も飲んだ。
「はぁ、はぁ――」
「もう、いいです」
振り返ることをせずに、しかし背中で少女に問う。
「私が悪かったんです。希望なんて無いって、勝手に絶望して……」
「殊理」
「だから、……自分の言葉にけじめをつけます。私のせいで天さんがこれ以上」
「お黙りなさいーーーー賤方を侮辱するおつもりか」
殊理には見えない。
だがそう告げた天の双眸はまるでここで何度も相打った刃のようにぎらりとギョロついており、その様相は眼前の殺戮鬼の破顔の皺を深めていた。
「――――推して参る」
再び駆け出す天。
再三打ち付けられた刃は毀れ、切れ味とともに技の冴えですら徐々に失われていく。
牛の軍刀を折った際に受けた傷――それは肉に沁み込む菌のように天の躯体を冒している。
いや、傷では無い。傷が生む“故障”という損傷が、修理されないまま激しい駆動を繰り返すために拡がっているのだ。
低下した出力は、本来一介の殺人鬼に過ぎない牛×××を圧倒できずにいる大きな減員だ。
機能を停止してしまった追加機能に加え、増え続ける手傷は無事だった筈の特殊機能でさえも阻害し始めている。その証拠に、ここに来て天は霊銀探査機能による霊銀の感知・把握を出来なくなってしまっていた。
落陽も成され、光差さぬ廃墟には闇が犇めいている。
そんな中スキルを駆使しながら縦横無尽に駆け巡る牛の動きに追従出来ていたのはやはり霊銀探査機能の恩恵が大きかった。
追加機能が損なわれずに、その精度を戦闘用に調整出来ていたならもっと善戦できていたのだろう――だがそんなことを思ったところで戦況は変わらない。
激しく斬り結ぶ、一基と一鬼。
当たり前のように疲れを見せないヒトガタと殺戮鬼。
もうすでに、この廃墟での交戦は一時間を過ぎようとしていた。
「もう、終わろう」
その言葉にはっとなったのは天だ。そしてその原因は、言葉そのものでは無く言葉を吐いた牛の形相――――初めてちゃんと真っ向から面と向かった時のあの不愛想な無表情。そこには“ヒトの形をした命をとにかく斬りたい”殺戮鬼はもういなかった。
「待て、賤方はまだっ!」
「いい加減、疲れました」
振り被った半分の軍刀を降り下ろす牛。その斬閃はいとも容易くそれを阻もうとした天の刀ごと、その躯体を袈裟斬りにした。
ぱ、と花が咲くように。
闇に染まった地面、そしてそこに有り余る瓦礫に紅い潤滑油が散る。
少しの拍を置いて、ゆっくりがっくりと膝を着き、倒れる躯体。とてもゆっくりで、だからこそ天は自らが斬られたのだと未だ理解できていなかった。
そんな筈は無い。
賤方が負ける筈が無いのだ――――と。
傲り。
傲るからこそ、負けを認められず、真っ向から力で対向する以外の考えを持たない。
傲るからこそ、自分だけをしか信じ切れずに、誰かの力を必要とすることが出来ない。
傲るからこそ。
傲るからこそ、天は天にしかなれない。変化を受け入れられない。
自由に縛られ、過去に呪われ、そんな自分を見ることが出来ずに目を瞑り続けている。
自分では牛と向き合ったつもりでも、何一つ彼を見てはいなかった。
弱い自分を認めることが出来ずに――――いや。
弱さを思い知った時が、一度あったじゃないか。
もはや動かない躯体で、天はその一度を夢想した。
下げたくない頭を、下げたその一度を。
組みたくない手を、握ることを求めたあの一度を。
『――――天、己れにもお前の斬撃が必要だ』
かあ、と熱くなる。
錬成炉が限界を超えて霊銀を回し始める。
そして。
山犬が手当のために天に分け与えた彼女の微分子機械が、ここに来て漸く天の躯体に馴染み始めた。




