夢・デマ・他愛・魔性⑭
※注意※
物語中、過度に過激な暴力的・冒涜的表現が出て来ます。
気分を悪くされたり吐き気を催した際は適宜読み飛ばし、リアルな想像をお避け下さい。
◆
「今のところ、どの辺りが“性格が最悪”なのか解らないんですけど?」
殊理のじとつく眼差しに、天はくすりと笑った。
何故だか解らず泣き出した彼女に対して、「マリアベルという女性がいたんです」と話を切り出した天は、口火を切ってから“どうして話そうなどと思ったのか”と自分自身に驚いた。
殊理も殊理で、涙をぽろぽろと零し鼻水を啜り上げながら、一度だけ聞いたその名前にそろりと顔を上げ、“一体どういうつもりなのか”という感情の籠りに籠った視線を天に刺す。
だが一度口にしてしまったものは仕方ないと、まるで凍える夜中に手を温めるために息を吐くように紡ぎ出された物語を聞いているうちに、いつの間にか殊理の慟哭までもが息を潜めて耳を欹てていた。
そんな中で問い質された天は、懐かしむように虚空に笑みを浮かべながら答えを漏らす。
「彼女が店を転々としていたのは勿論、彼女が生の人間であるにも関わらずその仕事に従事していたことが最大の要因ですが、しかし彼女の性質もまた、少なからずの原因になっていました」
「性質って……最悪な性格、ってこと?」
「そうですね……彼女は客の、どんな性癖や仕打ちも受け入れていましたが、ですがその上で必ず相手を壊したんです」
「こわ……え?」
先天的に霊銀汚染を帯びて生まれた彼女の四肢は動かなかった。だが彼女の身に降りかかった不幸はそれだけでは無い――彼女は、多くの異獣や異骸と言った所謂魔物が持つような、驚異的かつ無尽蔵の“再生能力”を有していたのだ。
逆に言えば、それを有していたからこそ彼女はどんな傷も受け入れた。
全ての客がそうでなかったとは言え、彼女に対する拷問は情事の六割程度には達した。
約180℃に熱された鉄が皮膚に象る焼印は押されなかった日が無かったし、例え粘膜であろうと彼女の身体の部位で押されなかった箇所は無いと言えた程だ。
また、刃物で肉に穴を穿ち、そこを生殖器官と見立てた行為もあった。
そもそも、四つの義肢は取り外してしまえば彼女は自ら移動すら出来ず、身体を捩って反転させることすら難しい――――マリアベルという情婦は、それらの嗜虐の一切を余すことなく受け止め晴らした。
だが全ての傷は、重いものでも一日経てば全てが元通りとなった。
一度だけ、ついた客が止め時を誤り行き過ぎた扼殺が成立してしまったことがあったが、在り得るはず等無い方向へと拉げ曲がった彼女の首元に吐き出した直後、奇跡と呼んではならない筈の復活を遂げている。
『わぁ――――死んだと思ったよ』
客は二度目の嘔吐に咽んだ。彼女の笑顔はとても美しかった。
刺激を求める行為というのはエスカレートしていくものである。殊更、それが日常である彼女は。
やがて彼女は被虐される立場から被虐を求める立場へと変わり、そしてやがて嗜虐を命じる立場へと辿り着いた。
どんな客だろうと、もはや彼女の前では虐げる奴隷だった。
狭くも広くも無い部屋の中で繰り広げられる冒涜的な致傷だけが色に濡れていた。
赤と黄色と白濁が混じり合い、殺害現場さながらの惨状の中でいつでも彼女は悦びを謳歌していた。
初めての客には首を締めさせた。
慣れてきた客には責め具を持たせた。
常連には刃物を握らせ、太客には拷問器具を使わせた。
そして客は皆、壊れていくのだ。
焼き鏝で様々な烙印を押しては支配欲求を満たしていた商人も。
自らこさえた刺創にブツを捻じ込んでは腰を振り果て続けた研究者も。
縛り上げた彼女の関節の可動域・骨の強度を無視して捩じった自称芸術家も。
彼女に施したことで様々な拷問器具の正しい使い方を修めてしまった文官も。
彼ら・彼女らにはそれぞれの日常と生活とがあり、だが刷り込まれた支配欲求・破壊欲求は彼らが日常生活を送るために閉じ込められた筈の心の檻の格子を少しずつ拡張していった。
やがて彼らはあの部屋で体験した刺激的を超えて冒涜的な惨劇を常に想起するようになり、それを笑顔で受け入れる彼女の姿に、段々とそれが非日常では無いのではないかという妄執に囚われてしまう――――彼女が創造の産物では無く、なまじ現実に存在するがゆえに。
そして、超えてはならない筈の一線を踏み越えてしまうのだ。
いや、そうなった者は意外と少ない。多くの者は、そうしてしまう前に自我が崩壊した。
あの部屋であの惨劇を繰り広げた自分の闇と向き合ってしまい、“あれは自分じゃない”“じゃあ誰がやったのか”“自分の中に誰かがいる”等と――――とにかく、まともではいられなくなってしまうのだ。
娼館は色街にある。そして色街は裏町と言っても過言では無い。そこには、そこでしか存在しない流通経路が存在し、そして情報もまたその経路に載って回る。
そして彼女は気が付けば来なくなった客の情報をスタッフから仕入れると、生まれたての赤子を愛おしく見つめる母親のような、この世で最も崇高な笑みに似た表情を見せたのだ。
それが最悪で無くて、一体何だと言うのだろうか。
「……」
揚々と語っていた天は蒼褪めた殊理の表情に気付き、慌てて口を噤んだ。
考えてみれば、相手は学校に通うような年齢だ。恐らくシシとそこまで変わらないのでは無いだろうか。もしやすると性についてのある程度の知識はあっても経験は伴っていないかもしれない――もしもそうなら、そんな相手に一体何の話をしているのだと天は狼狽した。
「ちょっと、……流石に気持ち悪い」
「も、申し訳ない……賤方が迂闊でした」
「あ、ううん。聞いちゃったのは私だし、止めなかったし。でさ、その……マリアベルさん?」
「はい」
「マリアベルさんは、ドMってこと?」
「いや……相手に強いてるのですから、寧ろ嗜虐的だったかと――そもそも、嗜虐主義と被虐主義は表裏一体ですから」
「そうなの?」
「あくまで知識、ですが」
「ふぅん……」
耳年間なだけかも知れないが、このような全く過激すぎるにも程がある話にも臆面無く喰らい付いているあたり、意外とこなれているのかもしれないなと天は心の中で独り言ち、そしてそんなことはどうでもいいと再び話を続ける。
「ある時、こんなことがあったのですが――――」
二人の脳裏には、すでに牛の存在は消えて無くなっていた。
†
「まだまだだなぁ、君は」
粘性を付与されたことで空気を多分に含む軽やかな泡で以てマリアベルの肢体を隅々まで洗いながら、ここはこう洗うのだ、ここは特に気を付けろと何度も叱責されながら、しかしカエリは全く嫌な気分になどなることは無くその美しさしかない身体を湯で流す。
広いバスタブに張った湯には薔薇の花びらをこれでもかと散らし、香りづいたバスルームの中で二人は寄り添いながら湯船に浸かる。
平気でこうやって風呂に浸かれるのだ、さっきまでついていた客は一見さんだったのだろう――最も、情事の際の傷が既に塞がっているという可能性もあるが。だがそうだとしても、自分が共にいられる時間で彼女の痛々しい姿を見なくてもいいというのはカエリにとっては僥倖だった。
「んで? どうせ今日もシないんでしょー? 物好きだよね、君ってさ」
隣から差し向けられたその表情に半ばどきりとしながらもカエリは苦笑した。
「って言うか普通は逆なんじゃ無いかな? 私がヒトガタで君が人間、って方が普通だよね」
「それは……そうですね」
「まぁさ、私は別に? 生活が潤うだけだし。欲を言えば君がつくと欲求不満気味になってしまうんだけど?」
「それは申し訳ない」
「痛いことしてくれないもんなーいやまぁさ、別にいいんだけどね?」
全く良くない――――照らすような笑みとは対照的に刺さる言葉がカエリにはちくちくと柊ぐ。
だがその棘に、彼女自身の欲求など微塵も込められていないこともカエリは知っている。
彼女は誰のものにもならない。誰しもを自分のものにとしない。
まるで蟻塚を踏み壊す子供の無邪気さが、自由ゆえの無垢さがそこにはあるだけなのだ。




