夢・デマ・他愛・魔性⑬
「義肢は買い換えないのですか?」
自らが纏う衣服を脱ぎながらカエリは訊ねた。
「お金が貯まったらね」
何度目か判らない、いつもの返答。
高級な魔動義肢を、四肢分買い揃えるとなるとどれくらい働けばいいのだろうか――カエリは労働の任を得ているが、しかし自分の働きがどのくらいの稼ぎになるかはよく分かっていない。
この国では労働者はヒトガタであり、それを管理する人間に労働の対価は支払われる――だからカエリは、クルードに対して孤児院の経営に関わらない労働の対価を支払うよう約束を取り付けてはいるが、実際に自らに支払われたそれが本当に自らが働いた正当な対価なのか疑問を抱いている。
無論、孤児院の経営に関わらない労働の許可を求めた際、その対価から幾分かは孤児院の経営に必要な物資の調達等に宛がうという条件を飲んでいる。その条件が無ければそもそもカエリが孤児院以外のために働くことは許されていないのだ。
そしてマリアベルはヒトガタでは無い――この国では稀有な、ヒトガタでは無い人間の労働者だ。
フリュドリィス女王国はヒトガタに労働を担ってもらうことで人間に趣味や研究の時間を大幅に確保させることに成功した。
それはこの国の産業に大幅な成長を齎したが、その枠に漏れてしまう者も少ないわけでは無い。
先ず、そもそもヒトガタを保有していない者は自らが労働をして対価を得なければならない。これは経済状況からヒトガタを手放さざるを得なくなった者などが該当する。
また、国外からの移住者もまた、ヒトガタを購入できるだけの経済力を持っていなければ自らが労働しなければならない。
だがこれらの者には、国により一時的にヒトガタを貸し与える、というシステムが存在する。ヒトガタが働いた対価は幾らか少なくはなるが、そのまま購入金額を分割で納めることでそのヒトガタを、或いは異なるヒトガタを購入することも出来る。
もはやこの国では、自らが働く人間は変人だ。或いは、ヒトガタを管理しきれない無能者だ。マリアベルは、変人の枠の内にいた。
だが彼女にも理由があり、経緯がある。その多くをカエリは知らないが、だが彼女が先天的な霊銀汚染を持って生まれたがために、その四肢は役に立たなかったことを、そして生まれて直ぐにその四肢を切り落とさなければならなかったことを知っている。
だから彼女は、ヒトガタを保有する財産を彼女自身の魔動義肢に充てなければならなかった。
だがそれだけでは無い――――彼女は、母親の産道を通って生まれて来た。そのためにその国で普通の人間が送るような普通の人生を送ることが出来なかったのだ。
フリュドリィス女王国では、全ての出産は国により管理されている。
赤子は培養管の中で育てられ、時期が来れば取り上げられる。
肉体同士がまぐわる性交による受胎と出産は、母体を大きく傷つける可能性があり、そして母体の活動を大きく制限するために今では罪悪となっていた。
それでもマリアベルは母体から産まれてしまった。彼女は自分の母のことは知らないが、母が自らと同じ色街で働く労働者だったことは知っているし、そして父のことは全く知り及んでいなかった。
孤児となったマリアベルは、母と同じ道を進むようになる。
国の政策により最低限の教育は受けられた。読み書きや計算は出来るし、生きて行くのに必要な教養や知識は得ている。
だが彼女が母と同じ道を進んだのは、あのような母のもとに産まれ付いたために周囲から蔑まれ・不幸だと憐れまれた自分が、他の誰にも出来ないような幸せを自らの役に立たない手で掴み取るためだ。
彼女は気丈だった。そしてそれ以上に、執念に塗れていたのだ。
そんな彼女が、娼婦となるために創られたヒトガタたちよりも人気を博したのは、先ずその美しさのためだっただろう。
何しろ彼女は美しかった。
彼女の顔貌は神が齎した奇蹟と謳われたし、身体が保有する曲線は学者たちに黄金比の見直しを強要した。
寧ろ彼女自身が美しすぎたために、彼女が着けなければならない四肢はひどく歪んで見えた程だ。
人体工学の粋を集めて創られた筈の魔動義肢は、彼女が持つ美しさを損なうことしか出来なかった。
だが国が認可する娼館はヒトガタの従事をしか認められてはいない。
彼女は娼婦として働く中で幾つかの娼館を国からの摘発で潰した。やがて彼女は裏町でしか生きて行けなくなり、そしてこの店へと辿り着いた。
どんな職業も、性能で言えば人間よりもヒトガタの方が遥かに優れていた。
だがどんな職業にも、ヒトガタでは無い人間の働き手というのはいた。
特に人間の娼婦は、その手の好事家にかなりウケた。何しろ相手は人の心を持つ人間だ。ヒトガタには無い、人の心を込みで蹂躙できる、欲望のはけ口に出来るという事実は彼らを足繫く娼館へと通わせた。
マリアベルはその点をよく理解していた。
だから客に、自らの四肢を外させることを良しとしたし、着け外しの際の痛みも一切を顔に態度に出さなかった。
どれだけ乱暴に扱われようと、そのために傷をこさえようと。それすら込みで、彼女は男たちの――時には女たちの――後ろ暗い欲望の全てを受け入れ抱き締めた。
そんな娼婦がいることを、カエリは自らが男娼として働く中で知った。
何しろ、時期が時期なら自分が身を置く孤児院にいたかもしれない相手だ。そんな女性がどうしてそのような生き方を選んだのか、気になって仕方が無かった。
今も天がそうであるように、カエリは自分を特別視していた。
それもその筈だ――――彼は、自分に“心”があることを確信していた。
技術的特異点――人は人を創れない。ヒトガタに込められた意思はあくまで規定されたものであり、どれだけアルゴリズムを弄ったとしても、例えばヒトガタはそれを管理する人間を裏切ったり故意に傷つけることは出来ないなどの制約を負うものだ。
どこまでも仮初でしか無い器の内には、やはりどこまでも仮初でしか無い心が宿る。それがヒトガタであり、しかしカエリは自らはそうでは無いと確信していた。
躯体の内に犇めく機械群とは違う、魔術士が言う“霊座”と思わしきそこから溢れる意思が身体を衝き動かしている感覚にいつも囚われていた。
その意思は先ず何よりも、男娼型として創られていながら孤児院経営およびそのための用心棒として与えられたその役割を疑問視していた。
クルードが選定した、どのヒトガタよりも素晴らしくまた美しい男娼型の自らの躯体を、本来の役割に沿って行使したならば――――その想いが、彼に空き時間をそのように使わせた。そしてその目論見通り、彼の客の中で彼をその立場を超えて愛そうとしない者はいなかった。
だからカエリはマリアベルのことが気になっていた。
初めは、そんな変人もきっと自分のことを好きになり、入れ込むようになるだろうと浅はかに考えていた。
だがそれは違った。
マリアベルはどんな客をも受け入れた。どんな客の、どんな仕打ちも受け入れた。
だが、どんな客の者にもならなかった。求める心を持たず、求めるに応じる心を持たなかった。
そしてカエリはふたつの事実に気付いた。
ひとつは、誰にも奪われず、そして誰をも奪わないその自由でしか無い――ともすれば孤高であり孤独と呼べるその在り方こそ、彼女の美しさの原点なのだと言うこと。
そしてもうひとつは、そんな彼女に自分の方が惹かれてしまったのだと言うこと。
きっとそれは“恋”だった。
でも他方から見ればそれはやはり、“呪い”なのだろう。




