無窮の熕型⑭
「己れに出来ることはあるか?」
その日の夜――ノヱルは不意に、そんなことを口走った。
目覚めたての身体を慣らし、調整を行うために王都の隅々まで見て回ったのだ。帰りはコーニィドの【座標転移】があるから、陽が沈むまで死の奔流に蹂躙された街並みを目に焼き付け、やがてノヱルは郊外の森にまで足を伸ばしていた。
かつて銀色に輝いていた不蝕鋼の森はもう無く、月夜に照らされた深緑の木々が生え揃っている。そしてその広場に、焼け焦げた建物の跡は無かった。
「……無ぇよ」
何も無い広場を眺めながら振り向きもしないノヱルの背に、コーニィドは溜息交じりに呟く。ぼさぼさの髪越しにぼりぼりと頭頂部を掻きながら。
眺め終えたノヱルはまた歩き出し、ある地点へと辿り着くとそこにしゃがみ込んで土に触れた。薄く被った土の下にはやはり土があるだけであり、何かが刻まれた瓦礫などは見当たらない――当然だ。
それでもノヱルは強く目を閉じた。何を思えばいいのかは定かでは無かったが、三百年前にここにいた彼らのことを想起し、ぎゅっと胸を震わせた。
「……お前の責任じゃ無いだろ。勝手に抱え込んでんじゃねぇよ、俺たちの国の出来事だ」
「……でもその元凶は、」
「だから、お前の責任じゃ無いだろって。頑固かよ」
ゆっくりと瞼を開いて立ち上がったノヱルは、ほんのりと赤くなった双眸で振り向いた。
そんな機能など彼にはある筈が無いのだが、彼はコーニィドがそんな無用の改造を施したんだと思い込むことにした。
「それに、早く戻りたいんだろ? ならさっさといなくなるべきだ」
「……悪い」
「だーかーらー……筋金入りだな」
「……そういう風に創られたと思ってくれ」
「創り変えてやろうか?」
「いや、いい」
「だろうな」
コーニィドもノヱルの隣まで歩み進むと、先程のノヱルのようにしゃがみ込んで両手の十指を組み交わした。そして短い黙祷を捧げ、すっくと立ち上がる。
「……かつて、ここには教会があったらしい。だが女王国がやがて信仰を失うと聖天教の宣教師や修道女たちはいなくなり、教会の跡地は孤児院になった」
「そこで暮らしてたのか?」
「そうだ。己れの他に二基のヒトガタと、十人の孤児たちと、そして」
「あのクルードって奴か」
首肯するノヱル。
「……でもお前の中にいんだろ?」
「ん?」
「そのクルードって奴の魂。元々のお前の魂と一緒になって、今のお前を形作っている」
視線の先には、少年なのか大人なのかよく解らない男の微笑む顔があった。
「なら、お前が自分の命題って奴を果たすことで、そいつに報いることが出来るし、そいつを救うことも出来る筈だろ」
「……きっと、そうだ」
「きっとじゃ無ぇよ――そうじゃないと空しすぎるぜ」
「……そうだな。それは空しすぎるな」
そして二人は王城へと帰る。コーニィドの自宅は王城のすぐ近くにあるからだ。直接の通路を持つその邸宅はもはや王城の一部と言っても良かったが、立地としては確かに城壁の外側に位置している。王位を退いたコーニィドが頑として譲らなかった結果の立地だ。
「しっかし……“エクスカリバー”と言や“剣”ってのが通例なんだけどな」
「剣?」
「ああ――俺の協力者がいる世界の話だけどさ。その世界ではかなり有名な物語のひとつにアーサー王伝説ってのがあってさ」
「ああ」
「そのアーサー王が王としての選別を、岩に突き刺さったその剣を抜くことで受けた。その剣の名が“エクスカリバー”って言うんだよ。あー、詳しいこと言うともちっと色々と違うんだけどな?」
「そうなのか違うのか、どっちなんだよ」
「いいだろうが。ああ、買って持ち帰って来てるけど、借りて行くか?」
本棚から一冊の書物を取り出したコーニィドはその赤い装丁の厚めの本を差し出す。
受け取ったノヱルは表紙を開きぺらぺらと頁を捲りながら連ねられた文章を次々と目で追った。
「どういうわけか全然違う世界なのに読めるのは……その世界が“真界”って呼ばれているからだ。あっちの世界は真理の総本山、“神言の魔術師”はすでに到達されていてあらゆる言語が通じる状態なんだとか」
「わけが解らんな……」
「めっちゃ便利だけどな?」
「確かに」
しかし綴りは違う――アーサー王の用いるエクスカリバーとは“Excalibur”であり、ノヱルの用いた無窮の熕型とは“X-Caliber”だ。
“X”とは“未知数”或いは“不定数・変数”を、“Caliber”とは“口径・力量・数量”を意味している。
「……己れの無窮の熕型とは違う」
「そりゃそうだろうよ」
速読機能で始まりの章をものの十数秒で読み終えたノヱルはぱたりと閉じた本を棚の元あった場所に戻した。しかしその隣の書物の背表紙が目に入り、気になってその本を引き出して開く。
物語の題名は、“ヨンジュウシ”。
「ああ、それはこの世界の物語だ。でも似たような奴が向こうの世界にあるんだよ。あっちは“三銃士”だけどな」
その物語は、四人の“ジュウシ”がただただ世界を旅するというものだった。様々な人々と邂逅しては交流し、また様々な事件に巻き込まれては様々な相手と交戦する、というものだ。
四人のジュウシは全員異なるジュウシだった。それがその物語の最大の特徴であり、面白い部分とも言える。
一人目は“銃詩”――様々な銃を操り、冷静で知的に悪を討つ。
二人目は“獣肢”――獣へと変じて荒野を駆け、あらゆるものを喰らい尽くす。
三人目は“柔士”――徒手空拳と刀による斬術を用いて、しかし平和的に物事を解決する。
四人目は“従屍”――死者の想念を引き連れ、喪われた魂を救済する。
「それこそお前たちの時代に書かれた話の筈だ。後ろの方、見てみろよ」
言われ、ノヱルは一度本を閉じて裏表紙から数枚を捲った。
発行年数は確かにノヱルたちの時代だ。著者名は掠れて読めないが、辛うじて二名の共作であり、それぞれの名前の頭文字が一人は“L”であること、そしてもう一人が“M”であること、また二人の名前はアルファベット三~四字程度の短いものだと言うことが判った。
「気に入ったなら貸すよ」
「……いや、よしておく。どうやって返せばいいかが解らないからな」
「ああ、確かにそうか。お前が人間なら、子孫にでも、って言うところだけど」
「残念だったな、生殖機能は持ち合わせていない」
本棚に戻し終えたノヱルは、改めてコーニィドに向き直る。
「……明日の朝にはこっちの準備も終わる。時計塔の地下の秘術を解放して、お前は元いた時代に戻る」
車輪の公国の王族にのみ行使が許される時計塔の秘術――それは、この世界では一人として存在しない“時術”の一つの術式だ。
実際にはクルードが過去から未来に時間跳躍をして襲撃を仕掛けて来ていたため、一人として存在しないというのは間違いになるのだが、公式には未だ記録されておらず、また生前のクロードも時術を修めてはいなかった。それもその筈だ、彼が時術をそうとは知らずのうちに行使出来たのは異骸化の副産物なのだ。
故に車輪の公国は時計塔の秘術を国民にすら秘匿している。国民はただ、時計塔には時刻を計る魔術が刻まれており、それで以て正確な時刻を国中に報せているとしか伝わっていない。
時間を操る秘術は、その存在を知られてしまえばどのように悪用されるか判らないからだ。しかしその術を使えば、どのようにでも悪事を働けることは明白だ。だから国民の承認を得た王族にのみその行使を許されるという不文律が存在するのだ。




