無窮の熕型⑫
「……やはり貴様は失敗作だった。貴様では神を討てぬ」
その言葉を聴いた、その瞬間――――ノヱルの虚数座標域に隠されていた記憶が、蘇った。
時が停まってしまったかのような。
一瞬が永遠に引き延ばされてしまったかのような。
そんな、森羅万象全ての事物事象が停滞した世界の風景の中で。
自らの深淵に隠していた記憶を取り戻した彼は、ただ息だけを吐いた。
希望は、ジュウの形をしていた。
それは銃であり、獣であり、柔であり――――でも、やはりそれは“十”或いは“拾”が正しかったのだろう。
気付けばその“十”の希望達が、ノヱルの周囲を取り囲んでじっと彼を見詰めていた。
「ディカ、ノーナ……」
双銃となった、最も幼く小さい二人。
「オクト、セヴン……」
猟銃になった男の子と、未だ得られぬ小さな銃になった女の子。
「ロック、キント……」
魔銃と鳥銃になった少年たち。
「カトル、ターシャ……」
葬銃になった腕白坊主、雷銃になった恥ずかしがり屋さん。
「アルト、ユイ……」
銃剣、そして騎銃になった最年長の少年少女。
ある者は哀願するような、そしてまたある者は悲痛そうな。
ある者は微笑むような、そしてまたある者はとても穏やかな。
十人十色の表情で、ただただ彼らはノヱルを見詰めている。
ああ。
ひとつ、足りない。
“十”の“銃”には、ひとつ足りない。
だから――その十一人目の影こそ、最後の銃に宿る魂なのだろう。
「――――まさか、」
振り返り、取り囲む十人の奥に垣間見た十一人目の影。
それを視認した時、ノヱルは崩れ落ちるような想いに駆られた。
神の軍勢が“粛聖”を開始し、祖国とともにあの孤児院はそこに住まう十人の孤児ごと葬り去られた。
それをどうすることも出来なかったクルードは、同じくその場にいながら守り切ることが出来なかった三基のヒトガタを“神殺し”へと変貌させるため、三体の悪魔を召喚して三基それぞれの根幹であるレヲン、カエリ、ルピの魂と結合させた。
その悪魔とは、一体が傲慢・虚飾・強欲を司る“悪意”という名であり。
一体が憤怒・暴食・邪淫を司る“獣性”という名であり。
そして一体が怠惰・憂鬱・嫉妬を司る“放縦”という名の悪魔だった。
レヲンと結びつきノヱルとなったのは、その中の“放縦”だった。
しかしその十一人目の影を見て、ノヱルはその悪魔が悪魔で無いことに――いや、悪魔は悪魔であったとしても、悪魔に昇華した人間だったことに気付いた。
もっと言えば。
その正体を、知ってしまったのだ。
愛らしい十人を可愛がるうちに自らの研究を放り出す“怠惰”。
その十人を喪ってしまったことを嘆き自らをも変質させた“憂鬱”。
そして――自らが創り上げた“神殺し”が持つ、“神殺し”の能力に対する“嫉妬”。
「……創造主様」
そこにいたのは――三基の“神殺し”を創り上げ、その起動を待ち、しかし託した命題が果たされることを見届けられぬまま死んでしまった、クルード・ソルニフォラスその人だった。
そしてノヱルが封じていた記憶とは――レヲンをノヱルにするために限界を超越して自らを撃ち殺させた、クルードの狂気の果てとの邂逅。
もはや人間ではなく悪魔となって、レヲンと共にノヱルとなって神を討つことを画策した愚者にして狂人との最期の遣り取りだ。
レヲンは道具だった。ヒトガタとは、人間を補助するための、人間の労働を肩代わりするための機械に過ぎない。
だからレヲンは、従うしかなかった。自らを創り上げた創造主たるクルードの命令・指示を、受け入れるしか無かった。
『儂に打ち勝ち、神を討つ弾丸で儂を葬れ。それが出来なければお前は失敗作と言うしか無い』
レヲンはクルードを、きっと愛していたのだろう。自分が失敗作になると言うことは、彼が失敗作を創り上げたと言うことになる。それを、とても受け入れることは出来なかった。
『撃て、レヲン! 儂を撃てぬお前に、どうして神が討てようか!』
特例的に、双銃は二丁拳銃であるために一度の【神亡き世界の呱呱の聲】で二発分と換算される。
まるで遺伝子のように螺旋を描いて創造主を撃ち抜いた弾丸は、その身の内に留まり肉体に死を齎した。
一人の人間を死に追い遣るのに、神性を貫く特性は意味を持たない。
しかしそれを放ったことでレヲンには限界が訪れ、そして死骸から抜け出たクルードの魂はレヲンの躯体に潜り込んで二つの魂が結着する。
レヲンは失意の中、自らがノヱルに変わっていくのを感じながらその記憶を深淵の底に封じ込め、作業台の上に横になると目を瞑った。
一番最初に天が目覚めたのではない。
一番最初――一基目は、やはりレヲン、いやノヱルだったのだ。
そして天が目覚め、神殺しの命題に背いて独り逃げ出し、最後に山犬が目覚め、ノヱルの覚醒を待った。
クルードの死体はやがて霊銀が宿り、天が目覚めるよりも先に起き出しては目覚めぬ彼らに愛想を尽かして四基目を求めて旅立った。
異骸に宿る魂とは生前のそれとは異なる。それはただ単に、肉体が持つ記憶に霊銀が結びつき、異なる法則の生命が生じた結果生まれた魂なのだ。
そこにクルード自身の本来の魂が無いからこそ――クルードは、レヲンが自らを殺したという記憶を忘れてしまった。
異骸は生前最も強い執着に依存する。クルードにとって“神殺しを創り上げる”という目的は、愛基に自らを殺させたという記憶よりも強い感情だった。
嗚呼――何が希望だ。
何処にも希望など無い。
命題を果たすために自らの創造主を撃ち殺した。ノヱルとなった今だからこそ、そんなことはしたくなかったと断じれた。
レヲンはきっと、クルードを愛していた。その感情はインストールされていなかったから知らなかったが。それでも、あの十人の孤児たちにいつしか抱いていたよく判らない感情と、それは何もかもが一緒だった筈だ。
何が希望だ。
何処にも希望など無い。
絶望だ。こんなものは絶望でしかない。
――――それでも。
“ノヱル、神を否定しろ”
撃鉄は落ち続ける。
“ノヱル、神を否定しろ”
魂は痛みを叫び上げ続ける。
“ノヱル、神を否定しろ”
もうそれしか無い。
ノヱルという躯体の中には、その命題しか無い。
愛する人を喪って。
愛する人を撃って。
その命題に従わなければ、それらは全て無駄になる。無意味になる。それだけは、絶対に駄目だ。
撃て。討て。ノヱル、お前が撃つんだ、お前が神を討つんだ――――クルードを、創造主を、失敗作を創った愚者にさせてはいけない。
そんな解が独りでに湧き上がった時――もう、十一人分の影は何処にもいなかった。
代わりに熱が――躯体の中心で激しく霊銀を励起させる魔動核の熱が、覚醒したノヱルに銃を棄却させ、代わりに無手となった右手を胸の奥に突き刺させた。
がぢゅり。
「な――っ!?」
胸骨と同じ働きを持つ胸部の金属骨格を貫きこじ開けながら躯体中心に内蔵された魔動核を握り締めたノヱルは、中枢の各部品と繋がる神経伝達索を引き千切りながら躯体からそれを取り出した。
「コーニィド……己れはこの後、休眠に入る……修理は、任せた……」




