無窮の熕型⑩
「お前が! ワシの与えた命題を果たしもせず延々と眠りこけたから! ワシは、ワシは……」
わなわなと身震いするクルードの怒りには、未練や後悔に似た悲しみが混じっていた。
故に右手に掴み上げた黒い球体はぶるぶると震わせたまま掲げ、気勢の籠った怒号が周囲に轟く。
「貴様らを無用と切り捨てたのだ!」
掲げ上げた黒い球体は、その輪郭をほんのりと滲ませ、呪詛のような黒い靄がじっとりと溢れ出てきている。
「見よ! これこそがワシが四つ目にして創り上げる最高傑作の核よ! ひとつ世界を完膚なきまでに滅ぼし尽くしたこの力なら、神の命に届き得るも同然!」
「だからって、あの世界の未来を滅ぼす理由は無いだろ」
「未来……?」
溜息。そして、がしがしと言う掻き毟る音。
「あんた、この世界が何処だか解って無いんだろう?」
「異世界だ!」
「違う……この世界は、己れたちのいた時代よりも三世紀ほど進んだ未来の世界だ。あんたがこの世界を滅ぼせば、つまり己れたちの世界の未来を奪っちまうことになる」
「それ、それがどうした!? 神を殺すことこそワシの宿命!」
「その発端は、守りたかったじゃ無いのか!?」
ノヱルすらももう吼えた。
もう、見ていられなかった。かつて自分を創り上げ、あの場所を築き、あの日々の中心にいた筈の彼のこのような姿など、見ていたくは無かった。
「貴様……何故、目から組織液を噴き出している。そのような機能を持たせた覚えは無い――レヲンにもノヱルにも、そんな機能は無い!!」
「……もう、いい」
背に円環上に配置された人造霊脊が円転し始める。
霊髄環が回転して節毎に刻まれた魔術紋が組み変わり、ぎゅるりと循環する霊銀は紋を通じて己の意味を認識する。
術式は展開され、ノヱルの手には銃が握られた。
「おたく、去年も一昨年も来たよな? その前の年に初めて現れてこれで四回目なんだけど……毎回毎回撃退されてよく懲りねぇな」
ノヱルが術式から銃を取り出したように、コーニィドもまた自らの固有座標域を展開しそこから愛刀たちを取り出していく。
鍔が歯車の形をした、刀身そのものに魔術的機構を宿す車輪の騎士団正式採用甲種兵装――コーニィドの周囲を浮遊して旋回するその六振りの刀たちはそれぞれ、“火車”・“水車”・“風車”・“石車”・“雷車”・“力車”と銘が打たれている。
そしてそれはそのまま、車輪の騎士団の二番隊以下の通称と同じであり、騎士団員はその通称と同じ銘を持つ刀を用いるのが通例だ。
コーニィドはしかし、そのどれにも属してはいない――六つの刀を開発しその全てに通じている彼は一番隊、通称“歯車隊”に籍を置いている。
車輪の騎士団一番隊、通称“歯車隊”隊長――それが現在のコーニィドの、肩書の一つだ。
「初めての年は国が半壊した。次の年も。去年になって漸く被害を二割程度にまで減じれた――いい加減にしろよ馬鹿野郎、通年行事かってぇの!」
旋回する中の一振りを取り上げ、「起動」と唱えるコーニィド。途端にその刀も、未だ彼の周囲を旋回する全ての刀も、角ばった刀身に刃を生やした。
「あんたはここで眠ってくれ。あんたの夢は、己れが必ず叶えてやるから」
「遅いわぁっ!」
掲げた黒い球体を握り潰したクルード。割れ欠けた球体から、死の奔流が溢れ出す。
それは無尽蔵に流れ出て、黒い帯となって二人を強襲した。
「あれは――」
「触るなよ、一瞬でガラクタになんぞ」
「……分かった」
クルードは既に狂い果ててしまっている。異骸となった際にその狂気は増徴されてしまった。
しかしその言葉が真実を語っているのだとしたら、あの壊れた球体から溢れた黒い帯は触れることで全てを破壊し、やがて世界に飽和して滅ぼしてしまうのだろう。
(こんなもの……どうやって凌いだと言うんだ)
ノヱルは猟銃を構えながらちらりとコーニィドを垣間見た。
手に握る刀のような真剣さを表情に湛えながら、しかし緊張よりは弛緩に傾倒する余裕ある佇まいだ。
「かと言って気負うなよ。俺がついてる、撃破役は譲ってやるよ!」
八相の構えを取るコーニィド。「合わせろ!」と号を発し、無色の足場を力強く駆け出した。
「りゃあああっ!」
「カァァァアアアアアアッ!」
真っ直ぐに突っ込むコーニィドを撃退するためにクルードも突き出した左手から乱気流を前方へと投射する。
だが直撃の瞬間にクルードの後方へと転移したコーニィドは手にした火車を勢いよく振り下ろす。
切っ先に灯った火が朱色の斬閃となって帯を残し、それを障壁魔術で防いだクルードを回り込んだノヱルの放つ散弾が横撃する。
障壁魔術はそれ自体が耐久力を持ち、つまり張られた傍から壊していくことが可能だ。
至近距離から放つ散弾は散らずに最大火力を点で伝える。装弾された三発を使い果たせば、罅割れた障壁はガシャンと硝子を割ったように消え去っていく。
「ぐっ!?」
しかしクルードは稀代の魔術士だ。この世界において、記録が残っていないために確かなことは判らないが彼よりも多くの魔術を修めた魔術士はいない。
障壁を割る直前に周囲の大気に毒を混ぜ、斬り付ける瞬間にそれをほんの僅かに吸い込んだコーニィドは即座に【座標転移】で距離を取った。
「“換装”――“双銃”!」
銃身に備わる刃による斬撃も併用した白兵距離での交戦に入ったノヱル。ヒトガタの躯体ならば毒は効かないことを知っているのだ。
しかしクルードは細やかな魔術でノヱルの猛攻を防ぐ。気流で身体を押し退け、照射する熱線で銃弾を弾き、また空間を氷結させて閉じ込める。それでも届く弾丸に対してはコーニィドのように転移し躱す。
防御も完璧ならば攻撃も――雷条を迸らせ、或いは斥力の嵐を巻き起こし、雹弾や火球を繰り出した。
実に様々な魔術がこれでもかと飛び出て来る様は笑ってしまいそうだ。しかしノヱルもコーニィドもそうせず、ただただ必死に喰らい付く。
「ちぃっ!」
「埒が明かないな……」
「まぁまぁまだまだ始まったばっかだぜ!?」
過去、クルードよりも多くの魔術系統を修めた魔術士はいなかった。
だが、クルード程多くの魔術系統を修めた魔術士ならば――この世界にはいる。
「“神曲”――」
声は下から。しかし直ぐにコーニィドの張った透明な戦場を飛び越し、六色の魔術球を纏った現王ケインルース・アルファム・ランカセス・レヴォルテリオはその術名に相応しい風景を創り出す。
「――“煉獄”!」
淡く清廉な白い炎がクルードを包み、彼の右手の割れ欠けた黒球から溢れる死の奔流すらも焼き尽くした。
白い炎は徐々に暗く、黒く変わっていき、焦熱の温度は右肩上がりに上昇する。
「“地獄”! ――――“凍獄”!」
黒く燃え上がる炎は瞬間にして凍結し、クルードを中心とした半径10メートルの空間そのものが凍てついた。しかしケインルースの魔術はまだまだ終わらない。
「最後っ――“楽園”!」
周囲に雲が立ち込め、神威の如き稲光が氷結の中心へと降り注がれる。
氷塊は割れ砕かれ、その中心にいたクルード諸共激しい光の中に閉じ込められた。
「ケイ! 遅ぇぞ!」
「悪い、コゥ兄! 避難指示で手一杯だった!」
気流を操る流術で中を飛翔するケインルースに足場は不要だ。ノヱルは双銃を棄却すると、溜息交じりに右の側頭部をがしがしと掻いた。
(……術の威力、精度ともにクルードと同等……化け物か……)
一体、どれほどの才能に恵まれれば彼の立ち位置に辿り着けるのか。いや、才能だけがあっても駄目だ、あれは血が滲むどころか血反吐を吐き散らかして漸く指先が掛かるかどうか――ノヱルは人造霊脊を激しく円転させながら独り言ちた。
無論、終わりだなんて思っていない。いたならば円転させる理由は無い。
白く煙を上げる中心からは死の奔流が未だ溢れ続けている――ならばクルードもそこにいるだろう。
「お客人、悪いね」
「構わない。己れから望んだことだ」
コーニィドと言いケインルースと言い――この国の王は軽すぎる。だがノヱルにとってそれは煩わしくは無い。寧ろ、気兼ねなく対等に物を言えるというのは気が楽だった。
(成程……いい国だ)
女王国は滅ぼされてしまったが。
その跡に興ったこの国――車輪の公国は、滅びてほしく無かった。
ノヱルの心に生まれたその感情を、しかし未だノヱルは知らない。
何かを守るために戦ったのは、ノヱルでは無くレヲンだったからだ。




