無窮の熕型⑨
「よっ。目覚めはどうだ?」
改造を施されたノヱルは寝かされていた作業台から起き上がろうとして途轍もない違和感に襲われた。
「……躯体が軽いな」
「だろうな。軽量化ってだけでも幾つか手を着けてるからな。聞くか?」
金属骨格を担う合金は霊銀の比重を変えたより強固でより軽量なものに変わった。
それにより重要部品を守る胸部や頭部の装甲も薄くなり、そして各種機能は配置を変えられ、規格も小さくなったために新たな機能も追加されている。
極めつけはコーニィドが担当した人造霊脊――脊柱型から円環型に変わったことでやはり多くの空間的余白を創り出すことに成功し、その分錬成炉を肥大化させて躯体の出力を向上させ、そのせいもあってノヱルは実数に比べてより大きな躯体が軽いと言う違和感を覚えたのだ。
確かに彼の躯体は軽くはなりはしたが、実際にはそこまで大きな変化は無い。
「追加した機能も多いぞ。俺から説明しようか?」
「マニュアルは?」
「記録保持領域に入れてある」
「ならいい。自分で確認する」
何だかふわふわとする感覚のまま起き上がったノヱルは作業台から降り立つといつも通りに軍服に着替えた。
中身は思いの外手を加えられてしまったが、外面、特に規格が変わっていないのは有難かった。
「……何だ?」
「ん?」
隅々まで自分の躯体の中を確認する最中、ノヱルは自らの深淵に違和感を覚えた。
それは躯体の中心、その最奥にして深淵の底――人間であれば“虚数座標域”と呼ばれる霊的座標に存在した。
“虚数座標域”とは、霊的次元上に存在するその者が所有する領域である“固有座標域”の中でも、他の存在とは隔絶されその所有者がしか認識・干渉できない領域のことである。
固有座標域自体は魔術士それぞれに様々な使われ方をする。自ら専用の魔術的効能を秘めた武器である“霊器”を保管したり、自ら使役する魔獣をそこで飼っていたり、また大量の水をそこに貯めておき、封を解いて瞬間的に大津波を引き起こす術士などもいる。
対して虚数座標域は所有者自身の無意識が強く関わる領域である。
失われた記憶の断片がそこに秘められていることもあるし、身体の自由を奪われたとしても決して他者に明かしたくない秘密や秘蔵の魔術式をそこに隠す魔術士もいる。
ノヱルに込められた二つの術式自体も、その虚数座標域に込められている。しかしノヱルにしか干渉できない筈のその領域に、誰かが踏み入った形跡があった。
「――当初許可を取った通り、お前の魔動核の虚数座標域まで視させてもらった。お前が使う術式はそこにしか無かったからな」
「ああ、そういうことか」
全てを解析する、とは文字通り全てだ。本来ノヱル自身にしか干渉できない虚数座標域であっても、ノヱルの許可があれば他者に干渉の権利を貸し付けることは出来る。
そしてコーニィドはこの国では珍しい方術士だ。空間と言う物理的でもあり概念的でもある事象を操る以上、霊的座標を可視化して干渉することに長ける。
「細かいとこまで説明しなかったのは悪かった。ただ、お前の全部を解析する以上、またお前に適した改造を施す以上、虚数座標域への干渉は必須だった。悪いな」
ノヱルはゆっくりとコーニィドを仰ぎ見、またゆっくりと首を横に振った。
「事後承諾は好ましくないが……その分、ちゃんと改良してくれたんだろ?」
その問いにコーニィドは破顔する。
「ああ。追加した色んな機能の使い方は実戦方式の方がいいだろ? お前は俺たちがこさえた新しい躯体に慣れなきゃいけないし」
「……そうだな。手合わせ寝返るか?」
コーニィドの表情はやんちゃそうな少年の顔貌そのものだ。しかしノヱルは呆れながらも、その表情は彼と然程変わらない。
「おうよ! 初対面の時の決着をつけようか! なぁに、壊れても心配ないさ、完璧に元通りに直してやるよ!」
「……慣らし運転、ってこと忘れるなよ?」
溜息交じりに右の側頭部をがしがしと掻いたノヱルはワクワクとしていた。
これまで、自分独りでの改造には限界があった。何せ意識を手放すことは出来ず、両手を動かさなくては何も出来ないのだ。
しかし休眠モードに入り全てを他者に委ねた。本来であればそれが愚の骨頂とも言えるが、ノヱルはこの者ならばそうしてしまってもいいという信頼感をどうしてだか得てしまっていた。
彼の家にて滞在していた時に色々と気遣ってくれた良妻のレンカや彼らの愛息であるヴァン。あの二人を眺めればどれだけコーニィドが家族をも大事にしているかが判るし、それでいて彼は彼の中にある憧れを形にする大志と意欲、そのための技術と知識を持ち合わせていた。
だがそれを知る前から、その兆しはあった――初めて交戦した時。その時にはもう、ノヱルは彼を信頼していた。
それ故に、彼が部下たちと共に組み換えた己の躯体を操れることが、ノヱルにはとても楽しみで仕方が無かったのだ。
しかしノヱルはそれを知らない。
その高揚が、“楽しみ”であることを知らない。彼にはそれがプリインストールされていないからだ。それを“楽しみ”と呼ぶ知識を、与えられていないからだ。
◆
車輪の公国はフリュドリィス女王国の跡地に建てられた国家だ。
女王国同様に、あらゆる中枢機関は王城に併設され一纏まりになっている。
開発局の建物を出て中庭へと踊り出たコーニィドとノヱルは、そのまま兵舎の訓練場へと移動しようとした。
さすがにノヱルが扱う魔器は攻撃範囲と殺傷力に富む。誰も巻き込まないように、物理障壁を張れるそこで慣らしをしようということになったのだ。
「――はい、こちらコーニィド」
苔色の外套のポケットから掌に掴める程度の通信魔器を取り出し耳にあてたコーニィドは、直後聞こえてくる緊急の指示に眉を顰め途端に真剣な顔付きとなった。
手短に用件だけを聞き、「分かった」とだけ返し通話を打ち切ったコーニィドは、何事かと振り返り視線を向けるノヱルに告げる。
「予測よりも早いが、例の襲撃者が現れた」
ノヱルもまた眉間に皺を寄せ、そして転移門が開いたとされる東の空を遠く見詰めた。
頭部に新たに加わった望遠機能で以て雲と同じ高さに開いたそれを見つけると、軽く嘆息する。
「慣らす暇なく実戦か」
「悪いな……もう少し俺たちの作業が早ければ」
「いや? あれは最速だったと思っているよ」
「……そう言ってくれると助かるよ」
「転移できるか?」
「今座標が特定できた。車輪の騎士団連中も駆け付けている。半分以上避難に割かれるけどな……行くか!」
「ああ、行こう」
二つの影が光に包まれ、瞬時に輝く粒子に分解された。
意識は極彩色の渦の中――螺旋を描く様々な明度と彩度の帯を透過して、二人はやがて雲と同じ高度に到達する。
「“空間固定”!」
コーニィドが方術により空間を固定し足場を作った。霊銀が魔術反応により光を僅かに屈折させる朧げな輪郭をしか持たないそこに降り立った二人は、眼前で中空を浮く白い法衣姿の敵影をぎらりと睨み付ける。
「クルード」
「お前は――――」
対峙する、親と子。狼狽する狂人クルード・ソルニフォラスは被っていたフードを取り払い、その表情を顕わにした。
蒼褪め、罅割れた顔貌。
黒く濁り切って塗り潰された白目と、深紅に妖しく輝く瞳。
「……あんた、やっぱり異骸になっていたんだな」
「ノヱル、なのか? お前は……」
「耄碌したか? それとも異骸化の影響か? 自分の創造物を見間違えるほど狂い果てたか? あんたは……」
辛辣な言葉を聞き、クルードは声を荒げる。怒りを満面に顕わにし、白く煤けた様な髪を振り乱し、痩せ細った身体を振り回して。
「お前が! ワシの与えた命題を果たしもせず延々と眠りこけたから! ワシは、ワシは……」




