無窮の熕型④
「成程、そう来ますか……」
コーニィドがアイロに易々と勝利を収め、本来の用事を思い出して駐屯所を飛び出してから凡そ三時間後――【車輪の騎士団】二番隊、通称“火車隊”の長を務めるシルヴィス・ハイドは長考の末に一つの駒を盤上の最奥列にまでひとっ跳びに進めた。
「“竜騎兵”か……」
前後にならマスを気にせずいくらでも進退出来る代わりに、左右には1マスしか進めずまた斜めには移動できないのが竜騎兵だ。
しかしそんな竜騎兵も、味方陣営の駒ならば無視して跳び越えられるが、進路上に敵陣営の駒があったならそれを討つ代わりにそのマスまでしか移動できない。
だが一度の戦闘に一度だけ、進路上の敵陣営の駒を全て討ち落として移動できる、という特殊能力を備えている。シルヴィスは今その能力を行使したのだ。
進路上にあった三つの駒は討たれ、形成は逆転した。だがシルヴィスはまだ苦い顔をしている。
対峙する敵はなかなかにやり手だ。定石かと思えば全くそれを覆す一手を指して来たり、過去の遺物と思われていた指し口を見事に蘇らせて来たり。
シルヴィスはこのヴァルファーにおいても騎士団の中で上位に君臨する一人だが、そのシルヴィスをここまで追い詰める相手の存在に、それを観戦する団員たちは誰もが固唾を吞む始末だ。
駒の数こそ逆転はしたものの、流れがどちらにあるか、というのは一目瞭然である。
「なら、こうしよう」
敵が駒を一つ摘まみ上げた――四角い覆いで隠された“謎の敵兵”だ。
複数ある駒の種類から自ら選んで陣形を形成できるヴァルファーにおいて、その中の一つの駒に限り、専用の覆いで隠して“謎の敵兵”とすることが出来る。
“謎の敵兵”は本来の駒の移動能力に関わらず、前後左右斜めの八方向に1マスのみ移動が出来、そして討たれる際に覆いを取り外して正体を顕わにする代わりに生存することが出来る。
また自ら覆いを外すことで本来の駒の移動能力と特殊能力を行使することが出来、そしてそれ以降は本来の駒として扱うことになる――この場合、“謎の敵兵”の特殊能力である正体露見と引き換えの生存は失われる。
指し手は“謎の敵兵”に対し、その正体を看破することを試みることが出来る。敵陣営の駒から推測し、これだと思う駒の名を告げるのだ。
見事正解すればその覆いを取り外して露見させることが出来るが、しかし不発に終わることもある。この場合、どちらにせよ手番を消費してしまう。
もしも味方陣営に“瞳術士”がいるなら特殊能力を行使することで“謎の敵兵”の覆いをそれこそ問答無用で取り外すことが出来る。しかし結局手番は消費してしまい、また敵陣営に“謎の敵兵”がいない場合は“瞳術士”の特殊能力は無用の長物と化してしまうため、“瞳術士”を陣営に組み込まない指し手は多い――シルヴィスもまた、その派閥に属していた。
駒の種類ごとに盤上に配置できる最大数というのは決まっている。駒の種類も、過剰に多いと言うわけでは無い。
そして指し手の性質を鑑みれば、“謎の敵兵”を看破することは大いに可能だ――それが普通の相手ならば。
盤を挟んでシルヴィスと対峙する敵――ノヱルは、普通とは決して言えなかった。故にその覆いの下には、きっと思いもよらない駒が隠されているのだろう。
だからシルヴィスはそれを一旦無視すると決めていた。だがこうしてノヱルが駒を進めたことで、意識を幾分かは割かざるを得ない状況に持ち込まれてしまったのだ。
(“炎術士”か“氷術士”のどちらか……或いは“方術士”か……)
特殊能力として、周囲1マスの敵陣営の駒を全て討つことが出来る“炎術士”と“氷術士”は攻撃の要として陣営に組み込まれることが多い。
また、チェスで言えばナイトと同じ移動能力を持つ“方術士”は盤上の味方陣営の駒がいないあらゆるマスに移動できるという特殊能力を有している――無論、敵陣営の駒がいるマスならばその駒を討てる――盤上を攪乱する有数の駒だ。それ故この駒たちは陣営に一体ずつしか組み込めない。
「これでどうでしょう?」
駒を進めるシルヴィス。ノヱルは無言のままで再び“謎の敵兵”を進めた。
盤上を駒が移動を繰り返す。討っては討たれ、討たれては討ち。
やがて互いに十六体ずついた駒も、シルヴィス陣営が残り八体、ノヱル陣営が残り六体と、終幕が近付いて来ていた。
そしてシルヴィスは遂に、左右方向になら味方陣営の駒を跳び越えて何マスでも移動できる“獣騎兵”により“謎の敵兵”と同じマスへと移動した――つまり、討ったのだ。
「特殊能力は?」
「まぁ使うさ」
「なら、覆いは取り外させてもらう」
討たれた“謎の敵兵”は討った指し手により覆いを取るのが原則だ。だからシルヴィス“獣騎兵”の駒を1マス左にずらし、恐る恐る駒を隠すその覆いに指を掛け、慎重に取り払う。
「何と――」
現れたのは“雑兵”――チェスで言えばポーン。特殊能力を用いても、前方の右か左の斜め1マスにしか進めない、最も多く配置できるその名の通り雑兵だ。
ノヱルが施した策とは、最も弱い“雑兵”に覆いを被せることでその移動能力を向上させる、というものだった。
確かに前方にしか移動できない“雑兵”に覆いを被せ“謎の敵兵”としたなら、本来進めない筈の左右や後ろ、斜め方向にも進めることが出来る。
シルヴィスは愕然とした。観戦をしていた誰もがそうだった。
強いとされている駒――陣形に一体しか組み込めない駒は、攻撃の要となりそのために敵から狙われる。
“謎の敵兵”はそれを避けるために覆いという一度限りの生存手段を得るものだ。機を伺い、それが来た時に本来の力を行使するための――誰もがそんな認識だった。
まさかこんな風に、“雑兵”の能力を増強させるために使われるとは。
「戻ったぞー……って、おい」
きゅうん、と独特な動作音を上げて開かれた機構扉を潜って現れたコーニィドは、自分が地下牢へと捕獲した異世界人がまさか【車輪の騎士団】の二番隊長とヴァルファーを指し合っている事実に驚愕し、そしてさらに盤上の様子に目を剥いた。
「アイロ、どうなってる?」
「コゥ、遅いぞ――もうちっと早ければ、面白いもんが見られたのにな」
アイロが端折りながらこれまでの盤上の流れを説き、コーニィドもまた先程の彼ら同様に驚愕した。しかし彼らと違ったのは、そうしながら口の端を持ち上げたことだ。
どうして彼が地下牢から出てヴァルファーを一戦交えているのかは判らないが、しかしそんなことよりもと眼下の盤上に視線を落とす。彼もまた、観戦者の一人となった。
「己れの番だな?」
そしてノヱルは“謎の敵兵”だった“雑兵”とは異なる駒に指を伸ばす――“憑依術士”。移動方法は前後に1マスずつだが、既に討たれ盤上から失われた全ての駒の特殊能力を行使できる、という特殊能力を有している。
ノヱルは“憑依術士”を指差した後に、盤外に取り除かれた一体の駒を遠く指差した。
「己れはこいつの特殊能力を行使する」
「――は?」




