異ノ血の異ノ理㉕
「機能展開――“スケアクロウ”」
先頭集団に交じった山犬が巨狼へと変じ岩巨人とぶつかり合う姿は最後尾からでも見える――交戦のために炊かれた光源魔術がはっきりと戦場を照らしているからだ。
そして冥は、出発前夜にレヲンに施してもらった改造の一つを、起動式によって展開する。
フードを被った頭部に展開したのは、ペストマスクを思わせる烏を模した仮面だ。
そして同時に、彼女の纏う黒い衣服の表面からは黒い靄が滲み出る。
モード・スケアクロウ――それは、隠密機動に特化する特殊機能だった。
事前にガークスより言い渡された特別な指示――あの岩巨人を召喚・使役する【闇の落胤】の構成員を探し出し、討伐すること。
隣にはレヲンも、そして山犬もいないが、改造により新たな力を手に入れた今、冥の意気は込み上げ心は昂揚して踊っていた。
(――さぁ、行くよ!)
自ら心の撃鉄を打ち鳴らし、それを合図にスタートダッシュを切る。
荒野は宵闇に閉ざされているものの、“死の兆候”を嗅ぎ取る冥にとって視覚が不十分であることは索敵を阻害しない。
そして展開された烏面こそ、その嗅ぎ取る能力を助長するものだ。嗅覚に強く依存する彼女の霊的知覚を、烏面は強化するだけでなく視覚化もする。
(いる――いるいる、何人だ? 十人以上はいる――――)
戦場から遠く離れた後方に散開する正体不明の存在。ただしそれが人型であることはすでに判っている。
ならばそこで戦闘を静観する彼らこそ、ガークスの言っていた【闇の落胤】に違いないだろうと。
確信を得たなら、あとは走って近付き、それを確かめ撃破するだけ――冥は自らのやるべきことを確かめながら荒野の乾いた地面を強く蹴る。
時間にして二、三分。
散開する集団の末端を擦り抜けて中心座標へと到達した冥は、遠く戦場を腕組みしながら眺める高官らしい男の背から近付くと、その首筋に展開したナイフを突き付けた。
「質問。あなたたち、“闇の落胤”?」
そこで漸く襲撃者の存在に気付いた十五人はそれぞれが携帯していた武器を構え、冥にそれらを向ける。
ただ一人、ナイフを突き付けられた男だけがそうせず――組んでいた腕すらも解かず、そのままの形でそれに答える。
「どうだろうな――そうかも知れんし、そうじゃないかも知れ――ざしゅ。
「「「!!??」」」
ぶしゅうと首筋から盛大に血を噴き出し、男は事切れてその場に倒れ伏した。
赤く濡れたナイフを血振りし、冥はじっとりとした目付きで死んだ男を見下ろす。
「その名前を知っている時点で確定だと思うんだけど、違う?」
十四人となった彼らは構えた武器で以て抗戦に応じるため怒号を放って前進する。
しかし冥は今しがた振り抜いたナイフを棄却すると、新たに起動式を唱える。
「機能展開――“トーテンタンツ”」
烏面が瞬時のうちに髑髏面へと換装される。それと同時に、冥の身体から滲み出ていた靄は集結して固まり、掌よりも二回りほど大きな戦輪となった――それが、六つ。
そして冥は身を翻しながら戦輪を操作する。戦輪の外縁は細やかで鋭い凹凸が鋸状に配列され、彼女の振り抜いた手の動きに合わせて激しく回転しながら弧を描いて周囲の十四人へと襲来する。
「がぁっ!」
「ぐ、ぅっ」
「ぎゃっ!」
鋸刃は深く肉に食い込みながら、その回転によって激しく血飛沫を噴き上げる。
躯体を捻り、手を振り翳しては薙ぎ払う冥の動きはまるで踊っているようだ。しかしそれは言わば“死の舞踏”――トーテンタンツとは近距離から中距離における白兵戦に特化したモードなのだ。
ヒトガタとしての冥の躯体はすっからかんだ。何故なら彼女の用途に必要な能力は彼女自身の魂が持ち合わせている。
森瀬芽衣という人物の霊基配列に刻まれた固有の魔術、それを受け継いだ芽異という霊格を転写した魔動核。そこに、クルードが目論んでいた“神殺し”のための機能はすでに詰め込まれている。
だから冥は、逆に言えば改造の余地しか無かった。故に、レヲンは冥の案を悉く採用して一夜という短時間にこれだけの改造を施したのだ。
余裕すら見せる体捌きで六つの戦輪を旋回させながら次々と屠り去る冥。
しかし、誤算があったとするならば――先ずそれは、外縁に位置していた末端と思われた者たちこそ、あの岩巨人を召喚した魔術士だと言うこと。
つまり彼女の背後に、岩巨人とは異なるが新たな魔獣が出現したと言うこと。
そして――【闇の落胤】の幹部はやはり、“天使の力”を有していたと言うこと。
頸動脈の片方を断たれ失血死したかに思えた最初の男。
その身体の輪郭がどくんと跳ね、そして撒き散らされた血はごう、と燃え上がる。
それは黒く邪悪な炎だった。
十四人目を屠り去り、彼らが最後に召喚した都合三体の魔獣――全身が燃え盛る黒い炎で覆われた地獄の番犬と、巨大な蜘蛛の図体に女性の上半身が生えた異形、宙に浮かぶ毛むくじゃらの巨大な眼球――を相手にする最中でそれに気付いた冥は、六つの戦輪を複雑な軌道で奔らせ蜘蛛女を殺しながら大きく後方へと跳び退いた。
「――いいだろう、女。答えてやる、正解だ」
燃え上がった黒炎は翻って男の遺体へと飛び込むと、その男もまた黒炎に包まれ、そして立ち上がった。
炎が消え去った後のその姿は、背中に烏のような黒い翼を片方だけ生やした、まるで堕天使の出で立ちだった。
◆
Ⅵ;異ノ血の異ノ理
-Nephillim-
――――――――――fin.
◆
だが寧ろ、その男の来訪こそ、冥を驚かせた要因だった。
「あー、翼生えてるってことはそっちが敵でいいよな?」
その男は空間を割り裂いて突如現れると、戦況を確認したと思えば冥のように無手からそれを取り出し、片翼の堕天使という形態に変じた男に向かいそれを差し向けた。
撫子色の髪の男だった。やや蒼白い肌は冥とそこまで変わらない。
身に着けた軍服は深い紫紺の色彩を纏い、肩章と左胸の胸章は百合の紋章を意匠として刻まれている。
黒い薄革の手袋に包まれた掌の上に出現したのは――球体の輪郭を持っていた。
いや、よく見ればそれは、三つの歯車がそれぞれ直角に組み合わさった、歪な天球儀のような何かだった。
「“銃の見做し児”――“無窮の熕型”」
冥には、彼が何を言ったのかを理解することが出来なかった。何故なら、話には聞いていた彼が、そのような歪な球体を用いるとは聞き及んでいなかったからだ。
しかしそう呟いたのだから、その歯車球は銃なのだろうと――砲身も引鉄も銃把も弾倉も無いけれど――そう思うしかなかった。
歯車はそれぞれが円転すると言う、構造上在り得ない動きを見せ始める。一瞬で金属が激しく大気と摩擦する高周波域の金切声に似た音を響かせ、火花を散らしては輝きを纏っていく。
「“世を葬るは人の業”――」
その言葉に応じ、それまで撫子色だった男の頭髪は真っ白に染まった。
肌はさらに蒼褪め、そして彼の額からは双対の角が皮膚を割り裂いて生え、捩じれては頭蓋に沿って後方へと伸びていく。
彼の全身からは先程まで冥が纏っていたような黒い靄が生まれ――いや、それは靄では無く、呪詛だった。夥しく明滅する霊銀が黒く濁り、荒ぶって湧き立っているのだ。
「――“神亡き世界の呱呱の聲”」
ひどく緩慢な素振りだった。それなのに冥も、片翼の堕天使も、彼の攻撃をただ見ていることしか出来なかった。
何故ならゆっくりに思えていた時間はその実、ほんの一瞬の出来事だったからだ。それを脳が処理速度を高じて必死に回避する方法を模索していたからだ。それを人は、走馬灯のように、等と言う。
歯車球から撃ち出された握り拳よりも小さな光弾は、咄嗟に身を庇おうと片翼を纏った男のその翼ごと風穴を徹し、そして同時に放たれた異なる光弾もそれぞれ後方にて跳びかかろう襲い掛かろうと身構えていた地獄の番犬と、そして死角から熱線を浴びせかけようと力を溜めていた浮かぶ眼球のそれぞれを撃ち抜いた。
そしてそれらは空いた風穴の縁から、さらさらと光の粒子へと散っていく。
「う、うぁ、あ――――ああああ!!」
特に天使の力をその身に宿す男は、末端もさらさらと崩れ散っていく自らの様子に慄き、だらしのない声で叫びを上げた。
しかしやがて直ぐにその声も聞こえなくなる。
その場には、冥が屠り去った十四人の遺体と蜘蛛女の死体が残され。
トーテンタンツモードを解除して素顔を曝した冥と。
新たなる銃を展開したまま、“白い悪魔”の状態を取り続けるノヱルとが。
互いに向かい合い、睨み合って立っていた。




