異ノ血の異ノ理㉒
一方、その大通りと交差する東西に伸びる通りでも聖天騎士団と“異形の軍勢”による交戦が始まっていた。
異形の者たちはそれぞれの身に宿す人とは異なる形が齎す恩恵を十全に発揮し、そして聖天騎士団もまた神の名のもとに与えられた聖蹟の力を解き放ち対抗する。
聖都にはそれを護るための高く聳え立つ防壁が囲い、その東西南北に四つの巨大な門が設けられている。
“異形の軍勢”が攻め込んだのはそのうち南門を除く三方向からだ。だから逃げ惑う人々は唯一火の手の上がっていない南を目指し、避難を進める騎士たちもそちらへと誘導する。
大聖堂前の広場では斧槍の短髪騎士と赤髪の女弓騎士が“異形の軍勢”幹部である鱗と対峙し。
進撃を許した北門から続く通りの中腹では黒髪の女騎士と縮れ髪の騎士が幹部翅を相手取っている。
同様に。
通りの東では籠手の剃髪騎士が毒を滴らせる凶悪な鉤爪を持つ豹と。
通りの西では戦鎚の娘騎士が極寒の冷気を放出する氷結竜の喉を得ている凍と相対する。
入り組んだ路地でもまた、聖天騎士団と“異形の軍勢”の互いの刃が交じり合い、勢いを加速していく火の手により建物の一部が崩落し始めた。
宵闇に蓋する雲は戦火に朱く染まっている――――それを切り裂くように、巨大な影が飛来しては都市の中心に聳える大聖堂に小さな二つの影を落とした。
「――――来ました」
大鐘楼の脇に座っていた銀騎士は祈り子の騎士の言葉に閉じていた瞼を開くと立ち上がり、空から降り立った二つの影を視認した。
「……あれからもう、4年も経つのか」
「……互いに老けたな、禽――――いや、空の王よ」
フラマーズは腰の鞘に差していた長剣を抜き放つ。煌びやかな装飾の施された鞘から抜いたそれは、かつて聖女であった聖剣。
距離にしておよそ5メートルの隔たりを間に置く禽もまた、空の王と呼ばれるに相応しい成長を遂げていた。風切り羽根を生やした両翼は降り立った瞬間に羽根が散ってただのふたつの剛腕と変化したし、その鍛え抜かれた肉体は英雄の彫像のようだ。
その後ろに控えるのは額から後頭部に向けて曲がっては伸びる美しい双対の角を生やした幹部無だ。彼こそが異形者にして多様な聖蹟をほぼ独学で修めた間者だった。
彼を見据える、フラマーズの後方に控えるアリエッタもまた“奇跡の祈り子”と称えられるほどの聖蹟の使い手だ。禽とフラマーズの戦果の行方は、両者の実力もそうだが彼らの聖蹟による加勢・支援にも委ねられていると言えた。
「ああ、年月を重ね、待ち侘びたが――――それはどうにも、無駄なことだったらしい」
「そんなことは無いさ、君は異形の者として多くの者を従えるほどの大きな“王”になったし、私もまた、教皇を護る大任を命じられるほどの騎士となった」
「ならばそこに何故彼女がいない」
「――――っ」
苦く歯を噛むフラマーズ。禽は静かな追及をやめない。
「何故彼女は毒を盛られる必要があったのだ、教えてくれフラマーズ……どうか俺に、その理由を、経緯を教えてはくれないか」
怒りではなく、そこにあったのは悲しみだった。だからこそフラマーズは目を伏せ、語るしかなかった。
「……それが聖天教の、秩序だからだ」
「秩序?」
「ああそうだ、秩序だ。異形の者は悪魔であり、魔獣と同じ強力な力を持ちながら魔獣には持ちえない凶悪な知能をも有する。悪魔は天に背き、人を誑かして世界をひっくり返す――――大まかに、そう、聖典に記されている」
「俺たちは悪魔か」
「一応、そういうことになるな……」
「しかし彼女は違った筈だ。彼女は、エトワは――――背なに翼を持ち生まれ落ちた、天の御使いにして聖女、奇跡の体現者だったはずだ」
「ああそうだ。そしてその聖女が、あろうことか悪魔との和解を叫びあげた。日々休まず、異形の者への理解と慈愛を願い、熱心に声を紡ぎ続けた――お前がそうさせたんだ」
異形の者を悪魔ではなく同じ人間なのだと認めてしまえば、それは聖典こそが誤りだと認めてしまうことになる。それは即ち信仰の揺らぎを生み、信者たちの離心へと変わる。
聖女はあの日死んだ。
舞い戻ってきたコレは、聖女の皮を被った悪魔の化身だ――――それを断言し、毒殺を命じたのは教皇その人だったことを、すでに禽いや空の王は知っていた。
口を噤み、禽はただただフラマーズの語りを聞き入れていた。
眼下では剣戟の音が鳴り響き、悲鳴と断末魔が交互に上がる。
火勢は最たる姿を見せ、戦禍もまた刻一刻と拡がっていく。
足元から競り上がる熱に照らされ、禽は遂にその乾いた唇を開いた。
「教皇はどこだ」
「地下の秘密通路から逃げたよ――だからここにはもういない」
「邪魔立てをするか」
「それが俺の、全うするべき役目だからだ」
禽は激昂した。口の端が切れそうなほどに大きく開き、あらん限りの憤怒と憎悪とをその表情いっぱいに宿して。
「何故だ、フラマーズ!どうしてそんな、巨悪を庇うっ!?」
「――――聖天教が絶えてしまえば、多くの民の希望が失われる。信仰は拠り所だ、迷える魂を導く光そのものだ」
「そんな邪悪な光があるものか!」
「ああ、あるわけがない!」
苦悶に顔を歪ませたフラマーズは、しかし断固とした口調で言い放つ。
「しかし、それでも民は聖天教を求め、縋っているんだ――」
「……教えてくれ、フラマーズ。確かめさせてくれ――我々はかつて、同じ奇跡を願った筈だな?」
「ああ――あの時の言葉に、気持ちに嘘はない。今でも俺は、その奇跡を待ち侘びている。お前が聖女をそうさせたように、俺もまた、お前にそうさせられたんだ」
「それでも――――それでも、刃を交えなければならないのか」
「それでも――――刃を交え、戦わなければならないんだ」
もう言葉は要らなかった。
二人は同志と言って差し支えなかった。フラマーズだけではない、今なお武器を振り翳す七人のかつての騎士もまた、フラマーズ同様に同じ奇跡を願う身となった。
彼らだけではない。聖天騎士団の中には――多数とは言えないが――同じく奇跡が舞い降りる日を望む者もいた。
異形者は魔獣ではない――そのことを知り、認める者は少なくなかった。
それでも彼らは、神の教えを護り、民同様に信仰をも守る騎士だ。最も神に近いとされる教皇が断ずるなら、それに背くことは出来なかった。
フラマーズの握る聖剣が光を灯す――聖蹟ではなく、聖剣そのものが有する聖別された神の力の一端だ。その清廉な白い輝きに、フラマーズの手から流入した青白い光が混じって聖剣は比類なき力をその刃に宿す。
禽もまた、両腕からいくつもの風切り羽根を生やしたと思ったら、その一枚一枚が金色の輝きを纏った。
合掌し祈りの姿勢を取ったアリエッタの身体からは湯気のように神聖な翡翠色の輝きが沸き立ち、無もまたその捩れた双角が全身に夥しく荒れ狂う霊銀の奔流を循環させる。
大聖堂の屋根の上、はるか高き空の真下。
聖天騎士団と異形の軍勢の長同士の決戦は――――死闘という言葉では生温いほどの激烈さを見せ、しかしものの数分にも満たないうちに終焉を迎えた。
彼らの戦いの終わりとはつまり戦そのものの終わりでもあり。
息も絶え絶えに禽の首を斬り落としたフラマーズが嗚咽交じりの勝鬨を上げ、そしてその首が広場の石畳に落ちて騎士も異形者もそれを認めた時。
騎士団は勝利を、そして異形者たちは敗北を悟った。
異形の軍勢の構成員たちの中には、それでも一矢報いようと闘争をやめない者もいたが、大多数の者はその場で自害するか、武器を捨てて投降した。
鱗、翅、豹、凍の幹部四人も、彼らの王の死を認めるとすぐに後を追った。唯一無だけが、喪失の哀しみに絶叫し怨嗟の言葉を喚き散らかした後で屋根から飛び降りて石畳に紅の大花を咲かせた。
腸を抉られたアリエッタはどうにかフラマーズの傍に這い寄ろうとしたが、その思いは叶わずに事切れた。
フラマーズも結局は、聖蹟による治療ですらその死闘の傷を塞ぐことなく三日後に息を引き取った。
かつての八人の中で生き残ったのはグロサリアだけだった。皆、傷を受けて死んだ。グロサリアと共に生き延びたヒリンですら、フラマーズの死後、後を追うように首を吊った。彼女の遺書には、異形の者たちの崇高な精神性はとても悪魔には思えない・見えないと記され、縋る信仰が正しいものだったのかと苦悩する言葉が連ねてあった。
――その悲劇でしかない歴史を、エディはただただ眺めていた。




