異ノ血の異ノ理⑳
「俺はここで殺されるのか」
「……君の存在は、我ら教団の間では悪魔同然だ」
「俺が異形者だからか」
「……その、通りだ」
「そうか――――ならその前に、お前たちを彼女の元へと案内せねばならんな」
項垂れるように伏せた目を見開き、顔を上げたフラマーズは口を半開きにして禽を見詰めた。しかしその頃には禽はフラマーズの右肩のすぐ隣を過ぎ、急だが戦意の無さすぎるその接近に武器を構えるかどうかを迷った七人たちに接近していくところだった。
「ま、待ちなさい!」
「っ、止まれ!」
最後方にいた祈り子騎士が左手を前方へと突き出し、赤髪の弓騎士が弓を構え矢を番える。それをつまらなさそうに見遣った禽は、すぐに目を少女の休む洞穴へと向けると、制止の声に従わずに歩を進め続ける。
「待て、お前ら!彼に我々と戦う気は無いっ!」
フラマーズの悲痛な怒号に気圧された二人は身体を強張らせながら漸く警戒を解いた。すでに禽は八人から四歩ほどを過ぎ去っていた。
「周囲の警戒を。彼に続くぞ」
「……小隊長、いいのですか?」
「彼は嘘を吐いていない。彼の行く先に、聖都が探し続けていた聖女はいる」
その言葉に七人は押し黙り、顔を見合わせては各々が首肯した。
ざり、ざり、ざり――――砂粒を靴底で磨り潰しながらやがて洞穴へと辿り着くと、禽はすでに眠っていた少女を起こしているところだった。
少女は長旅の疲れと体調の優れなさにより朦朧としていたが、禽が戻ってきたことを知ると仄かに顔を綻ばせた。しかしそれも束の間、禽の表情がいつもの仏頂面ではなく、どことなく哀色を忍ばせていることに気付くと、少女は再び言いようのない不安感に駆られた。
「――喜べ」
「……何を、ですか?」
先頭を歩くフラマーズは洞穴から3メートルほど離れた地点で足を止め、後続の7人にも止まるよう手で合図をした。
「お前は、無事に聖都に送り届けられる」
「……え?」
意識がはっきりとはしないものの、その言葉を聞いた瞬間に少女の聡明さは本来の姿を取り戻す。
禽のその物言いは、まるで彼じゃない誰かが自分を連れていくように聞こえたのだ。そしてそれは事実であり、しかしそれを問い質すほどの体力は少女に残ってはいなかった。
「お前は――本当に天使だったんだな」
汗ばむ額に張り付いた少女の前髪を、禽は優しく拭うように撫でた。その時の表情も、その仕草も、少女にとっては初めてだった。だからこそ、寧ろ不安は膨れ上がり少女の心を苛ませた。
「だから、ここでお別れだ。俺はここから先は一緒には行けない」
「……嫌だ」
「嫌も何も無い。俺が共に聖都へと行けば、俺はお前を連れ去らった賊として斬り捨てられるらしい」
「なら」
か細くも力強い声だった。いや、力が無いために命をふり絞って出している声とも言えた。
「なら、聖都になんか」
「駄目だ――――お前は、聖都に戻り、天使としての・聖女としての役目を果たすべきだ」
「……どうして、」
「……どうしても、だ」
禽の強い眼差しに秘められた固い意志を汲み取った少女は力なく項垂れる。少女の視線が外れた瞬間にほんの一瞬見せた禽の歯を軋る表情を見た者は誰もいない。
そして禽は振り向き、銀騎士に対して首肯した。こくりと頷かれたその合図を受け取ったフラマーズは静かに歩み寄り、そして少女の前で片膝を着く。
「……偉大なる天の御使いにして、我らが希望の他になき聖女様。ここからは我々が、あなたの身を聖都へとお運びさせていただく所存に御座います」
少女はただゆっくりと、そして小さく頷いた。それを見届けた禽は踵を返し、しかし歩き出そうとして一度立ち止まると、ほんの束の間の逡巡の後で銀騎士を力強く睨み付けた。
その気配に気付き、フラマーズもまた立ち上がり禽と対峙する。
「もしも。もしも――いつの日か、俺のような異形者ですら受け入れられる日が来るなら」
「……ああ」
「その奇跡こそは、天の御使いとやらが背の両翼に載せて世界へと振り撒くに違いない」
「……そうだな」
「奇跡を願う」
「私も同じだ」
最後に禽は少女を見遣った。涙を溜めた赤い目で、少女は禽に懇願するような表情を向けている。
それでも禽は背を向けた。未練の鎖を断ち切り、七人の傍を過ぎ去って荒野を北へと――来た道を戻るように足早に歩いた。十分に距離を取った時には、はち切れんばかりの感情が溢れるままに駆け出し、駆け抜けた。
その未練の鎖を、断ち切れるはずなんて無かった。
もう戻れないほどの隔たりを得て漸く振り返った禽は、これ以上ない後悔を抱き、顔を歪ませてその場に蹲った。
そうしては嗚咽を漏らし、聞かせる相手のいない声を零し、誰に見せるわけでも無い顔を歪め、もう誰とも繋がっていない心が荒れ狂う大時化のように揺さぶられぐちゃぐちゃになっていくのにただ身を委ねていた。
「おお、おお――――」
本当は自分が少女を聖都まで導きたかった。少女の願いを叶えるのは自分であるべきだと願っていた。
もっと自分に力があれば、あの魔獣を屠り去り、あの八人の騎士から少女を奪い去り、聖都で待つ処罰を生き延び、少女の傍で守護者として君臨できた。
禽は自分を恥じた。自分の非力さを嘲り、自分の無力さを呪った。
取り返すことのできない喪失が、禽にそれを気付かせた。
彼もまた、たった一人の人間に過ぎないのだと。
そこまでを見終えたエディの意識は揺らぎ、急速に時が流れていくのを感じた。
再び教団へと帰り、聖女としての生活に戻った少女。
そんな彼女は、しかしかつてそうだった時とは違う想いに駆られ、その願いのために動き続けていた。
「私、エトワは、この世界に“異形”を持って産まれた全ての存在を受け入れたいと思っています」
「私の背中に生えるこの双翼もまた、彼らのそれと変わらない“異形”です」
「“異形”とは神が明るみにした私たち人間の“原罪”ではありません!」
そう、彼女は――聖女エトワは、かつて自らを救った有翼の男と再会できる日を夢見、巡礼に赴いた各地で異形者を受け入れる地盤作りに勤しみ励んだのだ。
人々は最初、戸惑った。
異形者は神から与えられた人間の輪郭を歪めた罪の形であり、やがて魔獣へと身を堕とす異獣のように危うい存在だと教えられてきたのだ。
その教えを説く者こそ教団であり、神であり――だから神の御使いである筈の聖女が、奇蹟の体現者が、そのような言葉を吐くとは思わなかったのだ。
だが彼女の真摯な言葉はやがて布地に水が沁み込んでいくように浸透し始める。
それを快く思わなかったのは――教皇、ダルグレイオスその人だった。
神の奇蹟の体現者が、神の教えに反する意思を流布させたとあっては聖典果ては教団そのものに対する信頼が揺らぐ。
聖天教団は大陸最大の宗教であり、その信者は大陸に住まう全人口の六割にも上る。他宗教を邪教として糾弾し、尊い神の教えを説き、貧困の者にも配給と最低限の教育を施し、そうやって世界に進歩を及ぼしてきた。無論、教団の上層部はそれ故の各地からの見返りを享受している。
教団への、神への信奉が揺らぐことは避けなければならない。
ちょうど、聖女を聖都へと返還した時の騎士、フラマーズ・マイヤーの近衛騎士への叙勲が近しい。
教皇は口の端を持ち上げると側近を呼びつけ、今しがた思い付いた案を語る。それを実行できる段階にまで膨らませるのは彼らの仕事だ。当然、そうすることで発生しうる問題も全て事前に排除しなければならない。
「どうかね?」
「可能かと思われます、猊下」
そしてそれが思い付きから草案となり、草案が入念に議論され実行すべき計画にまで昇華された時。
聖女エトワが巡礼から聖都へと戻り、そして教皇に呼びつけられる。
彼女が毒殺されたのはその時だ。
体内で吸収された高濃度の有機霊銀が暴走することで循環系・呼吸器系を阻害し確実に殺害出来る、尚且つその後外気に放出され遺体には痕跡が残りづらいという毒は既に開発され、“聖毒”として教団の中枢部にのみ知られていた。
そしてその遺体は爆ぜんばかりの霊銀を含んだままに炉に燃べられ、同じく燃べられた金属と結び付いて霊銀合金となった。
――それが鍛えられていく様を、エディはただただ眺めていた。




