異ノ血の異ノ理⑱
「怯むな! 相手は巨獣だが手負いだ、散開っ!」
「応っっっ!!!」
先頭に立つ銀髪の男が吼え、八人の騎士達は各々の武器を構えながら足早に魔獣を取り囲む立ち位置へと急ぐ。
鈍い月明かりを浴びて、ぎゃらりと照り返る長剣と板金鎧――魔獣を正面に見据える銀髪の男はさながら“銀色の騎士”だ。
彼だけでない――他の7人もまた、銀髪ではないもののその装備は濁りの無い清廉な銀光を帯びており、彼同様に“銀色の騎士”と称されていたとしてもおかしくは無い。
しかし、彼らは“銀色の騎士”と称ばれたことは無い――彼らを総称する、それよりも相応しい名称がすでにあるからだ。
彼らの名は、“聖天騎士団”――――大陸全土に流布する強大な一神教の教団が抱える騎士団だ。今その戦場にて魔獣と相対する八人はその小隊のひとつに過ぎないが、聖天騎士団の多くは大陸全土に法皇からの命を受け巡礼と救済の旅を続けており、しかしそれらが全て集結すれば終息させ得ない戦争は無いと言われるほどだ。
団を構成する騎士の一人一人が武芸に秀で、また洗練された“聖蹟”――教団では霊銀を操って行使される魔術のことをこう称している――の使い手だ。
彼らは“煉躰の聖蹟”――魔術士で言うところの躰術――を駆使しながら迅速に陣形に位置すると同時に、それぞれが構える武器――剣や盾、斧槍や戦鎚、弓をも“屠竜の聖蹟”により強化した。
元より彼らが身に纏う鎧も、その手に構える武器も、そのどれもが魔を祓い魔を弾く聖別された兵装だ。聖蹟による強化が無かったとしても特に魔獣に対しては強力無比な対抗手段になり得る。
取り囲まれた邪眼の魔獣はだからこそそれまで敵対していた禽の検索を止め、周囲の八人を睨めつけた――新たに出現した敵だと認識したのだ。
そして、開いた上眼に霊銀を集中させると、辺り一帯に迸る雷条を放出する。荒れ果て渇き切った荒野の土を雷電が焼き焦がし、閃光と雷鳴とが周囲を白ませ・黙らせた。
しかし聖天騎士団の八人はその雷撃をそれぞれで躱し――――長剣を構える銀色の騎士は空を舞っていた。
「おおおおおおおおおお――――――――ッ!!」
聖蹟により尖鋭強固となった刃はいとも容易く魔獣の岩壁のような鱗を両断し、肉を裂いて骨を割った。
それに続くように双剣を構える黒髪の女が反対方向から右肢を回転する剣舞で以て撫で斬ると、魔獣の反撃をいち早く察知した単発の巨漢が重厚な斧槍の薙ぎ払いで顎先の骨を砕く。
見開いた左目には赤髪の女が放った三本の矢が次々と刺さり。その刺さった矢ごと、小柄な娘の振り下ろした戦鎚の一撃は魔獣の邪眼を叩き潰す。
堪らず蹈鞴を踏む魔獣のよろめきを逃がさず、銀色の騎士は長剣が纏う霊銀の輝きをさらに強めると、屈めた膝を伸ばし地から天へと伸び上がる斬撃の波濤を見舞う。
その白銀色の斬痕は刃渡りをゆうに超えて魔獣の巨体を通過しなおも空へと伸びる――当然、斬撃なのだから魔獣の左腹部は背中にかけて巨大な裂創を負い、土煙を上げてその巨体が地に膝を着く。
「“清き風の福音よ”!」
陣形の奥、無手の娘が両手を胸の前で組む祈りの姿勢で謳うと、荒野の戦場に一陣の風が吹き、魔獣の巨体の至る所から溢れ出す血煙毒は瞬く間に浄化されていく。
半ば伏している魔獣の未だ立つ右側を、回転する剣舞の黒髪女騎士とともに闘士のような異色の剃髪騎士が白く輝く拳を叩き込み。
赤髪の女同様に、黒く縮れた長髪の騎士は両掌から霊銀を収束させて創り上げた戦輪を五月雨のように投じる。
「ゲギァ、ギョルオオオォォォオオオオオオ!!!」
駆逐されていく。
遥かに巨きく、強靭で、堅固で、剰え四つの邪眼と血煙毒を持つ魔獣が。
矮小で弱者な筈の人間に、殆ど何も出来ないも同然の如く駆逐されていく。
その様子を、禽はただ静かに見つめていた。
違う。
あれは、そうじゃないと。
矮小な弱者等では無く、殺戮と蹂躙に洗練・特化された化け物たちだと。
それが徒党を組んで手に入れた数と言う名の暴力を殺意のままに振り回しているのだと。
ひどく落ち着いた思考でただ、禽はそれを見ていることしか出来なかった。
禽は段々とその表情の奥に焦りを潜めさせた。
邪眼の魔獣に負わされた傷は――霊銀の過剰な流動と活性によってさえも未だ完治できず、しかし後からやって来た八人の騎士たちはやがて魔獣を討伐してしまう。
数の有利があるとは言え、殆ど魔獣に何もさせずに一方的に暴力を振るうその姿には恐怖すら覚えるようだった。
そして禽の脳裏には、先に魔獣と事を交えていた自分が見つかることよりも、洞穴に置き去りにしてきた少女の存在が彼らに露見することへの焦燥こそが渦巻いている――その事実がより一層、禽の霊銀操作による自己治癒の速度を緩ませていた。
やがて、盛大な断末魔が荒野に響き渡り。
次いで、魔獣の巨躯が地に崩れ落ちる地響きが轟き。
同時に、膨大な乾いた土煙がその轟きとともに舞い上がった。
「――まだだ、気を抜くな」
勝鬨を上げそうになる若い騎士を制止し、長剣の銀騎士は七人を見渡す。
「まだ一匹残っている」
思い出したように双剣の黒髪女騎士は声を上げ、赤髪の弓騎士にまでぎろりと睨まれた。
「逃げたんじゃないのか?」
闘士風の剃髪騎士が低い声で問いを放つも、無手の娘騎士は豊かな金色の髪を揺らして首を横に振る。
「私の聖蹟は、襲撃に備えろと囁いています」
「成程、奴さんは突っ込んでくるらしい――漁夫の利を狙っていたなら期待外れだろうな」
「そういう油断が手傷を生むんだ」
銀騎士の言葉に槍斧の騎士は溜息を吐きながら『またコレだよ』という身振りでおどけて見せた。
しかし“緩み”は必要だ。持続する緊張は疲れを生み思考力の低下の原因となる。戦場であっても冗談を飛ばせる程度の余裕を持つことが重要だということを、8人の騎士たちは理解している。
だからこそ銀騎士の口調も叱るそれではなく窘める程度のそれなのだ。
「アリエッタ――それで、突っ込む気満々の翼持つ人は何処にいるの?」
戦鎚の娘騎士が問うと、アリエッタと呼ばれた娘騎士は遠い岩場を指差した。
「――間も無く、現れます」
その言葉に即応しそれぞれの騎士は臨戦態勢へと移る。岩肌の地面に突き立てていた武器を構え直し、重心を低め、そうしながら無手の娘騎士の指差す方へと振り向いた。
よた、よた――――都合十六個の目が映したのは、深手を負って力無く歩み寄る禽の姿だった。
「待ってくれ」
敵意を秘める八対の双眸に禽は懇願する。
「俺には、お前たちを襲うつもりはない」
しかし騎士たちがその言葉を疑うのは当然だった。会敵の直前、アリエッタは「私の聖蹟は、襲撃に備えろと囁いています」と告げたのだ。素性も知れない敵かもしれない者の言葉より、仲間の能力の方が信用するに値する。
しかし騎士たちが疲労しているのは確かだった。結果だけ見れば手傷を負うことなく純粋な力と数とで押し切った、見事な勝利と言える。だがその実、彼らにはそうせざるをしか得なかったとも言えた。陣形や連携、個々の出し切れる全力を出し切って漸く、その十全の結果を得られたのだ。
聖蹟は広義には魔術に類する技術だ。言ってしまえば、教団がその呼称を用いているだけで、霊銀に意志を通して操作し様々な結果を齎すという側面だけを見れば魔術と何ら変わりない。
八人の騎士は外面だけを見れば無傷だ。しかしその内側は、荒れ狂う霊銀の奔流に曝され、急性霊銀中毒の一歩手前、といった様子だ。
だから、騎士たちにとってこれ以上の戦いを避けられるのならそれに越したことはない。
それが銀の騎士、フラマーズ・マイヤーの判断に少しの迷いを与えていた。
「何故、あの魔獣と戦っていた?」
――その遣り取りを、エディはただただ眺め続けていた。




