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異ノ血の異ノ理⑮

 その女児は難産だった。

 神への信仰が齎す奇蹟が存在するために医療の十分に発達していない世界だ。剰え、奇蹟の対価には大枚が必要。

 故にその女児を産み落とした直後、母親は亡くなってしまった。

 父親は悲しみこそしたものの、女児の誕生を喜び、女児を産んだ亡き妻を大いに讃えた。


 女児の両の肩甲骨にはそれぞれ隆起――(こぶ)があり。仄白い色を纏うその瘤はまるで指の境目の無い握り拳のようにも思えた。

 後にそれは“異形”と診断されたが、それでも父親は女児を愛し、そしてやがて教会へと献上した。


 “異形”――――霊銀(ミスリル)に冒された者がその身体に変異を齎される異常現象。

 後天的にそれを獲得する者の方が多かったが、しかし先天的に異形を得る者も少ないわけでは無い。

 そして異形は神が与えた人間の形を歪めた証として重罪と見做され、異形者は人間社会から放り出されるのが世の常だった。


 だから女児も、本来であれば物心つく頃には本当の親から手放され見捨てられる運命がああった。

 そうでは無かった一番の要因は、その背中の瘤の形状だった。

 成長に合わせて大きくなりそして徐々に開いて行った()()の背中の瘤は、その頃には辛うじて“双翼”に見えなくもない、という形状となった。

 だから少女は、神が地上に遣わせた“天の御使い”、“奇蹟を宿す者”、或いは“聖女”と呼ばれ、教会は彼女に極上の生活を齎し、聖女としての至上の教育を施した。


 だがその後、巡礼のために馬車に乗り移動する最中、その一団は野盗に襲撃され少女以外は皆殺しにされる。

 少女の生活を補助していた侍女は凌辱され、最終的には舌を噛み切って自害した。

 野盗の男たちはだが少女には手を出さなかった。その背中にある“異形”に気付き怖れたのだ。何の根拠も無い迷信が多く流布する世界だ、無理は無い。


 そして少女は見世物小屋に売られた。


 生存に関して言えば少女の身に不自由は無かった。

 見世物としての質を高水準で保持するため、食事も睡眠も、将又(はたまた)運動も十分に、必要に応じて適宜取ることが出来た。

 見世物小屋の主人は狡猾で、それでいて商才に長けていた。

 少女を身請けしようと幾多のものが過剰にも思える額面を提示して主人に商談を持ち込んだが、主人は頑として少女を譲らなかった。それほどまでに、()使()を一目見ようと世界各地から訪れる見物客の数は夥しかったのだ。甚だしかった、とも言える。


 だが主人の商売道具は彼女だけじゃない。

 霊銀(ミスリル)による汚染、変異は何も人間に限らず訪れる。双頭の狼、六脚の馬、獅子の前脚が生えた大鷲。

 そういった“異獣”を元々は扱う主人だった。流石にそれが定着し生態系のひとつとなった“魔獣”は管轄外だが、“異獣”に子が産まれ繁殖が続けばいずれ魔獣となる。繁殖能力を持つとされる異獣は研究職の学者等にも高値で売れた。


 やがて主人の元に、新たな商売道具が舞い込んだ。少女と同じ、先天的に異形を獲得した少年だった。恐らく少年と少女とは同年代だと思われた。だが少年はすでに少年だった。やがて青年にも達しようと言う年齢だ。その年まで売られていない異形者は珍しい。つまり、売られていないだけの理由があるのだ。しかしそれは(きず)では無く、気性や性質の問題――売るためには捕まえる必要があり、それを阻むだけの力があると言うことだ。


「お前、名はあるのか?」

「――“禽”(トリ)


 それは少年の名では無く、その容姿から付けられた通称でしか無かったが、区別出来るのであれば何でも良かった。

 主人は(トリ)に頑丈な首輪を首に、同じく頑丈な枷を手足に嵌めた。鍵は無く、魔術とまでは行かない単純な霊銀(ミスリル)の操作で開く特殊な錠を持つタイプのものだった。


 霊銀(ミスリル)の操作――魔術は高等でそして崇高な学問だ。神が齎した奇蹟同様、教団が運営する学舎でしか学ぶことのできない秘跡として扱われている。

 主人は魔術という奇蹟を施すことは出来なかったが、奇蹟を宿す魔術具の力を解放できるくらいの霊銀(ミスリル)操作の技術程度は体得していた。

 いや、それを持ち合わせていなければとてもじゃないが異獣を飼い慣らして見世物とすることは出来ない。何せその本質は魔獣と同じなのだ。それを服従させるための道具の多くは霊銀(ミスリル)の操作を必要とする魔術具だった。


 禽は両腕を翼とすることの出来る有翼の異形を獲得していた。いや、翼の形状を持つ両腕に生える羽根を落とすことで人間の腕に見せることが出来る、と言った方が正しい。

 そのために敬虔な信者であった父親から殺されようと言うところを、それでも我が子を愛した母親が抱えて逃げ、森に隠されたのだ。

 母親は囮となって我が子の生存を願い、そしてかつて愛した筈の夫――男児の父親――自らが自ら斬り伏せた。

 父親にとって生涯における優先事項は家族の愛よりも神への愛が大きく、異形を獲得した自らの子やそれを庇う妻など看過できなかったのだ。


 奇蹟が訪れたのか、父親も、異形を葬るため駆り出された衛兵や狩人たちも、森の中に隠された男児を遂には見つけることが出来なかった。

 やがて彼らは諦め踵を返す。その森は怖ろしい魔獣の棲み処だ。自分たちの手で片を付けられないことは遺憾だが、生まれたての赤子が生き延びられるほど生易しい場所では無いと。


 しかし禽は生き延びた。禽を拾ったのは“緑狐”(ロッコ)と呼ばれる大柄な魔獣だった。

 人間を一思いに丸吞みできるほど肥大した巨躯を持ち、高度な知能で人語を介することも出来、そして人間に並々ならぬ憎悪を抱いている魔獣だった。

 初めは人間に対する憎悪から食らってやろうと思った緑狐(ロッコ)だったが、その腕に生えた羽毛の存在と、そして森での騒ぎからこの子が実の親に捨てられたのだと勘付いた緑狐(ロッコ)は彼を食わず、逆に拾って育てた。


 緑狐(ロッコ)(トリ)を、人間への復讐の手駒として育てるつもりだったが、結局、長くいるうちに情を抱くようになり、彼を愛してしまうようになる。

 それが、善かったことなのかそうでなかったのかは定かではない。ただ確実なのは、魔獣を狩る冒険者たちに(トリ)が捕まった時、緑狐(ロッコ)は愛ゆえに奪い返そうと奮戦し、その果てに命を落とした、ということだ。


 そして(トリ)は物珍しい有翼の少年として見世物小屋に売られ、主人に()()を施された。

 少女は自らも受けたそれが(トリ)になされるのをただただ黙って眺めていた。

 何しろ見世物小屋の主人は狡猾で厳格だ。どのような獰猛な異獣でさえやがてはその調教に屈服し大人しく言うことを聞くようになる。

 (トリ)とてそれは例外では無かった。緑狐(ロッコ)から戦闘の手解きを受けていたとは言え、野生に生きた少年が狡賢(ずるがしこ)く生き汚い人間の大人に勝てる道理は無いように思われた。


 やがて(トリ)が誰しもを安心させる笑顔をその表情に貼り付けることが出来るようになった頃。


 (トリ)に、転機が訪れた。


 店主が小屋を構える街を、魔獣の群れが襲ったのだ。

 それは実際には、魔獣を従える術を得ていた隣国の侵略だったのだが、辺境の地にある街はそんなことなど知らず、唯々蹂躙されるが儘だった。


 人知れず力を磨いていた(トリ)は硬化させた羽根が形作る剣翼で檻の鉄格子を切り開くと、混乱する主人を殺害し衣服を奪い人間になりすました。無論、両腕の羽根は袖を通すには拡がり過ぎていたため、上衣は着ずにフード付きのマントを羽織った。


 そして自ら同様に囚われの身となっていた他の異獣たちの檻をも斬り壊し、異獣たちは各々の自由を受け入れ蹂躙する魔獣たちに紛れて散っていった。


 見世物小屋に残されたのは自ら解放した彼らの無事を祈る(トリ)

 そして、“天の遣い”として見世物にされていた少女だけだった。


「お前は、どうしたい?」


 未だ檻の中から出られずにいる少女に(トリ)はぶっきらぼうな物言いで問いを投げかける。


「――――帰りたい」


 目尻から想いを溢れ出させて呟かれたその言葉を(しか)と受け止めた(トリ)は手を差し伸べる。


「なら、立て――立って、歩け」


 見上げた少女は、自らの涙を拭うと差し出された手を握り、檻から出た。

 そして(トリ)は、少女にもマントを被せ、表通りの騒乱に紛れて街を抜け出す。


 一路、目指すは遥か彼方。

 明け方の昏い空を割り差す朝日から隠れるように、(トリ)と少女の旅が始まった。



 ――その旅路を、エディはただただ眺め続けていた。

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