銃の見做し児①
ふたつの銃床で 起ち向い、
ふたつの砲身を 振り翳す。
鉄に揺蕩う 炸薬を燃べて、
誰も識ら亡い 銃声を謳う。
己はまるで、銃の見做し児。
◆
「ノヱル、
神を否定しろ」
Noel,
Nie
Dieu.
Ⅰ;銃の見做し児
-Gun Parts Children-
◆
灰色。そして、残骸。
世界はまるで本来の色彩と輪郭とを喪くしてしまったようだった。
しかしそこに、本来の色彩と輪郭とを未だ有する、ふたつの光が佇んでいる。
ひとりは男。
そしてもうひとりは少女だ。
男――黄昏に人の輪郭を与えたなら、きっと彼のような姿を取っただろう。
夕焼けに喰まれた雲端のような、彩度と明度に溢れた撫子色の髪の下で、夕焼けそのもののような金色の双眸が鋭く前を見据えている。
蒼褪めた土気色の肌の病弱そうな印象とは裏腹に、その体躯は細身だが鍛え抜かれていることが、全身を覆う宵闇のような藍紫色の軍服越しにも伺えた。手先は黒い革手袋で覆われ、足に履くのも鉄底を持つ黒い軍靴だ。
少女――まるで血溜まりに臓物を浸したような色彩だった。
瑞々しい柘榴の果肉を盛大にぶち撒けたような陰鬱だが鮮烈な緋色の髪。薔薇色の虹彩には斜めに入った十字の切れ込みのような瞳孔が彼女の異常性を強調している。
彼程では無いが白く透き通った柔肌は彼とは対照的に露出されており、四肢は布地に包まれているが胴体は胸元と鼠径部、臀部を隠すのみだ。
男は端整な顔立ちだと言えたし、少女は可憐だと言えた。しかしそのどちらともが、どこか人間離れした神秘性を有しており、もしもそこに彼ら以外の誰かがいたのなら、きっと目と心を奪われてしまっていただろう。
それは本当に、人間だったのか――――凡そ、そのような問いを浮かべたに違いない。
しかしそこには彼らしかいなかった。だから彼らを目にしては釘付けにされてしまった者などいない。
いないが、彼らを目視し敵対行動に移行した者ならば存在した。
ちょうど、彼らの眼前に広がる瓦礫の積もった焼野原、50メートルほど先だ。
空中に浮かび上がり、両翼で風を切って進む“天獣”が三体。
鱏を直立させたような、と言えば想像に難くないだろうか――凧あるいは滑空翼に似た三角形の肉厚の翼を持ち、その中心を貫く細長い胴体の上端に無機質的な顔が居座っている。眼窩と口腔という孔の空いただけの簡素な顔だ。
胴体の下端には、鱏ならば細長い尾を持つが、代わりにひょろ細い二本の足が備わっていた。
眼窩に翡翠色の炎が灯っていることから、それが神が人類を滅ぼすために創造した知性を持たない天の御使い――“天獣”であることが判る。無論、二人も迫り来るそれらがそうであることを見抜いていた。
積み重なった瓦礫の隙間から所々突き出た黒く焼け焦げた遺体――天獣の炎で焼かれたのだろう。
灰色に黒の混じる世界の空ですら、黒い雲が天蓋のように覆い、濁った雪を降らせている。
黒く覆われた世界、灰色の積み重なった世界、白く包まれ行く世界。
世界を切り裂くように、翡翠色の炎を灯す流星が彼らを目掛け――――
「――山犬。これより実戦検証を開始する」
「思いっきりイっちゃっていいんだよね?」
彼らは実に対照的だ。険しくもどこか果敢無げに言い放った男に対し、少女は愛らしい顔貌にきらきらとした笑顔を湛えている。
「無論だ。相手は天獣、試運転にはちょうどいいだろう」
「ちょっとくらいなら、食べても平気だよね?」
「それも検証項目だ」
「わぁい、やたっ」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、山犬と呼ばれた少女は男の周囲をぐるりと回ると、まるで男を護るように前に躍り出た。
「それじゃあ――いただきまぁす」
その表情は、悦びに浸る娼婦のようでもあった。
まるでこれから抱き締めるかのように両手を広げた少女に、天獣の一体が強襲する。
翼の底部に翡翠色の炎を灯し、後方に噴出させて推進力を得たのだ。爆ぜた轟音を撒き散らして突撃した天獣は、その鋭い頭部の先端を少女の矮躯に突き刺して吹き飛ばした。
「――!?」
「きぃ、っっっもちいぃぃぃ――!」
身を翻して上昇する天獣の背に、下腹部から下を喪失した少女はしがみついていた。半身を吹き飛ばされたと言うのに、その顔と声音は恍惚そのものだ。
薄く雪の積もる白い瓦礫の地面に、劇的な赤色がいくつも咲く。濡れた長細い腸はまるで壊れた額縁のように転がった。
「ねぇねぇ、気持ちいいことしてあげる。エロくて、エモくて、とぉっても――エグいやつ」
蠱惑的に唇を蠢かせた少女は、しがみついた天獣の首筋に歯を突き立てた。そしてそのまま、その肉を喰らったのだ。
「――!! ――!! ――!!」
嚙み千切っては咀嚼もせずに嚥下する少女の奇行に天獣は恐れ戦いた。振り落そうと身を翻してみても、両翼を掴む少女の指は食い込むばかりだ。その華奢な身体のどこにそんな剛力が潜んでいたのか。
いや、戦慄はそれだけではない。少女は、腹から下を喪ったのだ。正しい人間ならもはや事切れているべきだ。だから天獣は自分たちが相手にしたのが人間ではない何かなのだと本能で悟った。
ゴギリッ――ぶち、みちっ。ごくり。
数十回目の咬合の果てに、天獣の頸部を噛み砕いて飲み込んだ少女は、何とその下半身を再生させていた。
命を喪った天獣が空中でその身を炎へと散らすと同時に着地した彼女は、落下の最中に指を鳴らして下衣の装着も終えている。
「あー、おいしかった」
赤く塗れた口元をべろりと舌で舐めずった彼女は満足げだ。それを、彼は半ば呆れた表情で、しかしどこか安堵した表情で見詰めている。
「問題なく動作できそうだな」
「そだねー、でもまだまだ喰べ足りない、って感じかなぁ?」
「満腹になるように設計されていないだろ」
「あれぇ、そうだっけぇ?」
道化的に表情を変える彼女に再び背を向けた彼は、突撃を中断し距離を取った残り二体の天獣を睨みつける。
「今度は、己れの番だな」
そして右手を横に伸ばした彼は、目を細める。
途端にフラッシュバックする、数々の追憶。
焼かれた幼子。
貫かれた少年。
斬られた少女。
穿たれた青年。
潰された娘――
右腕に迅雷のような光が迸り、やがて魔法円を形成する。
暗い紫色から烈しい紅色に発光する幾何学模様は自らを歪め、右手の先で直線的な輪郭へと変貌する。
脳裏に、誰かの声がこだまする。
“ノヱル、神を否定しろ”
「“銃の見做し児”――“鳥銃”」
紅の流線は、やがて彼の腕の中で長い砲身を持つ銃へと完成された。