諜報アスブの観察①
「たしかに、戦場で戦うより、お前らしい」
いつだったか、アスブが自分の将来について語った時、バハールはそう言った。地平線に沈む夕日を背に、黒髪を靡かせ、背筋を真っ直ぐ伸ばして佇む王女を、アスブは半分開いた目で見つめる。
「俺が諜報になる時は、バハール様は国王陛下ですかね」
乾いた唇を開き、アスブは淡々と言った。
アスブにとって、バハールという人間は。初めて会った時から、友人であり、主であり、そして、王であった。
(俺が仕える王は、バハール様しかいない)
アスブは本気で思っていた。
一方のバハールは、綺麗に生え揃った、はっきりした眉毛を片方上げ、眉間に皺をよせる。
「諜報員なら、言葉に注意しろ。前言撤回だ。」
バハールは怒りを隠さず、大きな目でアスブを睨む。サトールが生きていた頃のバハールは、兄を差し置いて、王を目指す気などなかった。気高く優しい兄こそが、王たるべき人だと、信じていたのだ。
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(そのバハール様がついにな…にしても、あの時はバハール様も俺も死ぬかと思ったわ)
アスブはらしくもなく感慨に耽り、心の中でぶつぶつと独り言をこぼす。双眼鏡をのぞく彼の視線の先には、主バハールと、その主に懸想をする、白髪の少年がいた。
アスブは自他ともに認めるバハールの腹心であり、軍人貴族の子弟でありながら、メラザイブ、そしてバハールの諜報として働いている。今日も、夜に働き、王宮の庭に生える樹の上から、主と少年の逢瀬を観察、いや見守っている。
「、…はぁ、相変わらずだな、神子様も」
アスブは、薄茶色の目を見張り、苦笑いをした。双眼鏡の狭い視界の中で、浮ついた表情でバハールと話していた少年が、急にアスブの方に、一瞬鋭い視線を投げかけたのだ。
他人を探るのが得意なアスブにも、腹の底が見えない相手がいた。メラザイブの神子、ラウーフである。
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◆十年前、王宮
「新しい神子様だそうだ」
バハールが、列をなして並ぶ王族の向こうにいる、国王の傍の少年を指さして言った。
アスブは思わず、息を飲む。
白い肌、白い髪、そして虹色の瞳。美しい、と形容すべきか、恐ろしい、と形容すべきか分からない、奇異な見た目の少年が居た。
(こいつは、人間なのか?)
頭上から差し込む光に照らされた神子は、真っ白に輝いていた。こんな光景を目にしてしまっては、日頃神官達を信用していないアスブも、神子の力というものを信じそうになる。
「痩せているな。食事はちゃんと摂られているのだろうか」
しかし、隣りにいるバハールといえば、親戚の子供でも見るような様子で、神子を眺めていた。