王女と神子の再会②
同日、円環の月3日の夜、三日月が天に昇る頃。王宮の庭園、その噴水の前に、2つの人影があった。
「ラウーフ!」
バハールは神子に歩み寄ると両手を広げ、友人や家族にするように、抱擁した。
「バハール様」
ラウーフも微笑み、抱擁を返す。そして、腕をほどいたあと、二人は握手を交わす。バハールはラウーフの顔を見ると、いつも引き締められている口元を緩ませた。
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「バハール様とラウーフ様、並ばれると…本当に、美しい…」
見張りの兵士の一人が、思わずこぼす。
褐色の肌に、腰まで伸びる黒髪を持つバハールは、力強く鋭い眉に高い鼻、大きな鷲色の目が特徴的で、女性にしてはかなり背が高い。その美しさと強さは、バハールがまだ少女の頃から、メラザイブ中で評判だった。男は逞しい王女を恐れたが、宮殿の女性や市井の女性は、王女を一目見ると黄色い声を上げ、無謀にも恋文のような手紙を渡そうとする者まであとを絶たなかった。
他方のラウーフといえば、まだ成長途中の少年で、バハールより背が低く、もっぱら祈祷や神殿の事務仕事や勉学に励んでいるため、筋肉も乏しい。中性的で精悍な顔つきのバハールと並ぶと、同じく中性的な顔立ちで、まだ成年前のラウーフは、少女のようにも見える。
しかし、白髪に白い肌、他に誰も持たない虹色の瞳を持ち、神官の白い服を身につけたラウーフは、月明かりに照らされると、神々のように美しく神々しい存在に見えた。
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「早くお会いしたくて…毎日耐え忍んでいました」
「フッ、もう十六だろ。姉離れしろ」
ラウーフとバハールはベンチの上に座り、神子や王女の仮面を取って、寛いだ様子で語らい始めた。
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「姉?」
兵士の一人が、小声で疑問を呟く。ラウーフとバハールは、どう見ても血がつながっているようには見えない。
「幼い時、突然神殿に連れられて来られたラウーフ様を、バハール様は弟のように可愛がったらしい。ラウーフ様はその…神子になる前は…だっただろ。だから王家も神官も兵士も軽蔑してるが、バハール様だけは、姉のように慕ってるってわけさ。」
「ほう…苦労されてるんだな、神子様も」
もう一人の兵士が、ぺらぺらと事情を説明した。疑問を投げた兵士は、双眼鏡で神子を見ながら、うんうんと頷く。
「バハール様も、心を許せる方は少ないだろ。権謀術数に無縁な子供は可愛かったんだろうな」
「…。詳しいな、お前。」
同僚に怪訝な目で見られた兵士は、立てた膝の上に肘をのせ、ぼやいた。
「十年前からここで働いてる兄貴から、色々聞いたんだよ。兵士たちも老いぼれた国王や兄弟殺しより、そういう純粋な存在を目で追っちゃうもんだろ。」
「純粋ね…」
その答えに納得した兵士は、同僚から、王女と神子に視線を戻した。ラウーフは神官長であることを忘れた様子で、ベンチの上で脚まで揺らしている。王女はそんなラウーフをどう思っているのか、いつも精悍な顔に、穏やかな笑みを浮かべていた。しかし、
(神子様は、あなたを「姉」とは思ってません。バハール様)
兵士は、風に運ばれ聞こえてしまった会話に、無言で異議を唱える。バハール以外の大抵の人間は察しているが、ラウーフがバハールに抱いている感情は、家族愛や親愛にとどまらず、ほとんど恋慕の情だ。
そんなことは、バハールを見つめる神子の細められた瞳や、バハール以外には一切向けない裏のない笑顔、さり気ない、神官長としての職務を全うしているというアピールから分かる。その上先刻、身体の線が目立つ薄い夜着を着たバハールを見て、ラウーフは一瞬顔を強張らせていた。
それだけではない。神子はその後、見張りの兵士二人を、警告のつもりかジロリと見てきたのだ。
(いや、もうバハール様には勃ちません)
余裕のない子供に呆れながら、二人は同じことを考えた。バハールは確かに魅惑的な肉体をしているが、その権力と地位、己の命を考えると、全く身体が反応しなくなるのだから不思議だ。
「さっきラウーフ様に睨まれたけど、あれって大丈夫だよな。呪いとかないよな。」
「……。あれで死ぬなら、今頃王宮には男がほとんど居なくなってるから、大丈夫だろ」
兵士たちは、神子に万一にも聞こえないよう、小声で話す。これ程ラウーフの子供じみた行いを見ていても、あの虹色の瞳に睨まれると、全身が毛羽立つ。メラザイブで育った人間にとって、神子とはそれほど、神々しく、恐ろしい存在であった。
そんなわけで神子の怒りを買いたくない兵士たちは、互いにこの逢瀬の見張り役を押し付け合い、毎回くじ引きを行っていた。なお今夜は、くじ引きに負けた他の兵士が十数人、庭園各所に身を潜めている。
「そもそも今、次期国王が神官長と会うなんて…って言ったんだけどな、アスブ様に」
「無駄だったな、まったく」
兵士たちは王女と神子の逢瀬を見守りながら、ぼやき続ける。いつも半目でやる気がないようで、誰よりも長く働く王の右腕の顔を思い浮かべながら。
「王にも息抜きは必要、の一言で終わり」
「俺たちの心臓が持たねえよ」
「ま、あの人には、神子を恐れる気持ちなんてないんだろうよ…」
愚痴を零す兵士たちの頭上では、三日月と星々が輝き、夜鷹が鳴いていた。
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「夜鷹が鳴いていますね。」
「ああ…そうだ、戦場に行く途中、見たこともない大きな鷲を見かけてな…」
「吉兆の象徴でしょうか」
「それと、この巻物を貰ったんだ。不可思議だが美しい模様と絵が描いてある。」
「美しい…。バハール様、この模様はきっと、古代語の文字ですよ。教典に似た文字を見たことがあります。」
「本当だ、言われてみると文字に見えるな。ラウーフは本当に頭がいい。」
「そんなこと、ありません…」
夜空の下、バハールとラウーフは、兵士たちの様子を気にすることもなく、和やかに遠征中にあった出来事を語らう。ラウーフの想いはともかくとして、はたから見れば確かに、恋人には見えないが、姉弟のような親密さではあった。
バハールは、ラウーフと朗らかに会話をしながら、少し背が伸びた気もする弟分を観察していた。
ラウーフが宮殿に来たばかりの頃、世の中と王家と神殿を憎んでいた奴隷の少年に、少しでも人生に希望を見出させたいと、バハールはお節介にも彼を弟分として連れまわした。彼はその頃と変わらず綺麗な顔をしているが、王宮に来た時と比べたら、大人びていて、そして真実か建前か、よく笑うようになった。
(王宮と神殿の中で生きるには仕方ないが…少なくとも、今は本心から笑っていて欲しいものだ)
バハールが軽率にそんなことを願った時、心の中で、冷静なバハールが呟く。
(まったく、偽善だな)
そんな、十六の少年に過ぎないラウーフを、自分は政治に利用しているのだから。あの頃、兄から教わった道徳心のために、奴隷の少年を笑わせたいと思ったバハールは、ただの王女で、王になることなど考えていなかった。
しかし今のバハールは、メラザイブを統べる王になる人間だ。そして、ラウーフは、彼女の命運を握る、神官長で神子である。
バハールは微笑みを消し、真剣な表情に戻った後、ラウーフに尋ねた。
「神殿の方はどうだ?変わったことはないか。」
バハールは、ラウーフ以外にほとんど味方もいない神官団の様子を探るために、時折ラウーフに内情を報告させていた。
「ええ、つつがなく。水の祭りに向けて準備を進めているので、忙しくはありますが。こんなことを言っては何ですが、戴冠式も重なると、さらに大忙しになるかもしれませんね。」
バハールの質問に対して、ラウーフは少し声の調子を下げて答える。バハールが気にしているのはきっと、ラウーフの仕事の悩みではないとラウーフも理解している。しかし、どこに神殿の手先が居るか分からない中、明け透けに話すことは出来ない。
「く…」
神官の様子については言葉を濁すくせに、現国王への敵意は包み隠さないラウーフに、バハールは苦笑する。しかし、昼間と違って、ラウーフの前では、彼女は遠慮しなかった。
「ああ。忙しくなるだろう。無理はするなよ。」
悪戯に笑う、自信にあふれた様子のバハールに、ラウーフは目を瞬かせた後、一緒に笑みを浮かべた。