王の罪と栄光
干からびた顔には、無数の皺が刻まれている。ほとんど閉じそうな瞳は、白く濁っていて、何も映していない。
死の床にある王の姿に、往時の面影はない。
金色と、赤、青、緑の宝石が彩る王の部屋には、王の子、バハール、ハジール、ヤーヌルの3人をはじめ、医師、宰相、側近の家臣、そして、神子ラウーフと、ジャマルを含む数人の神官が集っていた。
アスブや護衛兵たち、中に入ることが許されない者は、扉の前で待機している。
「先刻までは意識があったのですが、今はほとんど眠っておられるようで…。」
王の脈を計りながら、医師が言う。わずかに開いた口からは、虫の息が漏れるだけで、言葉が発されることはなかった。
「そうか…。」
バハールは落ち着いた様子で呟く。ハジールは少し神妙な面持ちをしていたが、兄妹の誰も、バハール自身も、父親の姿に取り乱すことはなかった。むしろ、家臣の方が、国王の回復を願っているだろう。
(既に遺言は準備されている。このまま父上が亡くなってしまったとしても、問題はない…。だが、眠られたまま何か月も、となれば、厄介な事態になりかねないな…。)
バハールは眠る父親の姿を見ながら、冷静に計算していた。ひどい子供だと思いながらも、バハールには死の床にある父よりも、メラザイブの未来の方が重要であった。ハジールは分からないが、隣に立つヤーヌルも、同じことを考えているだろう。
「バハール…。」
その時、しゃがれた声が響いた。皆が一斉に王の方に顔を向け、バハールも父親の枕元に耳を寄せた。
「父上」
老王は、濁った瞳を、バハールの方へ向ける。
「兄さん…。」
しかし、そう呟いたあと、王は、別の名前を呼んだ。
(混濁しているのか?)
とバハールが疑ったところで、父親は、子供たちの方を見て、弱々しい声で語りはじめた。
「メラザイブの王を継ぐ者たちは、争う定め。すべては神とメラザイブのためだったのだ。私もきょうだいも、ヅァトールとナクシル、ザハブも…」
バハール、ヤーヌル、ハジールをはじめ、皆が王の言葉に耳を傾け、沈黙する。いまにも消えそうな声で、王は語り続けた。
「私は、若い時に天啓を受け、それを信じてメラザイブのために戦ってきた。お前たちも、神のしもべとして…この国を繁栄させろ」
王が寵愛するサジルや、重臣たちは、若い日を思い浮かべ、瞳を潤ませた。ジャマルや、年配の神官も、何か感じ入る思い出があるかのように、王の話を聞いている。
「どれだけの血を流しても…、友や肉親を裏切ることになっても…。」
バハールは、皺だらけの顔から紫の目を逸らすことなく、父親の話を聞いていた。
「それが王の務めなのだ…。バハールよ。」
王は娘の方に顔を向け、朧気な視界の中で、バハールの頬に手をのばす。
「父上」
バハールは、父親の冷たい手を握りしめて、宣言した。
「私はメラザイブのしもべとして、神殿と共に、この国を治めます。」
老王は頷き、娘を抱擁する。重臣や神官たちは、目に涙の膜を張りながら、彼らの様子を見つめていた。
バハールが離れたあと、アジズは、ラウーフの名を呼んだ。
「ラウーフ様…。」
「陛下。」
ラウーフは王の声に答え、その傍へと歩いていく。
「神子様……ああ、私は恐ろしい。彼方の地で、自分にどんな罰が、痛みと苦しみが待ち受けているのか。」
赤裸々な告白をする王の言葉を、ラウーフは黙って聞く。王の最期を悟った重臣たちが、うしろですすり泣いている。
「私は大勢を殺め、大地を血で汚し、多くの罪を犯しました…。」
「だが、それは、メラザイブと神のためだった。」
「お赦しください…。」
王は懇願しながら、震える手で、ラウーフの白い手に、褐色の手を伸ばした。
「神はきっと、お赦しになるでしょう。」
「神のしもべであった、陛下のことを。」
ラウーフは、王の手を両手で包んでやりながら優しく答えてやり、祈りの言葉を唱えた。
清らかな、歌のような祈りを聴きながら、国王はついに、目を閉じた。
(神が赦したとして、私は赦さない。)
(もっと苦しめて死なせたかった)
冷たい瞳で、男の死に顔を見つめるラウーフは、心中で恨みの言葉を吐き捨てた。アジズの息があるうちに、そう口に出し、絶望させられたら、どんなに心が軽くなっただろうか。
(だが、そんな私怨を、この場で晴らすわけにはいけない。)
ラウーフは顔を上げると、隣に佇む、若き国王の方に視線を向けた。
(この時が、バハール様の世のはじまりなのだから。)




