眠れない夜の夢
※未成年が酒を飲んでいる描写がありますが、これはファンタジー異世界です
現代日本では真似をしないでください。
待ち焦がれていたバハールと再会した数日後の深夜。神子ラウーフは、神殿の自室でひとり、寛いでいた。
涼しい夜風が外から吹き込み、部屋の中に甘く神秘的な香りが漂う。金箔に覆われた壁、そして装飾が彫られた柱に囲まれた空間の中央には、花びらや蝋燭が浮かべられた正方形の人工池がある。池の中央には、大理石で造られた、一回り小さい正方形が浮かんでいた。その上で、ラウーフは片膝を立てて、クッションに背をあずけ、寝転がりながら酒を飲んでいた。小さな金色の器の中身を飲み干してしまったラウーフは、その中にまた、ヤシの酒を注ぐ。
神殿の中で祈祷や執務ばかりしていて、日中ろくに外に出ない日が多いためか、ラウーフは不眠症に悩まされることが多かった。今晩も、寝付いてすぐに悪夢を見て飛び起きたラウーフは、頭の動きを鈍らせて眠るため、こうして酒を飲んでいる。
ラウーフが見る悪夢はいつも決まっていて、ひとつは過去、ひとつは未来の夢だ。今日は過去の夢、ラウーフが故郷と家族を奪われた日の夢だった。
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真っ青な空には雲一つなく、太陽の光が、頭上から眩しく照りつける。緑の葉がつくり出す日陰の下、ラウーフは妹といっしょに、オレンジの実を獲っていた。
突然、雄叫びと怒号が、地を鳴らした。
ラウーフはすぐ妹に、食料を貯めておく穴に隠れるように言って、オレンジ畑から、母が居るはずの家に向かって走り出した。阿鼻叫喚の地獄の中、幼いラウーフは砂を蹴って息を切らしながら必死に走って、暴漢に見つからないよう、物陰に隠れながら家を目指した。
途中で見た景色は、あまりにも酷いもので、途切れ途切れにしか覚えていない。村中に悲鳴が響いていた。突然村に来た男達は、剣や盾を手に武装していた。彼らは村の門番や兵士を殺し、家に火をつけたり、家畜や食料を奪い、若い男女や子供を捕えていた。
ようやく家についた時、ラウーフの母はまだ、土で造られた家の中にいて、息子の姿を見るやいなや、なんで逃げなかったと怒鳴りつけた。そして、母がラウーフの腕をつかんで、彼を無理矢理家から出そうとした時、村を荒らし回っていた男たちが、ついに家に押し入ってきた。
男たちは、親子の方へと近づいてきて、躊躇いもなく、ラウーフに向かって剣を振り下ろそうとしてきた。
その時、彼の隣で、母が叫んだ。
「この子は頭が良くて、読み書きもできます。健康だから力仕事もできるし、顔も髪も綺麗でしょう。それに、見て…、こんな綺麗な目をした子供は居ません!」
母は息子を、男たちに売ったのだ。
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ラウーフはヤシ酒をすすりながら、ぼんやりと光る月を眺めて、その時の母の顔を思い出す。母は怒ったような、泣いているような表情で、でも笑っていた。
(あの時は当惑したが、今は賢い母さんを尊敬する。それが唯一、あのとき、僕が生き延びられた選択だった。)
ラウーフは目を閉じる。彼は酒に強い方で、これくらいではまだまだ酔えそうにない。
頭の中には、悪夢の続きの景色が浮かんできた。
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母のおかげで、男たちに奴隷としての価値を見出されたラウーフと、若い女であったラウーフの母は、ともに奴隷として、荒くれ者の男たちの集団に連れて行かれることになった。
村の門に向かう、奴隷にされた人々の列の中で母と歩いている時、ラウーフは、道端で数多の死体を見た。そして、荒くれ者が邪魔だと蹴った、一人の死体の顔を見てしまった。
彼は、兵士として村の守衛にあたっていた、ラウーフの父だった。
きっと前を歩く母も気が付いたはずだが、ラウーフも母親も、一言も口にせず、嗚咽も上げなかった。
唯一の幸いは、妹の死体は見なかったことだ。絶望の表情を浮かべ、自分たちの行く先を案じ、天に祈りを捧げる村人たちと列をなして歩きながら、村の外れの祖母の家まで、幼い妹が自力でたどり着いていることを、ラウーフは空に祈った。
殆ど壊された村の門をくぐった後も、ラウーフ達は、砂漠の中を延々と歩かされた。水も食料も十分に与えられず、途中で死んだ村人もいる。
道中、男たちの会話から、ラウーフは、彼らがメラザイブという国の兵士であり、メラザイブに未だ恭順していなかったラウーフの村を征服するために、メラザイブの国王が遣わした軍だと知った。その話を聞いたラウーフは当然、メラザイブと、その国王を憎んだ。
やがてメラザイブの王都に着くと、奴隷市場でラウーフは母と引き離され、メラザイブの神官に買われた。
数ヶ月後、風の噂で母が国王のハーレムに入れられたこと、一ヶ月もしないうちに、病死したことを聞いた。




