姉妹
「バハール、おめでとう」
優しい声が脳裏によみがえる。バハールは、誰もいない自室で、綺麗な象牙彫が施された短剣を眺めていた。兄のヅァトールが、十二歳の誕生日に贈ってくれたものだ。
十二歳のバハールは、聡明で勇敢な兄が、将来メラザイブを統べるものだと思っていた。神官を批判する兄を悪く言う者達が多くいることも知っていたが、そんな者達は、兄の敵ではないと思っていた。
しかし、誰より強いと信じていた兄は、小物で徳のないナクシル達に、あっさり殺されてしまった。
「姉様」
短いノックのあと、凛とした女性の声が響く。バハールの妹、ヤーヌルの声だ。
「ヤーヌルか。入れ。」
バハールは短剣を枕の下にしまい、妹に返事をする。
扉の向こうから、寛いだ姿のヤーヌルが現れた。
「どうした、眠れないのか。」
バハールが茶化してそういうと、妹は表情を変えないまま答える。
「たしかに、最近寝つきが悪くて」
「とりあえず座れ。茶を持ってくる」
バハールはソファを指差して言う。
昔は2人して布団の中に入り寝台の上で語り合ったものだが、最近のヤーヌルは、自分はもうそんな歳ではないと嫌がるのだ。
✧ ✧ ✧
バハールは使用人にお湯を持ってきてもらい、隣の部屋で自らサフラン茶を淹れた。芳香が漂う茶を銀のカップにいれ、干したナツメヤシの実とともに、ソファに座る妹のもとへ持っていく。
「ありがとう、姉様」
ヤーヌルはそう言うと、まだ熱い茶に口をつけた。二人ともしばらく無言のまま茶をすすったあと、ヤーヌルが口を開く。
「神官たちは、どう事を起こす気かしら」
「そのうち、反乱でもするかな」
悠長なバハールと反対に、重々しい表情のヤーヌルは、滔々と話し続ける。
「最近、ヅァトール兄様のことを思い出します。」
「タシールもナクシルも死んで、ようやくバハール姉さまが王位継承者になったけど、神官貴族は、王宮にも、市井にもいる。」
「いつ、姉さんの身に何が起こるか…」
ヤーヌルはそう言うと、バハールの顔を見つめながら、黙り込んでしまった。
ヤーヌルは、一見冷たい印象を受ける外見だが、その実、バハールよりも情が深く、こうしてよく姉のことを心配してくれる。優しい妹だ。
「いつヅァトール兄様と同じように暗殺されるか分からなかったのだから、王女のときと同じだ。」
バハールは、妹の琥珀色の瞳を見つめながら諭す。
「常に命を狙われる。王座を目指したり、王になるとは、そういうことだ。」
ヤーヌルは、何かを言いたそうな目をしていたが、何も声に出すことはなく、口をつぐんだ。
「大丈夫だ。神官については、ちゃんと考えている。」
バハールはそう言って、ヤーヌルの耳に口を近づけ、今後のことを囁いた。
「姉様…っ!」
ヤーヌルは目を大きく見開き、今度こそ口を開く。
「…」
しかし、姉の案に反対することは出来ず、ヤーヌルは再び黙り込んでしまった。
✧ ✧ ✧
しばらくして、世間話をしながら二人とも茶を飲み終わったあと、ヤーヌルが席を立った。
「もう帰るのか。」
「夜にありがとう、姉様。それと、最後にひとつ…」
「神子と執務以外で会うのを、やめてくれませんか。あの方は・・・・。姉様のことを慕ってはいるけど…。やっぱり危険だわ、神殿の人間と、二人きりになるのは。」
ヤーヌルは、バハールの目をまっすぐ見て、訴えかけるようにそう言った。
バハールは少し黙ったあと、真顔で頷いた。
「お前の言う通りだ。ラウーフと個人的に会うのは、しばらく控える。」
「約束よ、姉様」
「ああ。おやすみ、ヤーヌル。」
念押しするヤーヌルに微笑むと、バハールは妹と頬を近づけ、姉妹は寝る前の挨拶をした。
✧ ✧ ✧
「姉様に神子のこと、言ってきたわ。」
扉の外に居たアスブに、ヤーヌルが声をかける。カツカツと靴音を響かせ、長い黒髪を靡かせて、大理石の廊下を歩きながら、ヤーヌルが呟く。
「あんな不気味な子供のこと、どうして姉様は信じているのかしら」
不敬な発言をする王女に、アスブは半開きの目で言う。
「昔から可愛がってますよね、弟君のように」
ヤーヌルは大きな目でギロリとアスブを睨みつけ、冷たい声で言った。
「姉様のきょうだいは、私とヅァトール兄様だけ。……姉様は人が良いから…。不運な神子様に、同情されてるだけよ。」




