駱駝と獅子の化かし合い
白亜の大理石を打つ、夥しい数の靴音が忙しく鳴り響く。足早に目の前を過ぎる、きらきらしい衣装の人々に、使用人たちは頭を垂れる。
午前10時の鐘と祈祷の声が王宮中に鳴り響くと、老王は嗄れた声で開会を宣言した。国王は、赤や緑の宝石が贅沢に使われた玉座に座る。その隣には王女バハールが控え、彼らの前には厳かな面持ちの高官たちがずらりと座っていた。
王は、半分視力を失った、白くにごった瞳で臣下たちを見つめながら、彼らに告げる。
「次の王たる我が子バハールも、これから御前会議に同席する。」
父親に続き、王女が口を開いた。
「若輩で未熟者だが、よろしく頼む」
バハールは自分より年輩の高臣たちに向けて、深々と頭を下げる。しかし、へりくだる様子は全くない。
「バハール様にそう言っていただけるとは、光栄です。」
銀髪の、初老の男性が朗らかに笑う。現在の書記官長である。内紛では、ナクシルにも、バハールのいずれにもつかず、神官たちとも距離を置いている。風見鶏なのか、信念があるのか。有能だが、底の見えない男だ。隣では、かつてナクシルを担いでいた宰相が、苦い顔をしていた。
「ああ、すっかり立派になられましたな。」
好々爺のような顔で微笑んでいるのは、ナクシル派だった財務長官である。
(首を切られないように、公然と鞍替えか)
バハールは内心の考えは表に出さず、微笑み返した。紫色の瞳は、あたりを見回す。ナクシルらの肩を持ってきた大臣や、神官と繋がりが深い貴族たちの中には、不満を隠しもせずに、険しい顔つきをしている者も多い。逆に、財務長官のように、手のひらを反してごまをするように、言葉をかけてくる高官も多かった。
バハールはそのまま、大理石のテーブルをはさみ、正面に座る白衣の一団の方へと目を向ける。全体会議には、ラウーフはもちろんのこと、神官を司る高位の神官たちも出席している。現国王は神官の意見を熱心に聞くので、神官長以外に、ジャマルや神官の財務担当も出席していた。
ラウーフは特に言葉を発さず、黙って微笑むだけだった。神官長が特別バハールに肩入れしていると思われないための配慮だ。バハールも、ただ黙って微笑み返した。
余り中身のない会議が散会した直後、ラウーフの隣に座っていたジャマルが立ち上がり、国王と話すバハールの方へと歩いてきた。ジャマルは恭しく挨拶をすると、
「バハール様こそ国王にふさわしいお方。ラウーフ様は勿論のこと、私も他の神官たちも、バハール様の治めるメラザイブが繁栄するように、力を尽くします。」
と、流れるように舌を巻いて言った。
バハールは、ジャマルの長い睫毛に覆われた茶色い瞳を見ながら、力強く返す。
「これから、共に未来をつくっていきましょう」
「ええ、もちろんです」
ジャマルも微笑んで答え、二人は握手を交わした。次代の王を祝福する拍手が、周りから巻き起こる。
ラウーフは神官達の一団の中から、人形のような面持ちで、二人を眺めていた。
✧ ✧ ✧
「それで、神殿の動向は?」
午前会議の数時間後、バハールは私室で、信頼のおける側近たちと秘密の会合をしていた。腹心のアスブと、実妹のヤーヌルに、バハールが個人的に目をかけている、若い官僚や貴族数人である。御前会議で話された軍事、財務、神殿のことや、バハールが治める都市の交易の話などをした後、話題は神殿の動向へと移った。
「各地の神殿や神官貴族の屋敷に、武器を集めてるようですね。いやあ、ジャマル様の面の皮の厚さには、恐れ入りますよ。」
アスブが気だるげな様子で報告する。不穏な報告を聞いて表情を緊張させる他の側近たちとは対照的に、諜報は余裕のある表情を浮かべている。
「つながりのある貴族たちからも、同じ噂を聞いています。神官と縁戚の軍人貴族や、果てはアスマーリにも協力者が居るみたい。」
怜悧な美貌の女が、腰まで伸びる豊かな黒髪をかき上げながら、アスブに重ねて答える。バハールの同腹の妹、ヤーヌルだ。
「時に、姉様。神子の方に不審な動きは?」
ヤーヌルは、赤いアイシャドウに縁どられた、冷たく輝く瞳をバハールの方に向け、尋ねる。
バハールは、水煙草の煙を吐き出すと、しずかに答えた。
「ラウーフはいつも通りだ。何もない。」




