88話 訓練五日目
用語説明w
ホバーブーツ:圧縮空気を放出して高速移動ができるブーツ
カプセルワーム:ぷにぷにしたカプセル型で、傷を埋め止血と殺菌が出来る
デモトス先生:ゼヌ小隊長が紹介した元暗殺者で、ラーズの戦闘術の指導者。哲学と兵法を好む
ロゼッタ:MEB随伴分隊の女性隊員。片手剣使いで高い身体能力を持つ(固有特性)
カヤノ:MEB随伴分隊の女性隊員。思念誘導弾を使い、飛行ユニットによる空中戦が得意なサイキッカー(固有特性)
デモトス先生の指導を受けて、今日で五日目だ
エマに「目付きが…」と言われたのが気になる
訓練初日に、デモトス先生が「筋トレは癒し」と言っていた言葉が理解できてきてしまった
死の危険性がない訓練、それはなんと幸せな時間か…
しかも、その後に来る実戦訓練を乗り切る可能性を上げてくれる訓練なのだ
実戦訓練、ただナイフで切り合うだけの訓練
考えてみると、俺は銃弾や魔法が飛び交う戦場、複数の敵や巨大なモンスターの討伐に参加してきたのだ
ナイフを一本持った、魔法も特技も使わないただの人間に何を恐れているんだ?
…いや、怖い
命の危険を感じて敵を倒す、殺らないと殺られる、そういう殺意とは違う
報酬を目的に、仕事として殺す、そういう乾いた殺意がたまらなく怖い
作業のような、気負いもない、敵意もない、そんな殺意
あれが、兵士とは違う、殺し屋の殺意なのだろうか?
「恐怖を感じることはいいことだ。君の命のセンサーが働いているということだからね」
そう言って、デモトス先生は笑った
・・・・・・
今日も、トレーニングだ
甲羅を模した重りに一本下駄、岩を持って歩く
「うむ、だいぶ重心が安定してきたな。ホバーブーツを使っているだけあって、バランスもいい」
「く…はい…」
「バランスと体幹を鍛えた後に、ホバーブーツを使うと効果を実感できる。楽しみにしていたまえ」
「はい…」
その後、柔らかいボールに立つ
だいぶ安定して立てるようになってきた
「うむ、良くなったな」
昨日から、このボールの上で壺を指先で掴み、中腰の姿勢を維持している
「先生、壺が明らかに重いんですが…」
「今日から壺に水を入れたんだよ。だんだん重くしないと訓練にならないからね」
そして筋トレ
フィジカルは一日にしてならず
フォームを意識して、ひたすらこなす
殺気とは無縁のトレーニングはありがたい
パアンッ
「ぐぅ…!」
だが、きついものはきつい…
ふぅ…、やっと食事と休憩時間だ
今日は秘策がある
食事を終えると俺は実戦訓練を行う中庭に出る
砂地に躓くくらいの大きさの石を浅目に埋め、積んである木材から手頃な長さのものを取り出しておく
更に、いくつかのポイントにカプセルワームと目潰し用の砂を隠して置いておく
いつも同じ場所で死の訓練を行ってるんだ
生存率を高めるしかけを用意して何が悪い
俺は、仮眠のために休憩室に戻った
・・・・・・
実戦訓練が始まった
何度やっても、この時間が怖い
だが、今日のデモトス先生は少しいつもと違った
「成長したな、ラーズ」
いきなり褒められたのだ
「え?」
「フィールドを有利に使うために仕掛けを施しただろう? もっと時間がたってから気がつくと思ったが、予想以上に早かったよ」
…ば、ばれてる!?
「生きることへの貧欲さ、それは考えること、出来ることをどんどん試すことだ。フィールドへの仕込みはその初歩だ! これからもどんどん試したまえ」
「は、はぁ…」
見たところ、仕込んだ石はそのままっぽい
仕込みは残しておいてくれたのかな?
いや、無かった場合が危険だ
カプセルワームや目潰し用の砂は無いと思った方がいいだろう
「では始めよう」
いつものように、魔の十五分が始まる
カンッ… ガキッ!
何度かナイフで切り結ぶ
捌いて捌かれ、蹴って蹴られて
掴んで、掴まれ、崩され、何とか逃げる
「戦いにおいて、強いとはどういうものか分かるかね?」
「パワーやスピード、技に優れた人です!」
「それも強さだ。だが、それで必ず勝てるわけではない」
いいながら、デモトス先生は連切りを放つ
スパッ!
「うあっ!」
太腿を切られる
上下にナイフを散らされると反応が遅れる
傷は浅いが、太い血管が通っている場所は注意だ
対峙しながら、意識を集中してナノマシン群で治癒させる
「答えは意表を突くことに秀でた者だ」
「い、意表…」
「今の突きがそうだ。恐怖を誘う顔への突きから、意識が及びにくい下半身への攻撃。想像していない場所への攻撃に人間が弱い」
確かに意表を突かれると反応が出来ない
特に焦ると、想像力が働かず意表を突かれることが増える
「ルールを押し付け、自分はルールを破る。躊躇なく騙し、嵌め、つけ込める人間ほど意表を突くことに向いているということだ」
ドガッ
ヒュンッ
サクッ
先生は、話ながらも手を止めない
いくつか被弾しながらも、なんとか重傷を回避する
五日目にして、多少はナイフに慣れてきた気がする
もちろん、見切ることは出来ないが、慣れることで出来ることが増えた
突然、デモトス先生が動き、すっ…と距離を詰められる
しまった、反応が遅れた!
ナイフの突きが顔へ向けられる
ザクッ
ドカッ
手の平でナイフの突きを受け止めるがナイフが手の平を貫通、我慢してそのまま鍔を握り混む
カウンターの前蹴りを入れて押し返す
「があっ…」
「ほう、上手くなったな」
手の平に刺さったナイフを強引に引き抜かれ、左手から出血をする
すぐにカプセルワームを貼るが、警戒は残したまま、いつでも動けるようにデモトス先生を見続ける
「いい残心だ」
デモトス先生は頷く
血を止めるタイミングが一番危険だ
早く血を止めなきゃと焦ると、視野が狭まり追撃に対応しきれない
意表を突かれてしまうのだ
「ナイフへの反応が良くなったな。特訓でもしたのかね?」
「…二回ほど、ロゼッタにナイフの訓練を付き合ってもらいました」
昨日、一昨日と、ロゼッタにお願いして、ナイフの個人練習に付き合ってもらった
ロゼッタは剣術が物凄く上手く、ナイフ術も俺より数段上だ
「えー、高いよぉ?」
と、いい焼き肉を要求されたが、生き残れればいくらでも奢ってやる
「うむ、それも正解だ。貧欲さが身に付いてきたね」
デモトス先生は、またにっこりと微笑む
今日はよく褒められるな!
でも、時間が来るまで殺気は消えない! 知ってるよ!
デモトス先生は、左に移動してナイフを構える
ヒュンッ
ビチャッ… 「ぐあっ!?」
デモトス先生がナイフを振ると、滴っていた俺の血が飛んできた
手で防御するが、目をつぶっちゃダメだ!
目潰しとは、また意表を突かれちまった
だが、視界は遮られていない、カウンターを狙う!
俺は一気に踏み出し、距離を詰める…!
ズザザッ!
「え!?」
踏み込んだ地面の砂に浅い穴が隠れていて、足を取られる
それを分かってたかのように、デモトス先生のナイフが襲う
あっ…無理だ、これは躱せない
ブンッ!
俺はナイフをデモトス先生の胴に投げつける
両手をフリーにして防御!
カンッ ザクッ!
簡単にナイフを弾かれ、そのまま突かれる
顔を左手、胴を右手でガードしたのだが、胴を狙われた
結果、右手の前腕をザックリ刺された
今さら、こんな傷でビビるか!
胴を刺されるリスクに比べたら屁でもない!!
俺は左手でストレートをぶち込む
が、普通に捌かれた
すぐに距離を取ると…
ピピピピピピピ…
終了のアラームが鳴った
この音を聞くとほっとする
パブロフの犬と化してるんじゃないだろうか…
「君が仕掛けをするということは、相手も仕掛けをするということだ。気を付けるべきだよ?」
「え…? あっ! 足取られたあの穴って先生が…!」
デモトス先生はまたにっこり笑う
「五日間ではナイフ術が突然上手くなったりはしない。だが、被弾や重傷が減っている。理由が分かるかね?」
「え!? いや…」
「それは、恐怖への耐性と判断力の向上だ」
「…」
「一番必要なのは経験とそのための忍耐力だ。今日は良かった、せっかく身に付いた貧欲さを大切にするのだよ」
「は、はい!」
褒められた
こんな目に遭ってるのに、褒められて嬉しさが込み上げてくる
俺はどうしてしまったのだろう
「今日も、後ほどカヤノ隊員とサイキックの訓練をしなさい。その後の自主練習は任せるよ」
「はい!」
今日も、カヤノとロゼッタにお願いして訓練だ
褒められて、成果を感じるとやる気が出る
俺も現金な奴だよな…
次で訓練編は一旦終わります
でも、指導自体はちょこちょこ続きます