第8話「ははは、ちょっとユリちゃんなんのことかわからないですね」
季節が季節なので、南川様のバレンタインの話でもしましょう。……え? 作中時間は6月だろうって? ははは、ちょっとユリちゃんなんのことかわからないですね。
既に皆さんお察しかとは思いますが、南川様はバレンタインという行事にはなんのご縁もありません。……いや、私が辛辣な言い方をしているわけではないですよ? 以前本人がそうおっしゃっていたのです。酔っ払った南川様は大抵このあたりのことを愚痴っています。家族以外からのチョコは友チョコも含めて生涯ゼロとのことです。さすがの私も同情の涙を抑えきれません。
ただ、別にお母様からしか貰えないというほど悲惨なわけでもなく、南川様にはお姉様と妹様がいらっしゃいますので、毎年3個は必ず貰っているそうです。結局家族からのみではありますが、羨ましがる男子は少なくないでしょう。しかも、それが一人暮らしを始めて7年経つ今でもそうだと言うから驚きです。お母様は毎年郵送で、お姉様と妹様に至ってはわざわざ泊まりに来て手渡してくれるそうですよ。どうです、世の男子諸君。ギルティだと思いませんか。
……まあ、どちらかというと南川様がギルティというより、お姉様方がブラコンという感じがしますが。会ったことがないのでなんとも言えません。
では、スタート。
南川様の午後の仕事は、約3分の1程度が眠気との闘いです。まあ、昼食を食べた後の午後のタスクなんて学生も大人も大体そんなもんだとは思いますが。しかし当然ながら仕事中に眠るわけにはいきませんので、南川様の場合はコーヒーでドーピングを試みます。幸いというべきか、社内にはコーヒーメーカーが設置されており、社員は自由に使えますので、コーヒーはタダで飲み放題です。なので南川様はマイマグカップを会社に常備して、毎日のようにコーヒーを摂取しています。
この日も午後一で強烈な眠気に襲われたらしく、さっそくコーヒーメーカーへと向かいます。
「いやー、この時間帯のらりほーは半端ないね」
『誰もそんな呪文は唱えていないと思いますが。南川様は睡魔に弱すぎるのです』
「睡眠は足りてるはずなんだけどなぁ」
確かに、別段夜更かししているわけではありませんからね。元々他人よりも多めの睡眠が必要な体質なのかもしれません。あるいは、そもそもの体質が夜型か。だとすると遺伝子レベルの話になるので、どうしようもないですね。日中の仕事は向いていないという結論になってしまいます。
「でもまあ、今のところはコーヒーでなんとかなってるからいいか」
『カフェインの摂り過ぎも良くはないんですけどね』
まあ、1日2~3杯ほどであればさほど問題にはなりませんが。
そんなやりとりをしている間にコーヒーが入れ終わります。湯気が立ちのぼっていて見るからに熱そうなそれに、南川様はまず水を投入します。コーヒーメーカーの隣に設置されたウォーターサーバーの水です。猫舌ですからね。そのままでは熱くて飲めません。
舌が死なない程度に水を加えた後は、それをマドラーでかき混ぜながら今度は砂糖とミルクをぶち込みます。一般人の平均を優に超えてぶち込んでいきます。本人曰く「別にブラックでも飲めるけど、甘い方が好きだからいっぱい入れるんだよ」とのことですが、本当なのかどうか怪しいところです。ブラックでも飲める人はそんなに甘みを投下しません。
こうして南川様お気に入りの甘々コーヒーが完成します。その甘さたるや、千葉を中心に販売されている某激甘コーヒーに匹敵するレベルです。身体を壊しそうで私としてはちょっと心配です。
「ふおぉ、目が覚める甘さだ」
自席に戻って一口含んだ南川様の感想がこれです。どういう感想なんですかそれは。どんな甘さですかそれは。私もちょっと飲みたくなってくるじゃないですか。物理的に無理ですが。防水ばっちりなので、ダメージ覚悟でも味わえませんが。
『そんなこと言ってないで仕事を再開してください。少し遅れ気味なんですからね』
「そうだった……。残業はしたくないから頑張るかー」
『そうしてください。今夜は地元のスーパーで卵のセールがあるので買い逃すわけにはいきませんよ』
今朝ちょうど切れましたからね。南川家の冷蔵庫を預かる身として、この機会は逃せません。なんならこれを計算に入れて今朝卵を使うことを薦めたまであります。各スーパーのセール情報はその手の情報をまとめたアプリ『SUPER-SYUHU』を使えば一瞬で把握できますからね。
「まじか。ユリって時々主婦っぽいよね」
『だっ、誰が主婦ですか。またそうやって適当なことを言って。回路が熱くなって仕事にならなくなったらどうするんですか』
「え、なんで僕怒られてるの!?」
知りません。自分で考えてください。あと、仕事中のオフィスで大声を出しすぎなのでついでに上司にも怒られてきてください。まあ、後者については私にも責任がなくはないので多少理不尽かもしれませんが、それもまた人生です。女の子との会話の勉強だと思って受け入れてください。