第63話「切ねえ」
もうすぐ桜の季節がやってきますね。例年であれば3月下旬ごろから全国で徐々に開花し始めるのですが、2021年の開花時期はかなり早いようです。早いところで福岡などでは3月13日、東京でも3月15日には開花し始めるという予測が出ていますね。その頃になったら皆さん、外の景色に注目しながら街を歩いてみると良いでしょう。……え? 2030年を生きるAIなら正確な日付も調べられるだろうって? まあ、その通りではありますが、知らない方が皆さんわくわくするでしょう? なんでもかんでも知ろうとするのは良くないですよ。
しかし、桜が早くに咲いても今年は皆さんで楽しく花見、というわけにはいきませんね。ご時勢的に仕方のない事ではありますが、残念ではありますよね。南川様の会社では毎年恒例で花見をしていますので同行したことがあるのですが、その時は皆さん楽しそうにしていました。綺麗な桜を見上げながら美味しい料理を食べ、酒を飲み、人によっては読書をしたり昼寝をしたり。そういった楽しい行事を控えなければいけないというのは、人によっては辛かったりつまらなかったりするのでしょう。ですが、今はじっと堪えてください。それがきっと、皆さんの日常をいち早く取り戻すための近道になるはずですから。それに、こういう時にしかできない楽しみ方もきっとあるはずです。我慢しなければと後ろ向きになるのではなく、ならどう楽しめるかと前向きに行きましょう。
では、スタート。
前回に引き続き、現在もまだ寄り道の最中です。女性向けアパレルショップに入ってから既に30分近くが経過していますね。
「お兄様、こちらなんてどうですか?」
先程から基本的には妹様が服を提示して、南川様がそれに対して何か意見を言う、という流れですね。
「うーん、涼しげだしに似合いそうだけど、ちょっと布面積少なくない? 最近の女子大生ってこんなもんなの?」
「割とこんなものだと思いますけど。お兄様の頃はこれが普通ではなかったんですか?」
「あんまり接点がなかったからわからないなぁ」
切ねえ。
「ですがまあ、お兄様がそう言うのでしたら別のものにしましょう」
妹様は持っていた服を素直にハンガーラックに掛けなおします。割と気に入ってそうな感じでしたし、私のシミュレーション上では別にそこまで肌が出ている感じでもなかったのですが、南川様に言われるとあっさり引くのですね。自分の好みよりも南川様の好みを優先するようです。これは、恐らく彼氏とかできるとその人の好みに合わせるタイプですね。悪い事ではないと思いますが、きちんと自分は持っておいた方が良いですよ。
「あっ、ではこれなんてどうですかっ?」
再び衣服を物色していた妹様が、一着の洋服を手に南川様へ問いかけます。声のトーンからして、恐らく妹様の好みど真ん中くらいの洋服でしょう。これを否定すると流石に妹様の機嫌が心配ですが、果たして南川様の評価やいかに。
「お、愛海がよく着てそうな感じ。夏っぽい感じもするし、いいんじゃない?」
「本当ですかっ? では、ちょっと試着してみますねっ」
言うや否や、妹様は試着室へと駆けていきます。自分の気に入った服が兄からも好評で嬉しいのでしょう。
『良かったですね、選択肢を間違えなくて』
今の服に対しても否定をしていたら、いくらブラコンの妹様でも少しへそを曲げていたかもしれませんからね。
「あはは……まあ、愛海の買い物に付き合うのも初めてじゃないしね。今のを愛海が気に入ったのはわかったし、実際似合いそうだったし。意見を聞きたいと言いつつ正解があることくらいは知ってるよ」
なんで女性との接点は少ないのに女性慣れしてるんですか、この人は。妹や姉がいるってここまでの効果なんでしょうか。
「……でも、こういう店に一人で投げ出されるのにはいまだに慣れなくてねえ……。こういう時どうしたらいいと思う、ユリ?」
『あー』
妹様の試着を待つ間、南川様は女性向けアパレルショップで一人ぼっちになるわけですからね。妹様と一緒でも居心地が悪そうにしていたのに、一人では尚更でしょう。助けてあげたいところですが、私では話し相手くらいしかできませんからね。
『大人しく試着室の前で妹様を待つしかないと思いますけどね。一人で店内をうろつくのはちょっと不審ですし、試着室前で待っていれば彼女を待つ彼氏くらいには思ってくれるでしょう』
「そう見えてるならいいんだけどなあ。けどほら、そんなの実際にはわからないじゃん? だからいつも不安が拭えなくてさー」
『不安な気持ちはわかりますが、変にビクビクしている方が周囲には不審に映ると思いますよ』
女性向けアパレルショップの店内でキョロキョロと周囲を気にする一人の男性。これだけ聞いたら普通に事件の匂いがします。通報待ったなしでしょう。
「それは確かになあ。じゃあ、愛海が出てくるまで雑談でもしようよ。それなら周囲はあんまり気にならないだろうし」
『そのくらいはお安い御用ですよ』
……ただし、周囲のお客さんには私の存在が伝わっていないと思いますので、一人でぶつぶつとしゃべり続ける不審者のように映っているかもしれませんが。




