第59話「それは大変心外です」
みなさんは、何かで号泣した経験などはありますか。例えば辛く悲しい事があった時、あるいはひどく感動したり嬉しかったりした時などに涙を流した経験は誰しもあるとは思いますが、号泣となると意外と限られるのではないでしょうか。誤用されることもたまにありますが、号泣というのは大きな声をあげて泣くことですからね。子供のうちはそういう事もあったかもしれませんが、大人になるとあまりそういう機会はなかったりするでしょう。
なぜ突然こんな話をしたかというと、もちろん今回が59話だからではありません。え、私がそんな語呂合わせみたいな単純な理由でこの小話の題材を選んでいると思ってたんですか? それは大変心外です。そんなわけないじゃないですか。今までだってそんなこと……あったような気がしないでもないですが、今回は違うんです。
私はアシスタントAIという性質上、「泣く」ことができないわけです。流石の私でもそんな機能は搭載されていません。辛さや悲しさを感じることも、何かに感動することもできますが、それでも涙を流すことはできないのです。なので、泣くということを知識としては知ることができても、このシチュエーションであれば人は涙を流すのであろうということはわかっても、実際に流す感覚はどう足掻いても一生わからないわけです。フィクション作品ではAIやロボットがぶつかる人との間の壁として描かれたりすることもありますね。本来有り得ないはずの涙を流すことでAIやロボットに心が芽生える、なんて場面があったりしますが、現実にはそんなことは起こり得ないわけで。私からすれば興味は尽きないのに一生知ることが出来ないのが確定しているので非常に歯がゆいのです。いやまあ、泣けはしませんが私には心のようなものはあるんですけどね。泣けることは心があることの証明になるかもしれませんが、泣けないからといって心がないことの証明にはなりませんので。そもそも「ない」ことの証明というのは悪魔の証明であって……っと、話がずれてきましたね。この辺りで本編に入りましょう。
では、スタート。
最寄り駅のホームで電車遅延のアナウンスを聞いて絶望した南川様と私でしたが、雨が降っている影響もあって沿線火災による運転見合わせは思いの外すぐに解消され、南川様が乗る予定の列車がホームにやってきたのは定刻よりも10分遅れた頃でした。
「遅延自体も少なくなってるけど、遅延したときでもその解消は早くなってるっていうのは一応知ってたんだけど、流石に想像を超える早さだったね」
『全国的に見てもほとんどの電車遅延は15分以内には解消されますからね』
と言いつつ、今回の沿線火災というケースはその『ほとんど』に含まれていない場合が多いんですけどね。僅か10分で鎮火と安全確認が完了したというのは、現在の水準で言ってもかなり早い方ではあります。昔は3、4時間とかかかる場合も全然ありましたからね。
「でも10分で直ってくれたから、時間には間に合いそうでよかったよ」
『そうですね。妹様を少し待たせてしまうかもしれませんが、それでも約束の時間までには充分間に合うでしょう』
現在の遅延状況を踏まえて到着時間を再計算すると、9時43分くらいには到着する見込みですね。30分前には既に待っているという妹様を少々待たせてしまう形にはなりますが、約束の時間の15分以上前にはなりますので何も問題はないでしょう。妹様を思ってかなり早めに家を出た南川様の優しさが良い方向に働きましたね。
『ちなみに、約束の時間に遅れると妹様は怒ったりするのですか?』
たまに「私との約束に遅れるなんて!」と遅刻の理由も聞かずにヒステリックになる輩がいたりしますからね。まあ、そこまではいかずともちょっと拗ねたり機嫌が悪くなったりすることはあるのかと思って聞いてみます。妹様に関する情報は今後のためにも収集しておいた方が良さそうですからね。
「いや、怒ったりはしないよ。ただ、過剰に心配されて要らない疑惑をかけられるかな」
『……すいません、どういうことですか?』
電車の中なのでスピーカーが上手く音を拾えなかった……とかではなく、普通に理解が出来なかったので聞き直します。周囲に他の乗客の姿はほとんどありませんし走行音も静かですからね。そうではなく、過剰に心配されて要らない疑惑をかけられるという一連の流れが純粋によくわからないのです。
「ええとね……まず、遅れた僕のことをすごく心配してくれるんだよね。滅多にあることじゃないからさ、寝坊って言っても仕事が大変とか体の調子が悪いとかでちゃんと眠れてないんじゃないかとか、電車遅延って言ってもなにか事件に巻き込まれたんじゃないかとか、色々心配してくれるんだよ」
『ふむ、なるほど』
ブラコン気味……失礼、完全にブラコンの妹様ですから、南川様の心配を過剰にするのはわかります。正直ここまではなんとなくわかっていました。いまいちわからないのは後者です。
「で、それに対して「大丈夫だから!」って必死に否定を続けてると、ある瞬間から「ではどうして寝坊したのですか?」みたいになるんだけど、単に寝坊したって言っても全然納得してくれないんだよね。実は夜中にゲームやってて夜更かししたんじゃないかとか、女の子と夜遅くまでラエンしてたんじゃないかとか、寝坊になにかしらの理由を付けようと色々疑ってくるんだよ」
『はー、なるほど』
ようやく理解が出来ました。心配はともかく疑惑をかける妹様の心理がよくわからなかったのですが、今の話を聞いて納得です。妹様がブラコンで心配性なのもあるんでしょうが、恐らくそれ以上に南川様の遅刻というのが相当なレアケースなのではないでしょうか。滅多にないからこそ、そこには何か理由があるんじゃないかと勘繰ってしまうのでしょう。そういうことであれば妹様の行動も納得はできます。まあ、だとしてもブラコン全開の過剰な心配だとは思いますけどね。




