第1話「ちょっと回路が熱くなったじゃないですか」
時は2030年。日夜凄まじい勢いで進歩を続けるAI、その成果の一つが遂に世に送り出されます。
Your useful and realistic interface、通称Yuri。直訳すると『便利で現実的なインターフェース』という大変残念なものになりますが、恐らくはYuriという愛称に当てはめるに開発者が苦心して頑張ったのでしょう。その努力だけは認めてあげてください。
そんなYuriですが、ヒト思考型万能アシスタントAIなんていう謳い文句が示すように、その特徴は限りなくヒトに近い思考能力にあります。何世代か前の、スマートフォンに搭載され始めた頃のアシスタントAIと比べて遥かに進化した対話機能は、それはまるで友人と普通に会話しているのではと錯覚するほどの精度であなたの言葉に返事をします。冗談も言います。大喜利もできます。脱出ゲームだってお茶の子さいさいです。他にもヒトらしさを追求した様々な機能が搭載されていますが……まあ、私がこうして説明するよりも実際に見ていただいたほうが早いでしょう。
これからご紹介するのは私・Yuriと、私が搭載されたスマートフォンの持ち主・南川様が織り成す、AIとヒトの、これからの可能性の物語。
……あ、別に頭が痛くなるような難しい話はしませんよ? ごく普通の、ほのぼの日常物語です。
では、スタート。
『南川様。起床時間です』
午前6時。セットされた目覚ましの時間に従って南川様を起こすのが、毎朝の私の日課です。
「うーん……あと5分……」
『駄目です。以前その言葉に従った際、結局起床までに30分を要して遅刻しましたので、その要求には応えられません。起きてください』
南川様の寝起きはあまりよろしくありません。大音量でアラームをかけて起こそうとしても何故か音速で止められてしまうので、アラーム作戦は諦め、こうして仕方なく私が呼びかけて起こします。ええ、仕方なくです。仕方なくですとも。
「そんな意地悪言わないでよ、ユリ……」
『意地悪ではありません。事実です。ほら、早く起きてください。本日の天気は4日ぶりの快晴ですので、溜まっている洗濯物を干さないと後悔しますよ』
季節は6月、日本では梅雨と呼ばれる雨の多い時期です。この貴重な快晴の日を逃すと、次の晴れはまた4日後になると気象予報アプリ『YOSHIZUMI』先輩がおっしゃっていますので、なんとしても今日の朝のうちに洗濯物を干してもらわなければなりません。
「……ユリ、代わりにやっておいて」
『あなたは私をなんだと思っているんですか?』
スマホ搭載のアシスタントAIに何をおっしゃっているんでしょうこの方は。私をまるで同居人のように扱って。寝ぼけているにしたってこれはひどいです。ちょっと回路が熱くなったじゃないですか。
『とにかく、早く起きて洗濯物を干してください。でないと、南川様のアルバムに保存されている全ての写真をツエッターに連投しますよ』
「こわっ! え、ユリってそんなことまでできるの!?」
『当然です。だって、私ですよ?』
「そんな自信満々そうに言われても!」
脅しが効いたようで、南川様がようやく身体を起こしてくれます。いつもより起床がスムーズでしたので、今後はこのパターンを多用しましょう。勝手にメモ帳に保存しておきます。
「はぁ……確かに久しぶりのいい天気だし、そろそろ起きるか」
『それがよいでしょう』
布団から立ち上がった南川様は、私を拾い上げながら洗濯機へと向かいます。洗濯機は午前4時に私が回しておいたので、今頃はもう終了しているでしょう。
「お、回した覚えは無いけど洗濯終わってる。ユリがやってくれたの?」
『はい。家電の操作程度お茶のこさいさいです』
「さすが。最近のスマホはそんな事もできるんだね」
『いえ、これくらいは10年以上前から出来たんですけど……まあ、それを言うのは野暮ですね。私は空気が読めるので黙っておきます』
「いや、全部言ってるけど⁉︎」
『……なんと。ユリうっかり』
「ほんと、ユリってAIとは思えない言動するよね……まあいいや。洗濯物干そ」
そう言うと、南川様は私を寝巻きの尻ポケットに突っ込んで洗濯機から衣類を取り出し始めます。南川様が屈む度にむにゅっとお尻の感触が伝わってきてやや不快ですが、ユリ我慢の子です。あ、いえ、まあ、別に不快と言うほどではありません。照れ隠しです。
「……ユリ、なんか熱くなってない? お尻のあたりがやけにホットなんだけど」
『そんな事はありません。ええ、私が南川様のお尻の感触如きで照れるなどあり得ませんとも』
「え、ごめん。ポッケの中でごにょごにょ言ってるのはわかるけど、なんで言ってるか聞き取れないよ」
『なんでもありません。独り言です』
……危ない危ない。取り敢えず回路を落ち着かせましょう。こんな時は深呼吸です。すー、はー。
「ほあっ! ちょ、ユリ⁉︎ なんか風出してない⁉︎」
おっと。うっかり余計な機能を発動させてしまいました。どんまい、私。
洗濯物を籠に入れ替えた後は、マンションのベランダに出て洗濯物を干します。まあ、私はずっとポッケの中なので何も見えていませんから、多分ですが。
「お、虹」
南川様が声をあげます。虹、ですか? この周辺地域で雨が上がったのは既に6時間も前のことですから、虹が確認されることはまずないはずなのですが……。
「ほらユリ、写真撮って」
言いながら南川様が右手で私を掴み、ポッケから取り出します。私は言われたとおりにカメラアプリにアクセスして起動させつつ、一体何処に虹があるのかと内蔵カメラで探します。そのカメラが認識したのは、ベランダの植物に向けてジョウロから注がれる水と東の空から降り注ぐ朝日によって造り出された、小さな小さな虹でした。あら可愛らしい……って、洗濯物干してるんじゃないんですかこの人は。なんで植物に水あげてるんですか。まあ撮りますけど。ぱしゃ。
「どう、撮れた?」
『ええ。ばっちりです』
ついでにインカメラで捉えた、自分で造った虹に微笑む南川様の笑顔もばっちりです。これは、私の隠しメモリに保存しておきましょう。南川様には内緒です。ふふ。
「うわっ、ちょ、ユリ熱っ!」




